秋も深まった頃だった。
そうだね、ちょうど今頃だったね。
そう夫と話した。
夫の母、とこが「お父さんのお墓参りに行こうと思って」と言ってたのは。
ついて行ってあげたほうがいい、そう思っていたのに、
そうだね、ちょうど今頃だったね。
そう夫と話した。
夫の母、とこが「お父さんのお墓参りに行こうと思って」と言ってたのは。
ついて行ってあげたほうがいい、そう思っていたのに、
仕事を休むのもなぁ、となんとか土日や祝日に、、と考えてしまっていた。
とこは、それを察して、少し無理だと思いつつ自分で行こうとしたのだと思う。私たちはまだまだ、とこは十分に元気だと思っていたけれど。
たぶん…大きなターミナル駅まで行き、そこからバスで墓地へ向かおうとしたが、何年か前にバス停の位置が大きく変わってしまっていたのだ。
たぶん…大きなターミナル駅まで行き、そこからバスで墓地へ向かおうとしたが、何年か前にバス停の位置が大きく変わってしまっていたのだ。
とこは周囲の人に尋ねたらしいが、新しいバスの乗り場はこれまでの場所とかなりへだたりがあった。
とこが一人で出かけたことが分かり、うちから二駅先の駅に居る、と連絡がついて、とにもかくにも、迎えに行くと、駅前の広場のベンチに座っていた。
「バスに乗りたいって言っても、誰も教えてくれないの」と、いつも穏やかなとこに似つかわしくない様子で、かなり怒っていた。
たぶん、いろいろなところから来た人が激しく行きかうあの駅では、まずどこまでが駅でどこからが駅ビルの店なのか、境界もあいまいで、誰もが出口や乗り換え先の路線を目指しているだけで、その駅周辺のことには詳しくない。
乗り換えのための時間は少なく、急いでいる可能性のほうが高い。
聞いたことのない行先や、乗ったことのないバスの路線について尋ねてくる老人に優しく応える人は少ないだろう。
自分のふがいなさのせいで。
ただ迎えに行って、そのまま一緒に帰ってきたけれど。
今更ながら、ヒントはいくつかあったのに、行動できなかったなと思う。
とこが言ってた話には、いつもとこの願望があったのに。
例えば、その年の初めくらいに聞いてた話だった。
「えつこちゃんの孫が、彼女を旅行に連れてってくれたんだって、全部車いすで行けるところにしてくれたって、よかったわね」
この話の背景には、もっと前に聞いたこんな話があった。
「えつこちゃんの孫がね、いい会社に就職したのよ。
その会社で販売してる新しい化粧品の試供品をね、たくさん持って帰ってきたんだけど、えつこちゃんには、ひとつもくれなかったんだって。
おばあちゃんは要らないでしょとか言って。
ひどいわね、孫ちゃんたちのこと、忙しい母親に代わって夕食とかおやつとか、なんでもお世話したのは彼女だったのに」
その会社で販売してる新しい化粧品の試供品をね、たくさん持って帰ってきたんだけど、えつこちゃんには、ひとつもくれなかったんだって。
おばあちゃんは要らないでしょとか言って。
ひどいわね、孫ちゃんたちのこと、忙しい母親に代わって夕食とかおやつとか、なんでもお世話したのは彼女だったのに」
ちなみに、その化粧品のことはすごく後になってから、渡すことができたけど、コロナウイルス感染防止で、もう対面できなくなってからだった。
車いすのことは(旅行も一緒に行きたかったけど)普段歩く時も、だんだん辛くて、とこ自身は、すでに出かけるのも気苦労だったのだということだ。
当時、とこの亡き夫のお墓参り、荷物の整理、お友達とのお別れと、とこは『終活』を進めていた。それは分かっていたけど、歩くのがかなり辛いというのは気が付けなかったし、とこが一番恐れていた「ぼけ」は無かった。
タクシーに乗った時など、こちらのほうが道を指示できず、とこが慣れたふうに「そこを右じゃなく左へ行ってから大通りにでないとだめ(一方通行ででられない場所)なのよ」と、感情は欠けているような表情だったが、実にしっかりとしていた。
その後、その年の瀬には幻聴、幻影を見るようになり、同居しないとまずい状態と気が付いたが、息子である夫の動揺があり、サービス付き高齢者住宅の入居を検討した。
その時、駅まで車いすを持ってきてくれたスタッフのやさしさにも、はっとさせられたが、ためらいつつもその車いすに身を置いた時の、とこの表情が「安堵」だったこと。
つまりは、普段、普通に歩いていると見えていたけど、実際は、すごくすごく頑張っていたこと。。
なんで気が付いてあげられなかったんだろう。
ささやかな、祈りを。とこのすごい我慢を。
ささやかな、祈りを。とこのすごい我慢を。
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