とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

寒い満月の夜に3

2023-06-11 15:27:40 | 丘の上(認知症・入院)
とこ嫁自身、お葬式への参列は何度か経験したが、それも数えるほど。
半世紀生きてきて、身内の葬式も経験なく。
だから、姑とこが亡くなった時、死亡宣告、納棺、と未体験の連続だった。


夫が、姑とこが入園していた施設から説明を聞いてくれた。
特別養護老人ホームは「看取り」的活動も組織的に行うようだ。
(当然かもだけれども、なかなかそういうことは言及しないものなのだろう)
夫は20代のころに父親を亡くしているので、悲しさの中にも、冷静に対応してくれていた。
施設から要点を聞き、葬儀社の選定・連絡し、方針を決めた。
出来の悪い嫁ではあるが、姑とこに対する感謝、精いっぱいの返礼の気持ちがある。どうしたら生前のとこに相応しいか、とこはどうして欲しいだろうか、考えた。
施設では看取りの期間は特別に出入りできる部屋を用意してくれ、着替えのことを申し出てくれた。納棺前に何を着ていただくか、ということだ。
生前とても気に入っていた、見事な刺繍のある黒のツーピースを施設に持参した。
「これ、いいわね」と言ってくれた、小さなハートがドット柄のようにあしらわれた、とこ好みのストッキングも。(おしゃれな靴は用意できなかった!ごめんね!!)
ひとつひとつが、とこの心が宿っているように思う。

夫は以前とこから相談されたコートのことが印象に強く残っていたようで、とこも気にしていたし、寒い季節だし、一緒にいれてあげることにした。
夫は、この黒のツーピースのことをあまり知らされておらず、「こんな服持ってたんだ」とやや驚いていたが、センスのいい母親の最後に相応しい装いになったと感謝してくれた。

…あんなこと言ってしまったことがあった、と夫の言葉を聞いた時、親子の絆、たとえ子であれども、お互いを高めようと想いあっていた関係性を目の当たりにした。同時に、とこ嫁自身と息子のあるべき姿も見えたように思う。

葬儀は、シンプルにしようと決めていた。
告知もしない。だれもよばない。

誰も呼ばなくていい、本心ではないかもしれないが、とこはそう言っていた。
もしも友達に最後の姿を見られてしまったら、それはそれで、とこが傷つくかもと思えた。
以前、とこが一番気にかけていた友達が、認知症となってしまい、施設に入ったと聞いた時、寂しい響きながら「もう会わないわ」と言っていたのが、真の気持ちと思う。
私たちの時もそれでいい。夫も同じ気持ちと思う。

初めての身内の葬儀が火葬式のみ。
タクシーで向かった葬儀場は、住宅街の中に突如として現れる、細長く間口広い建物だった。
角地をうまく利用して送迎の車が出入りしやすい敷地使いとなってた。大きく広くガラス張りの出入り口は自動ドアで、明るく、しかし品よく、霊界が存在するならそこもこんな感じで近代化しているのかと思えた。

1階は火葬場、2回は待ち合わせもできるホールと喫茶室、通夜・告別式の部屋。2組ばかり、参列者がご遺影を抱えた方の後に付き従って、奥の部屋へ入っていくのを見た。
制服を着て、トランシーバーのようなものを持ってきびきびと動き回る女性スタッフの数のほうが来場者より多いのでは?と思うほど。1階は参列の人も相応に集まっている様子。

火葬場での順番は、その日最後の回らしかった。先に葬儀社の人から説明を受けている時、ほかの火葬の様子を見ることができた。
見てていいのか?と思った。逆の立場で、見られてもたいして困りはしないけれども。落ち着かない、と思う方もあるかもしれない。

参列者が大人数の場合、希望すれば仕切ることもできるのか、横長のホールは3分割できそうな、壁に収納するタイプの扉がありそうだった。
5機ほどあるのか、棺を入れる個所には、それぞれ立派な扉がついている。扉の間隔はせいぜい数メートル、焼く前にその扉の前で最後のお別れをする。

葬儀社へ預かってもらっていた棺が、ストレッチャーに載せられ、立派な扉の前に既に安置されている。扉には私たちが提出した遺影がわりのとこの写真。
海外旅行に行った先のヨーロッパの街角で、ご当地で見かけたかわいらしい女の子と一緒に写ったもの。
まだ60代後半だったと思われるが、当然若く、真っ黒でサラサラな髪のとこの姿は、今とは全く違う表情だったけれど、大きな赤いリボンをしたおませな表情の女の子が、とこを代弁するかのよう。
「ご遺影とはかなり違われてますね。…触れられてもいいんですよ」
そう促されて頬に触れた。ドライアイスで冷やされて凍っている。

例のコートをゆったりと掛けられて、瘦せてしまった身体は見えない。
頬骨が目立つほど痩せこけてしまった頬は、つややかで輝いてた。
表情は穏やか。痩せてしまったけど、綺麗なお顔だった。
夫は「(あの衣装を着せてあげられて)よかった」と言ってくれた。
俺は知らなかったし、思いつかなかった、と。

葬儀社の方に声を掛けられるまで2階の喫茶室でしばらく待った。
時折すごく乾いた、香ばしいともいえる独特の香りがするのは、人骨の焼ける匂いなのだと気が付いた。

1階へ降りて、あの扉が開けられているのを見た。

小さな小さな喉仏のお骨を見た。
夫と長い箸を使って最初の一つを骨壺へ収めた。

ほかのお骨は丁寧な所作で収骨、骨壺へ収められた。
私たちより断然若い男性であろうが、無駄のない、よい動きだった。
これを見届けることで、私たちの悲しみも包み込まれた。
あの白い骨壺と、白い布の覆いの中へ一緒に封じ込められたような気持ち。
読経もない、精進落としもない。

帰りもタクシーで。
膝の上に抱えたお骨を、これまでのとこの人生を、
生母が出産から1年ほどで亡くなってしまったとこ、
たくさん、いらぬ苦労をしてきたと思う。
そのお骨を撫でさすりつつ帰ってきたのだった。
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