水男くんと火子さんは愛し合っていました。
水男くんはいつも思いました。
「ボクは水だ。冷たい水。
でも火子さんと会えば、温かくなれる。
ときには、ボクの体を沸騰させて、
おいしいスープやカレーも作れる。
全部、火子さんのおかげだ。
火子さん、ありがとう!」
火子さんはいつも思いました。
「私は火よ。燃え上がる火よ。
でも水男さんと会えば、冷静になれる。
私は火事を起こすこともあるけど、
水男さんのおかげで、
暖炉の火や、ガスコンロとなって、
社会の役に立てるわ。
水男さん、本当にありがとう!」
二人は恋人同士として、
ときどき会っていました。
会ったときは、とても幸福。
1分、1秒が夢のように過ぎる時間でした。
そのうち・・・月日が巡り、
二人の愛はどんどん高まり、
ついに結婚ということに・・・。
二人は思いました。
「結婚したら、どんなに幸せだろう!」
「そうよ!毎日、夢のような日々が訪れるでしょう!」
そして共同生活!
実際、二人で暮らしてみると、毎日が楽しい日々でした。
お互いの長所を生かして、
おいしい料理を作って食べました。
昨日は野菜スープ、
今日はシチュー、
明日は鍋料理。
二人は舌鼓を打ちました。
結婚はこんなに素晴らしいものかと思いました。
ところが、そのうち、互いの存在が
息苦しくなることに気づきました。
火子が疲れて、休んでいるとき、
水男が近づくと、
自分の炎に水をかけられ、
完全に消えてしまいそうに感じました。
水男も同様でした。
一人で趣味を楽しんでいるとき、
火子が近づくと、
水である自分の存在が沸騰して、水蒸気となり、
雲散霧消するように感じました。
「ああ、私はダメになる」
「ああ、俺は消えてなくなる」
二人の男女は思いました。
「ああ、昔は、あんなに愛し合っていたのに!
私たちはどうしたというんだろう!」
・・・以上の寓話は、
愚かなる私が人間関係を考える時、
いつも思い浮かべるものです。
水と火は、ともに、この世に必要なもの。
でも、あまりに近づくと、
互いが互いを消してしまいます。
火は、水をかけられ、消えます。
水は、沸騰し、水蒸気となり消える。
でも適当な距離を保てば、
おいしい料理を作れ、温かい暖房装置となります。
そう。
適切な人間関係が存在するためには、
適当な距離が必要だったのです!
さて、どんな人も・・・
この世に生を受けて以来、
何千人という方々と付き合うことでしょう。
私もその一人でした。
その時々で、浅学非才なる私は、
一人一人に感謝したい気持ちで、いっぱいです。
おかげで、いろいろな楽しい経験をさせていただきました。
ところが、親しい友人ができたとして、
もしも毎晩「一杯やらないか?」と私を誘い、
私の時間をあまりに拘束すると、
その関係は、重荷になることがあります。
地球には70億の人がいます。
過去に物故された方々の作品は、
図書館や美術館に溢れています。
そういう過去の偉人たちは、私の友人でもあります。
現世の友人も大切にしたい。
でも適度な距離を保って付き合いたい・・・
私はいつも悩みます。
それは友人が嫌いとか、憎むとは意味が全然違います。
無理して、相性の良くない人と付き合う必要はない・・・
好きな本を読み、好きな音楽を聞きたい・・・
という真理です。
人生80年(女性は85年)・・・
自然と心豊かになれる人々と付き合い、
アリンコのワキ毛ほどでも、
魂が成長して死にたいもの。
いつもそう思っております。
逆に・・・・
無理に「恋人ごっこ」「友人ごっこ」を演じて疲れ、
結局は自己嫌悪を起こし、
相手も憎み、
そのうち自暴自棄になり、
とんでもない事件を起こして、
地獄に堕ちる・・・
なんて、ことだけはしたくないもの。
私はバカなので、その恐れあり・・・
ということで、
いつも「人間関係は、自然体が一番」
と自分に言い聞かせています。
決して、誰も嫌いたくはないし、
まして、憎みたくはありません!
親しい人に、NOと言える!・・・
NOと言われても、その人を遠くから愛し続ける!・・・
そういう関係が構築できれば、
その当事者は互いに、本当の大人なのだと思います。