ヒット大地は、読者が考えるよりも、
ずっと顔が広い。
水商売もしたので、
そういう関係の人も、たくさん知っている。
風俗関係も、詳しい。
また伯父が国会議員で、
父親が地方議員20年なので
そういう方面も詳しい。
官僚や役人にも、詳しい。
有名高校、東京大学も卒業し、自らも短大に勤めていたので、
大学教授や医師や博士(今は捨てるほどいるが)、
関係にも、通じている。
宗教関係の人間は、仏教、キリスト教、イスラム教、
これまたとても詳しい。
理由?
昔、イスラム教を信じ、
キリスト教の洗礼を受け、
宗教関係の出版社にも勤めたことがあるからだ。
外国系の人との付き合いも、かなりある。
・・・というわけで、
いろいろな人種を比較できるが、
一番、「人間として劣っている」のは、
不法行為を行うヤクザは別格として、
官僚や役人ではないかと思っている。
時々実感する。
彼らはもはや、人間とは呼べない・・・と。
もちろん、すばらしい人も多いが、
平均値を出してみると、
虫ケラに属する人々と言っていいだろう。
この意見に、反対の人もいるかもしれないが、
本当の姿を知らないからだ。
彼らは人間としての心を持たず、
とにかく「評判」とか「瑕疵」を気にし、
上司に、ヒラメのように従っている。
だから、彼らとうまく行っている人たちは、
ありがたがるが、
実際は、彼らの心根だけを見てみると、
とんでもない自己保身の塊で、
森永のアイスクリームよりも冷たく、
やはり、どんなに評価しても、虫ケラなのだ。
動物には、魂がある。
しかし、官僚や役人には、ない!
だから虫けらなのだ。
(繰り返すが、あくまでも平均値だ)
もちろん、彼らの仕事のおかげで、
日本は成り立っている。
その点はヒット大地も、深く感謝する。
しかしミミズだって、ミツバチだって、
彼らのおかげで、畑が滋養に富み、
農作物の受粉に役立っているのであるから、
仕事の面だけで、官僚や役人をストレートに、
高評価するわけもいかない。
やはり最終的には、人間性としての評価ということになる。
神様も、最後の審判において、そういう判断をなさるであろう。
(官僚・役人の多くは、定年後も尊大で、まるでひどい性格の者が多い。
ただし、老後、立派な活動する人も多い)
他方、売春婦の方は、どうであろうか?
ヒット大地は40名くらいのサンプル数しか知らないが、
(官僚や役人のサンプル数は、150名くらいか・・・)
一部、ひどい女もいたが、
ほとんどは、まともであった。
一般の女性と比較しても、
必ずしも、劣っているとは思えなかった。
いつも思うことがある。
売春婦は、この世に必要な存在である。
ゆえに売春は、「誰かがしなければならない仕事」なのだ。
この点を、ぜひ忘れてもらっては困る!!
たとえば、太平洋戦争の敗戦時、
ソビエト兵が満州や朝鮮に攻めてきた。
しばしばソビエト兵が求めたのは、セックス相手の日本の女たちだ。
そういうとき、
日本市民たちは、「水商売の女」たちに、
手をついて、頼んだ。
「水商売の女」たちは、
かわいそうな日本人のために、要請に応じた。
しかし翌朝、水商売の女が、
戻ってくると、
日本人たちは、
彼女たちに対して、
どういう態度をとったか?
真実を述べよう!!
慰労の言葉をかけるどころか、
全く、冷たく扱うのだった!!
以上の話は、
実際に体験した、五木寛之や南風洋子から聞いた実話だ。
もっと悲惨な話もある。
満州の通化市では、
終戦後まもなくの1945年8月20日、ソビエト兵たちが、
通化高等女学校にやってきた。
そして女学生に、乱暴を働こうとした。
そこで、20代女教師が、義侠的精神で、
「自分が、行きます」と宣言。
結局、連れて行かれた。
翌朝、戻ってきたが、
その日のうちに、彼女は自殺。
もしも一人でも深く感謝し、慰める教師がいれば、
彼女は、自殺しなかったのではないだろうか?
同様なことは、モーパッサンの小説の、
『脂肪の塊』にも出ているが、
これは有名な小説なので、引用は省く。
売春婦たちは、多くの男性を相手にする。
戦争中の慰安婦は、一日に30~50人相手にしていた。
そういう多くの男性とセックスをしていれば、
自然と人間的な触れ合いもあろう。
いろいろな会話もあろう。
ただセックスして終わりということはありえないからだ。
ということは、少なくとも、官僚のような虫けら人間になることはありえない。
慰安婦の映画を見たことがある。
兵士たちは、彼女たちを、非常に丁重に扱っていた。
実は彼女たちは、ものすごい高給取りであり、
(今の月収で言えば、100万以上)
逆に兵士は、1銭5厘の赤紙で、徴兵された者。
女性を知らない童貞者も多かった。
女の手を握ったこともないウブ男も多かった。
そういう若者兵士たちが、慰安婦たちとセックスするとなると、
非常に、緊張し、また慰安婦たちに、
頭が上がらないのは、至極当然だろう。
そして、兵士たちにとって、たった一回のセックスが、
冥途の土産となったケースも多々あるだろう。
そういうウブで純情な兵士の姿を見て、慰安婦たちも、
自分が、社会的に役立っていることを実感したであろうし、
死に行く日本兵への愛着も沸いたことであろう。
(ただし実際は、ケースバイケースで、一概には言えない)
これは現在の売春婦にも、かなり当てはまる。
男女の間では、たとえ売春でも、
セックスだけで終わりということはありえない。
セックスの前後には、
いろいろな心理的な駆け引きや、さまざまな会話もあるはずだ。
となると、売春婦は必然的に、男性心理の熟練者ということになる。
そして当然、「血の通った人間」であり続けるわけだ。
他方、官僚や役人は、
「世評」、「仕事場での評判」、「失敗」などを、死ぬほど恐れておる。
彼らはずっと人生の成功者だったから、
失敗が死ぬほど怖いのだ。
特に同級生や年下に負けることが怖くてたまらない。
だから普通の市民とは、つきあいたがらないのだ。
これじゃ、マトモな人間として成長できるはずがないではないか!
かくして彼らは一部を除けば、人間のクズであり続けるのだ。
以上で、ヒット大地がなぜ、
売春婦を、官僚や役人よりも、10倍愛するかが理解できたであろう。
簡単に言えば、虫けらよりも、人間を愛するということだ。
ハッキリ言おう。
官僚や役人には、挨拶などする必要もないだろう。
(虫けらに挨拶をするだろうか?)
彼らは、最も軽蔑する動物だ。
普通の動物よりも、はるかに劣っている。
しかし、繰り返すが、
立派な官僚役人も存在することだけは、
絶対に忘れてはいけない。
彼らは日本にとって、なくてはならない存在。
つまり官僚もピンキリだ。
また、虫けらの官僚や役人も、学生時代は、
まともな人間だった。
ゆえに、このような虫けらにしてしまった一般日本国民にも、
大きな責任はあるのだろう。
溺愛された子供が、どうしようもないバカ人間に成長するのは、
親が悪いのである。
一般市民も、大いに反省せねばならないのだ。