今年(2013年)の大学入試センター試験、
国語は、ひどかった。
史上最低の点数だったのだ。
なぜ?
理由は、「出題中の文芸評論家・小林秀雄の文章が難解すぎたため」だ。
ヒット大地、35年前から、このことを指摘している!
そして、即座に思った。
「だから、言ったでしょ!」
小林秀雄の文章は、あまりに個性的過ぎて、
入試問題には絶対に、そぐわない!
・・・これが、ヒット大地の、35年前の結論だ。
ところで・・・・
文芸批評家(あるいは批評家)の小林秀雄は、
日本の文壇の中で、最も高く評価されている男だ。
新潮社は、「小林秀雄賞」を設けているほどだ。
文芸批評家とされるが、
実際の彼は、モーツァルトやゴッホの批評も手がけている。
ということは、文芸の枠を超えていると言っていいだろう。
ヒット大地も、若い頃は、
小林秀雄の文章を、非常によく読んだ。
また高校の教科書にも出てきたし、
大学入試問題にも、しばしば出題された。
難解とされるが、
若いヒット大地には、いい刺激だった。
実は、ヒット大地、10代の頃、小林秀雄の講演会にも行っている。
東京の日比谷で行われたものだ。
さすがに講演の内容は、文章に比べ、平易だったので、
今でも内容は覚えている。
「柿の葉はなぜ散るか?・・・・新しい芽が、出るからである。
歴史もそうやって、過ぎてゆくのだ」
・・・という、あたりまえの話をしていた。
若いヒット大地、変に感動した。
ところが、ヒット大地が彼を読んだのは10代だけ。
ヒット大地も、20代になり、
30代に近づくと、小林秀雄に対する考え方が変わった。
「小林秀雄には、騙されまい!」
・・・こう思うようになった。
そう。
ヒット大地にとって、小林は、その程度の男なのだ。
そして、ヒット大地、そのうち、
「小林秀雄は、ものすごい小者(こもの)ではないか」
とさえ思うようになった。
また、彼の文章が難解である理由が、はっきりとわかった。
小林秀雄は、「自分の考えを、
いかにも客観的にも正しいように言う名人だった」のだ。
しかも小林秀雄は、「世間的に強い者を持ち上げる、ヨイショの名人だった」のだ。
たとえば彼は言う。
「世捨て人とは、世間に捨てられた者だ」
・・・これは、いかにも正しいように思える。
しかし、この考え方は、「世間=正しいもの」という大前提がある。
小林秀雄は、戦争中も、日本の勝利を信じ、
文芸銃後運動の一員として、文筆活動を行っている。
真珠湾のときは、こう書いた。
「戦争が始まって、すっきりした」
また真珠湾の勝利を、「日本軍=専門家、アメリカ軍=素人なのだ」と評している。
この文章を見れば、小林秀雄の正体が、はっきりわかるだろう。
やはり彼は、「強い者を持ち上げる、ゴマスリ名人」だったということが!
彼は、奈良へ旅行し、志賀直哉にお世話になった。
その後、「私小説論」を書いている。
私小説しか書けない志賀直哉を、ベタ褒めしたのだ。
(注:志賀直哉の小説は、ほとんど私小説だった。
有名な『暗夜行路』も私小説のようなものだ。
なおヒット大地、志賀直哉の小説は、すべて読んでいる)
そう。
小林はいつも、体制派や強い者、金持ちなどが大好き男だったのだ。
仕事をくれる文芸春秋社長・菊池寛も、非常に褒めている。
だから小林秀雄は、『常識について』という文章を書いた。
ここでも、小林は、「世間の常識」を肯定している。
でもヒット大地は思う。
もし世間の常識を肯定するなら、
戦争も肯定するのか?
何百万という精神障害者も肯定するのか?
また2200万の糖尿病患者および予備軍や、4000万の高血圧罹患者も肯定するのか?
(注:この数字は毎年高くなる!)
逆に、反体制のイエス・キリストや釈迦を否定するのか?
孔子だって、生存中は、どこに行っても、相手にされなかった男ではないか!
だからヒット大地はいつも言うのだ。
「小林秀雄は、世間を肯定し、体制にへつらう小者だ」と。
実際、小林は、共産主義が大嫌いだった。
(ヒット大地も、あまり好きではないが・・・)
だが小林秀雄は、体制大好きな人間であると同時に、「天才好き」でも有名だ。
彼の取り上げる人物は、
モーツァルト、ゴッホ、ドストエフスキー、ベルグソン、ランボー、志賀直哉、大川周明、本居宣長・・・など、
個性的で天才肌の人が多い。
人間主義的な人・・・と言ってもいい。
体温を感じる人々だ。
だから小林秀雄のような人間は、マスクス主義者などの理論派は、大嫌いなはずだ。
また、たぶん、機械なども、あまり好きではなかったはずだ。
ニセモノも嫌いで、ニセモノの掛け軸を、日本刀で、切り捨てたとか・・・
ところが、ヒット大地は考える。
もしも小林秀雄が、ソ連に生まれていたら、どうか?
北朝鮮に生まれていたらどうか?
ヒット大地は100%の自信で、断言する!
間違いなく、彼は、共産主義の熱烈な支持者であっただろう!
とくにレーニンを、神のように奉ったであろう!
もしも中共に生まれていたら、どうか?
間違いなく、毛沢東を、神のように奉る文章を書いたであろう!
100%の自信を持って、断言する!
だから、ヒット大地は、小林秀雄を「小者だ」というのだ。
小林秀雄は酒好きで有名だが、酒癖は、非常に悪かった。
相手が、泣くか怒るまで、追い詰めたという。
そんな小林秀雄に、最も似つかわしくない人物は、「殉教者」だ。
「殉教者」とは、「世間に背を向け、誰かの犠牲となった者」。
そんな「殉教者」になるなんて、
間違ってもできなかった男なのだ。
彼は、酒の上で、常に勝とうとしたように、
自分が現世で、成功者でないと、絶対に気がすまない男なのだ。
だからヒット大地、20代で、
「小林秀雄には、騙されまい!」
と思った。
その後、何回か、彼の文章を読んだ。
またこの文章を書くにあたり、もう一度彼の文章を読んだ。
20代の直感は、間違いなく、当たっていた!
彼は正真正銘の小者だ。
でも小者である小林秀雄の賞を設けた新潮って、何?・・・
なーに、世間とはそういうものさ。
世間に媚びたダメ男、ダメ女が、栄えるところなのだ。
芥川だって、文章は、たまげるほどうまいが、生の人間の書けない小説家だった。
小説の中で、芥川の書いた人間は、「ニセモノ」ばかりだ。
観念人間という。あるいは幻想人間だ。
ヒット大地、芥川も、10代のとき、ほとんど読んだ。
だが30歳過ぎたら、バカらしくて読めなかった!
ホンマモンの人間を、書けてないんだもん!
だから、芥川の書いた人間は、「ニセモノ」ばかり・・・それは断言する!
よって、芥川賞の文芸春秋も同じようなものさ。
いや、そもそも世の中とは、
ニセモノ・・・が、跋扈するところなのだ。
地球は偏差値38の惑星だもんなあ・・・
ただ、ヒット大地の文章はここで終わらないぞ。
ヒット大地は考える。
「もしも小林秀雄が偏差値60の惑星に生まれていたら?」
体制派の彼は、立派な仕事をした可能性も高い!
ということは、その意味では、小林秀雄は立派な男だったのかもしれない
・・・・こうも思うのだ。
「赤子のような者こそが、天国に行ける」ってわけだ。
つまり・・・小林秀雄は、
A・・・もともと小者だ。
B・・・もともと大物だが、地球の器に合わせて、小者になった
どちらかということになる。
正直言うと、ヒット大地、どちらが正しいか、決めかねている。
また決めようとも思わない。
なぜ?
理由は・・・あまり関心がないからだ。
小林はその程度の人間だ。
いや、世間とは、その程度のものだ。
小林については、まだまだ言いたいことはある。
正直、彼を評価したい気持ち、多少はある。
ある意味で、強固に個性を貫いた部分もあったからだ。
10代に感じたノスタルジックな部分も残っている。
一人の文筆家が妻子を養うためには、強者にへつらう部分もあろう。
また、富永太郎や中原中也や長谷川泰子や岡潔との対談のことも、
書きたい気持ちも、少しはある。
ただヒット大地には、これ以上書く情熱はない。
確かなことは、ヒット大地は、小林が嫌いということだ。
また、ほとんど評価していないということだ。
小林の講演会・・・前に座っていた女性は、アクビをしていた。
ヒット大地も、最終的には、小林秀雄に対して、アクビをしているのかもしれない。
つまらない男だと・・・