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古今東西のアートのお話をしよう

晩春 小津安二郎


今年の12月は、映画監督小津安二郎(1903〜1963)の生誕120年没後60年にあたる。

生誕120年にちなんで、映画館、テレビで数々の特集が組まれています。

私も、テレビ、DVDで作品を見直し、蓮實重彦の『監督小津安二郎』を読み、反芻しながら愉しみました。

見直した中で、『晩春』と『東京暮色』がとても気になりました。
映画の面白さは『東京物語』『浮草』だと思いますが、原節子を双極的に映す、『晩春』『東京暮色』に小津安二郎の”説話論的な構造“の原石が露出しているような気がしたからです。

蓮實重彦の「監督 小津安二郎」は、『序章 遊戯の規則
小津的なもの

誰もが小津を知っている。ある種の振舞い、ある種の言葉遣い、ある種の視線に接して、 人は思わず小津的だとつぶやく。』で始まる。

一般的に小津監督を賛美するパターンは、『小津監督が女性を美しく撮れるのは、そこに自分の願望や美意識はあっても、欲望の下心はなかったからだ。…』というものがあります。これは、小津的な『安心を無言で共有しうる風土』の一つの前提となっている性的欲望の隠蔽でしょう。

「晩春」昭和24年(1949)は、小津後期の傑作、「紀子三部作(晩春、麦秋、東京物語)」の最初の作品で、
戦前から『永遠の処女』といわれトップ女優だった原節子(1920〜2015)が出演した最初の小津作品です。小津監督は45歳、原節子28歳でした。

あるインタビューで、写真家の荒木経惟は『”晩春“の原節子はエロスの塊』といい、当時助監督を務めた今村昌平は『小津監督は原節子を相当気に入っていた(恋愛感情をもっていた)』と答えています。二人の発言を聞くまでもなく、「晩春」の映像には、性的な視線が露出してをり、『欲望の下心』がダダ漏れである。

「晩春」は、妻に先だたれた初老の大学教授の父、笠智衆と叔母の杉村春子が一人娘で27歳の原節子をなんとか嫁がせようとする物語。
鎌倉円覚寺の茶会に、原節子(紀子)が待合の部屋に入ってくるシーンから始まる。
例によってローアングルに固定されたカメラで、先客に挨拶する原節子の足に乗った存在感のある尻が正確に画面の中心に映し出される。なぜ、あまたの批評家がそれを指摘しないのか不思議である。
次に入ってくる三宅邦子(叔母の知人)は斜めに座り尻を見せず挨拶している。
小津監督は生涯独身だったが、小田原の芸者で森江という愛人がいた。森江は大柄な女性で、小津監督は大柄な女性が好みだったようだ。原節子は、身長165cmで、足のサイズも24.5cmともいわれた大柄で目鼻立がハッキリした美人です。
叔母の杉村春子と原節子

父の助手と七里ヶ浜をサイクリングする原節子の美しいシーン
ちょうちん袖のニット、風になびく髪、バストショットが続く

叔母から見合いの話を聞いた紀子は、父のために結婚を渋るが、叔母から三宅邦子と父の再婚ばなしを聞く

数日後、笠智衆と原節子が『能』杜若を鑑賞していると、

円覚寺の茶会で会った三宅邦子が向かいの席にいる事をみとめ会釈するが…

嫌悪感をあらわに、三宅邦子を睨みつける
この表情は、嫉妬の焔が燃え上がりかなり怖い
帰り道、父に怒りを表し、父と分かれる
出戻りの友人、月丘夢路に相談すると、逆に結婚を勧められる原節子

家に戻った原節子は笠智衆に再婚の意志を問い詰め、笠智衆が頷く

三宅邦子と父の再婚を前提に、ついに原節子は見合いに合意する

父と娘は結婚前の記念に京都に旅行する
京都では父の友人、三島雅夫と娘と後妻が二人を案内した
原節子は三島雅夫に『(後妻なんて)不潔だわ』と言った過去がある
 
原節子は三島の後妻の上品な容貌が“きたならしさ”とは無縁だと悟り、父に三島に対する言動を悔いていると、宿に並んで寝ながら話す

父は『気にせんでいいよ』といい、原節子は瞳を潤ませながら話を続けようとするが、父は寝息をたてはじめた
障子の月明かりに、笠智衆の顔、原節子の顔、有名な”壺“のショトが二度映し出される

朝、原節子は『私をこのままそばにおいてください。今が幸せなの。結婚してもこれ以上の幸せはないと思います。』と笠智衆に向かい潤んだ目で懇願する
笠智衆は、『それはいかん』と「紋切型」の不器用な結婚論で原節子を納得させようとする
原節子は、納得する方が『小津的』だと思わせるようにうなずく

前夜のシーンから、評論家は原節子(紀子)の“近親相姦”願望と説明するが、私は小津監督が笠智衆に自身を投影させて、原節子に『愛』を告白させて悦にいっているのではないか、それが結果的にエレクトラコンプレックスの様相を示している

まさに『欲望の下心』だだ漏れ状態の視線が、原節子をエロスの塊(女神)に仕上げた

式の後、笠智衆と月丘夢路が小料理屋で話す
笠智衆は再婚の話は、娘を結婚させるための”嘘“だったと告白する

ラストシーンは、結婚式のあと帰宅し、一人静かに林檎をむく笠智衆、ナイフから林檎の皮が離れて落ちる
(原節子は『私のタクワンはつながっている、包丁が切れないの(父娘の繋がり)』と言っていた)

笠智衆は回想録で『監督から慟哭する演技を求められたが、自分には出来ない』と生涯で一度だけ監督の指示を拒否したと告白している

紋切型で小津的だと思わせる静かな
ラストシーンとは真逆の『慟哭』の演出は何を意味するのだろうか

蓮實重彦は、2016年の「増補決定版」で追加された「終章 快楽と残酷さ」の中で、

おそらく寡黙さと誤解されかねないその表現の簡潔さ故に、人は、小津安二郎における 性的な側面を軽視しすぎてきたように思う。性は、しかし明らかに語られている。「晩春」は「風の中の牝雞』よりも遥かに大胆に性を主題としているといえるかもしれない。』と書いた。


晩年の傑作群の『小津調』『小津的』とは少し毛色が変った、小津のリビドーを感じる傑作である。

「東京暮色」に続く

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