はじめて薄暗い本屋でこの詩に出会ったとき、ひかりと移動する視線が作るイメージにくらっときました。
それ以来、大岡信の、特にこの詩を
愛唱しています。
春のために
砂浜にまどろむ春を掘りおこし
おまえはそれで髪を飾る おまえは笑う
波紋のように空に散る笑いの泡立ち
海は静かに草色の陽を温めている
おまえの手をぼくの手に
おまえのつぶてをぼくの空に ああ
今日の空の底をながれる花びらの影
ぼくらの腕に萌でる新芽
ぼくらの視野の中心に
しぶきをあげて回転する金の太陽
ぼくら 湖であり樹木であり
芝生の上の木漏れ日であり
木漏れ日のおどるおまえの髪の段丘である
ぼくら
新しい風のなかでドアが開かれ
緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
道は柔らかい地の肌の上になまなましく
泉の中でおまえの腕は輝いている
そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
静かに成熟しはじめる
海と果実
大岡信 「記憶と現在」より