綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

2人の息子

2011年12月31日 | ぷーさんのつぶやき
今日はみんな私の帰りを待っててくれ、大晦日の晩餐でした。
いつも帰りが遅いので、特に依頼しないかぎり先に食べてもらうのが我が家のルールです。
おばあちゃんも嬉しそうでした。



食べた後は、みんなそれぞれです。
長男は、あると(パピヨン4歳)と遊んでましたが、近所の友達が来て、自室で忘年会(まさに忘年会)に入りました。

きっと朝方まで飲み明かすのでしょう。
友達は大事にしてください。

母は自室に引き取りました。

次男は20歳ですが、起きてる間に私が帰宅すると、必ず一緒にお風呂に行きます。
というか・・・
先にお風呂に行って、私が着替え、食事してから入浴するのを待っています。

私が入浴してから、頭洗ったり、ひげを剃ったりすると嬉しそうです。



賢ちゃんと言います。
言葉が出ません。ほとんど理解もできません。

でも私は大好きです。多分ですが、賢ちゃんも私が好きだと・・・思い込んでます。



賢ちゃんは重度の自閉症です。

2歳の頃にわかりました。

家族全員の人生が変わりました。

自分に言い聞かせて、この子は私に神様が「君を信じて」授けた子だと思いました。
家は暗くしない。おやじはとにかく家族を守る。

家に休みでいることがほとんどなくなりました。

長男が幼稚園の頃に家内次男が3ケ月間入院していました。
おかげで、長男はその頃から自立を促されました。

私は長男の運動会も彼が小学校に上がってからはほとんど行っていません。
賢ちゃんの運動会や入学式、卒業式には、ほとんど行きました。

仕事柄それが精一杯でした。

長男のサッカーの試合にも隠れて観戦してましたが、本人には言っていません。
君は長男だから、私の息子だから・・・信頼しています。

賢ちゃんが養護学校に入学してからはけやきの会という、養護学校に通う児童生徒の父親と共に、卒業後に子供達が通う障がい者施設の設置に奔走しました。

必至でしたが、明るい家庭にはなったと思います。

家内の父母も引き取って、我が家で看取りました。

その後に中越地震もありました。

2年間避難生活をしました。

みんな落ち込んで、未来が見えなくなりましたが、避難して3ヵ月後に我が家の再生を宣言しました。
目処があったわけではありません。
宣言することが家族の気持ちを救うと確信したからです。
明日を明らかにして目標を持たせることが必要と思ったからです。

長男は2冬の間、転校を拒否して、元の中学校に遠距離を休むことなく通いました。
吹雪の中でも。

私の父は突然でしたが、長岡の家の再建や、私が仕事で頑張っている姿をいつも喜んで、
「俺は面倒かけないから、思いっきりやれ」とサポートに徹してくれました。最後まで。

数年前から、仕事と障がい者施設の運営に加えて、私は、アルビレックスも趣味としました。

元々ワールドカップも観戦していましたが、忙しくて封印していました。
そろそろ50歳も超えて、時期が来たと思いましたから。

ブログもサッカー話題を加え、サポ仲間にも喜んでもらってました。

そんなブログでしたが、中傷する人がいました。
残念なことですが、楽な生き方をしているかわいそうな人だと思います。

陰口を聞くのは嫌いです。自分で言うことはもっと嫌いです。

面と向かって言われると腹が立ちますが、じめじめしない怒りですし、議論ができます。
相手が誰かわからないのは卑怯で、唾棄すべき行為だと思います。

大変な一年でしたが、乗り切ってこれた年末に残念な師走になりました。
明日からはアルビレックスのテーマは別のブログにします。

みなさま一年間ありがとうございました。
被災地の皆様にとっても、新たな年が良い年でありますように、心からお祈り申し上げます。