齋藤美規(克忠)先生が昨年末、26日に亡くなられました。
昭和56年に俳誌「麓」を主催されたときから父(山岸繁義:珠樹)が参加しており、父が師と仰いでいました。
父の遺句集を製作するにあたり、平成10年の夏にご自宅まで「跋」のお願いに伺ったら、快くお引き受けいただきました。
辞去する際には、外までお見送りいただき、「近くに句碑があるから見にいきませんか」とのこと。
お天気も良かったので、100mくらい先まで歩いてご案内いただきました。
ふるさとを ひかり流れて 春の川
今日、ご子息の正義様よりご丁寧なお手紙を頂戴しました。
鳴きながら 雪焼け鳥 声はずむ
12月17日に詠まれた最後句だそうです。
あらためてご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
昭和56年に俳誌「麓」を主催されたときから父(山岸繁義:珠樹)が参加しており、父が師と仰いでいました。
父の遺句集を製作するにあたり、平成10年の夏にご自宅まで「跋」のお願いに伺ったら、快くお引き受けいただきました。
辞去する際には、外までお見送りいただき、「近くに句碑があるから見にいきませんか」とのこと。
お天気も良かったので、100mくらい先まで歩いてご案内いただきました。
ふるさとを ひかり流れて 春の川
今日、ご子息の正義様よりご丁寧なお手紙を頂戴しました。
鳴きながら 雪焼け鳥 声はずむ
12月17日に詠まれた最後句だそうです。
あらためてご冥福をお祈り申し上げます。
合掌