山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

本家

2014-02-03 23:37:04 | モノローグ【エトセトラ】
2月2日(日)、私の母方の本家伯父(85才)が亡くなり下関市まで帰り、お痛夜に参列してきた。
「本家(ホンケ)」という言葉が自然に出る。この「自然に出る」が不思議に思える。
今、私の日常生活では忘れていた言葉である。使っていないから忘れていたのだろう。
ご先祖、家族・親戚・親兄弟姉妹・孫・甥姪・いとこ、までの関係は認識はできる。分数で割り切れる血筋というやつ。

昭和30年代の子供の頃、法事やお祭り、盆正月には親戚一同が本家に集まっていた。
大人男たちは年功序列で上座から下座にずらりと並び宴会をしていた。
女たちはカマドのある台所で井戸端会議をしながら料理作りをしていた。
子供たちも男女に分かれて集団を組み遊んでいた。
男の子たちはチャンバラ、相撲、野球、鬼ごっこ、そして意味もなくマラソンだった。女の子たちはままごと、トランプだった。
大人も子供も男と女は完全に分かれていた。

30年ぶりだった。
お通夜の席で伯父の長男に再会した。
対面すると、自分で言うのも可笑しくなるが、顔と体格、喋り方まで「似ている!」。
違うところは、彼は企業の大幹部になっていた。上から三番目と言っていたから常務なのだろうか。
ブルジョア階級ではないか。私はプロレタリアートからも落ちこぼれ、ヤクザにもなれないルンペンである。
その彼から「山南センセイ」と呼ばれたから、お痛夜の席ではあるが笑いが止まらなくなった。
伯父は賑やか好きだった。きっと喜んでくれているに違いない。
本家では子供の頃の思い出が一杯詰まっている。