
友人が、京都に引っ越したのを機にこの五月、友人宅を基点に滞在型の観光を試みてみました。
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。
とりあえずは、友人宅の近くの五条近くを数日周ることにしました。
今回は、「京の異界」がテーマです。
五条坂界隈には、「六道珍皇寺」「六波羅蜜寺」「安い神社」「八坂神社」などが有名です。
このうちいくつかは、誰しもが一度は訪れた地です
■八坂通りまで下がると、六道の辻となり「六道珍皇寺」があります。少し離れて「六波羅蜜寺」です。
その途中が「幽霊の子育飴」の店があります。
↓六波羅蜜寺です。

↓左の壁は、六波羅蜜寺です。この正面が「子育て飴の店」で、右に折れると「六道珍皇寺」に続きます。

■恥ずかしながら、この「六道珍皇寺」はこのテーマで巡ることにして初めて知りました。
閻魔大王と小野篁卿を祭っています。
小野篁卿については、別途他の章で紹介したいと存じます。
小野篁卿は、閻魔大王の冥官ともいわれ、あの世とこの世をこの寺の井戸を使って行き来していたといわれます。




境内右奥にある「黄泉がえりの井戸」と繋がってでもいるのでしょうか?
寺の裏手にこの様なまだ目新しい門扉があります。


■この五条界隈は以前として古い昔ながらの民家も多く、職人さんの家もひっそりと残っています。
■子育て飴の店は、その先。六波羅蜜寺と六道珍皇寺との道が交差する三叉路にあります。
以前は、もっと東山側だったそうです。
菓子屋としては京都で二番目に古い店だそうです。
このご主人で40代目とのこと。もちろん、店は古いですが400年前からの建物ではありません。
「母親の幽霊が、墓場の中で生まれた赤子を育てるために毎夜、この水あめを買いに来た」ことに由来すそうです。
似たような話は国内外、色々な地域にあります。
とくに中国の書「聊斎志異」には他にも色々と異界との接点で生まれた物語がたくさん収録されています。





↓このお店は、この「子育て飴」一本で400年間継続してきたそうな。
恐るべしは、「物ではなくモノガタリ」ですね。今の企業も見習うビジネスモデルの一つと感じます。




ちなみに、タイトルの「聊斎志異」とは、中国清朝時代に「聊斎」と言う人にによって書かれた「志異」不思議«異»を記«志»した書。との意味です。
その京都版として、京都に言い伝えられている「異界」を巡るつもりで掲題しました。少々、オーバーですが…。
(聊斎とは書斎の名で、本名は蒲松齢といいます)
今回の旅程のネタ本は、この平凡社「聊斎志異」と淡交社の「京都・異界をたずねて」です。小生の好きな書籍の一つです。
古今東西、グローバル化という観念を知らなかった人間は異なった民族との接点で起こる不思議な事象や常識を超える事柄を、異界のモノとして描かれています。


参考サイト→中国版
参考サイト→聊斎志異の抜粋版
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。
とりあえずは、友人宅の近くの五条近くを数日周ることにしました。
今回は、「京の異界」がテーマです。
五条坂界隈には、「六道珍皇寺」「六波羅蜜寺」「安い神社」「八坂神社」などが有名です。
このうちいくつかは、誰しもが一度は訪れた地です
■八坂通りまで下がると、六道の辻となり「六道珍皇寺」があります。少し離れて「六波羅蜜寺」です。
その途中が「幽霊の子育飴」の店があります。
↓六波羅蜜寺です。

↓左の壁は、六波羅蜜寺です。この正面が「子育て飴の店」で、右に折れると「六道珍皇寺」に続きます。

■恥ずかしながら、この「六道珍皇寺」はこのテーマで巡ることにして初めて知りました。
閻魔大王と小野篁卿を祭っています。
小野篁卿については、別途他の章で紹介したいと存じます。
小野篁卿は、閻魔大王の冥官ともいわれ、あの世とこの世をこの寺の井戸を使って行き来していたといわれます。




境内右奥にある「黄泉がえりの井戸」と繋がってでもいるのでしょうか?
寺の裏手にこの様なまだ目新しい門扉があります。


■この五条界隈は以前として古い昔ながらの民家も多く、職人さんの家もひっそりと残っています。
■子育て飴の店は、その先。六波羅蜜寺と六道珍皇寺との道が交差する三叉路にあります。
以前は、もっと東山側だったそうです。
菓子屋としては京都で二番目に古い店だそうです。
このご主人で40代目とのこと。もちろん、店は古いですが400年前からの建物ではありません。
「母親の幽霊が、墓場の中で生まれた赤子を育てるために毎夜、この水あめを買いに来た」ことに由来すそうです。
似たような話は国内外、色々な地域にあります。
とくに中国の書「聊斎志異」には他にも色々と異界との接点で生まれた物語がたくさん収録されています。





↓このお店は、この「子育て飴」一本で400年間継続してきたそうな。
恐るべしは、「物ではなくモノガタリ」ですね。今の企業も見習うビジネスモデルの一つと感じます。




ちなみに、タイトルの「聊斎志異」とは、中国清朝時代に「聊斎」と言う人にによって書かれた「志異」不思議«異»を記«志»した書。との意味です。
その京都版として、京都に言い伝えられている「異界」を巡るつもりで掲題しました。少々、オーバーですが…。
(聊斎とは書斎の名で、本名は蒲松齢といいます)
今回の旅程のネタ本は、この平凡社「聊斎志異」と淡交社の「京都・異界をたずねて」です。小生の好きな書籍の一つです。
古今東西、グローバル化という観念を知らなかった人間は異なった民族との接点で起こる不思議な事象や常識を超える事柄を、異界のモノとして描かれています。


参考サイト→中国版
参考サイト→聊斎志異の抜粋版