3月に退職して以来、17年前に亡くなった父が住んでいた家の片付けとともに、自分自身の終活にも少しずつ取り組み始め、いろいろなモノを処分しています。まぁ実際にはなかなか思うように進まないのが現状で、「なんとか今年度中には目処をつけたいな」と思っています。片付けをしていると、懐かしい写真や文書、仕事や私生活の思い出の品々などさまざまなモノなどが出てきて、それを懐かしがって見ていたりするから、余計に時間がかかるんですよね。「悩まずに捨てればいい」とはわかっているんですがね。
昨日のことです。いつものように片付けをしていたら、段ボールの中からクリアファイルに入った1枚の文書が出てきました。日付は2008年2月14日。忘れもしません。この日ボクは、間違いなく人生の大きな転機を迎えていました。この文書は、その時の証拠品でした。
2008年2月というと今から16年半前、ボクが49歳の時のことです。この前年の2007年というのがわが家にとって大きな変化があった年で、3月に娘が高校を卒業して4月から東京の大学に進学し、その6年前の息子と同様に家を出ました。さらに5月に同居していた父が急逝し、ボクは阿賀町で単身赴任3年目を迎えていた年です。つまりこの年は、阿賀町のボク、東京の娘、埼玉で就職した息子、そして長岡の自宅で1人になった妻と、八百政家は家族4人全員がバラバラの生活をしている状況でした。
そんな中、その年(2007年)の11月に受診した人間ドックで、ボクは引っかかってしまいました。実はその年の職場の厚生担当者がちょっとしたミスをして、ボクが毎年8月に人間ドックでお世話になってきたN病院を受診できず、11月になってA健康センターで初めてドックを受けることになったのです。ところがA健康センターの人間ドックのメニューには、ボクが今まで受けたことのない「首のエコー」があったのです。ボクが引っかかったのは、この「首のエコー」でした。ちなみに当時ボクは、首に自覚症状や違和感はまったくなく、「えっ?何なの?いったい?」って感じでした。
12月に「要精密検査」の結果をもらったボクは、年が明けて2度の精密検査を経てその結果を聞きにN病院を訪れました。「奥様も一緒に来てください」と言われた時には、嫌な予感はしていたんです。それが2008年2月14日のことでした。その時に医師の説明を受けながらもらったのが、今回見つかった「病状説明書」です。
2度目の精密検査(細胞検査)の結果はよくないものでした。いわゆる「癌(悪性腫瘍)」です。実はボクは大学4年の時に、母を癌で亡くしています。母は当時48歳でした。母の病巣も、この時ボクに発見された癌細胞と極めて近い部位でした。「あちゃー!ボクも母と同じ運命を辿るのか?!」と大きな不安が募ったことを今でもよく覚えています。
手術当日には埼玉の息子も東京の娘も長岡に呼び戻され、ボクは全身麻酔で臓器摘出とリンパ節郭清の手術を受けました。途中省略しますが、幸い手術は成功し、16年経った今も元気に生活をしています。術後5年までは再発を心配しましたが、今は気持ちが緩んでいるのが正直なところです。ただ、臓器摘出の関係で、毎朝1錠の薬を飲むことはこれからも一生続きますがね(実際には降圧剤も飲んでるから2錠だけど)。
このボク自身の人生の転機となった2008年のこのできごとは、その後のボクの生き方に大きな変化を与えました。それまではどちらかというと、保守的な生き方をや決断をすることも多々あったボクですが、それ以来は「怖いものなし」というか「思い切った決断をするのに躊躇しない」ようになった気がします。そしてそのことがボク自身のキャリアの後半ではプラスに働いたと思っていますし、ボク自身の生き方の中でそれは間違いなく現在も続いていると思います。
16年半前の「病状説明書」を見て当時のことを思い出し、ブログの記事にしてしまいました。お読みいただき、ありがとうございました。