タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

わが家の紅葉(もみじ)

2024年11月21日 | 徒然なるままに

「紅葉」ってちょっと不思議な言葉ですよね。「紅葉」って書いて、「こうよう」とも「もみじ」とも読みます。「紅葉(こうよう)」は「主に落葉広葉樹が落葉の前に葉の色が変わる現象」のことだし、「紅葉(もみじ)」は「ムクロジ科カエデ属の植物」のこと。同じ「紅葉」という漢字なのに、「こうよう」と読めば「葉が色づく現象」を表し、「もみじ」と読めば「植物の種類」を表す。摩訶不思議な言葉ですなぁ。特に日本語を学ぶ外国人は混乱するでしょうねぇ。ホワイ?ジャパニーズピープル!

ちなみにボクが先日参加したマラソン大会の名称は、「魚沼コシヒカリ紅葉マラソン」と書いて「こうようマラソン」と読みます。けっして「もみじマラソン」ではありませんぞ!

 

完走!魚沼コシヒカリ紅葉マラソン! - タケ・タケ・エヴリバディ!

ボクにとって今シーズン最後のマラソン大会である、「魚沼コシヒカリ紅葉マラソン」に参加してきました。魚沼市の湯之谷地区で開催される、景色の良いコースが有名なこの大...

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さて、ここ数日の朝晩の冷え込みで、わが家の庭の「紅葉(もみじ)」もすっかり紅葉(こうよう)しましたよ。まずは真っ赤に色づく紅葉(もみじ)の、全体画像をご覧ください。

ほう!なかなか鮮やかな「赤」です。天気のよい秋の日は、ホントに気持ちがいいですね。「四季のある日本に生まれてヨカッタ!」って思います。では、この紅葉(こうよう)した紅葉(もみじ)の画像を、何枚かご堪能ください。はっはっは。しつこい?

ボクは今自宅のリビングでタブレットを使ってこのブログを書いていますが、ガラス窓からこの紅葉(もみじ)を鑑賞することができます。わざわざ「もみじ園」や公園に行かなくても、家のリビングから紅葉狩り(もみじがり)を楽しむことができるなんて幸せだなぁ…とつくづく思います。自然豊かな田舎で生きている恩恵ですね。都会のマンション暮らしではこうはいきません(まぁ落ち葉の片付けとかする必要がないのは、少し羨ましいですけどね。あと冬の除雪作業も…)。


さて、いよいよ冬が近づいて来ました。わが家でもボクの車と妻の車の2台分のタイヤを、スタッドレスに履き替えました。これでいつ冬が来ても大丈夫です。おっと、車庫前の消雪パイプのメンテナンスがまだだったな。雪が降る前に忘れずにしなければ!

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仏壇の奥から「家譜」が出てきた!

2024年11月20日 | 徒然なるままに

3日前のブログ記事で、わが家が「仏壇じまい」を行ったことを記しました。その時に仏壇の抽斗(ひきだし)中から出てきた「すごいモノ」、今日はその話題です。まぁ「すごいモノ」なんて言うと、「お宝か?」って期待感が高まるかもしれませんが、残念ながらそっち系ではありません(笑)。

出てきたのは和紙で綴じられた虫食いだらけの冊子で、表紙には「家譜」と記されていました。そうなんです。これはわが家の先祖代々の家系図を克明に記したものでした。

ページ同士がくっついているところもあり、破損しないように気をつけながら開いていくと、そこには細かい文字(しかも筆文字)で、克明にわが家の歴史が記されていました。

まずは、わが家の初代が本家から独立したのは、寛政8年(1796年)であることがわかりました。1796年というと、杉田玄白や伊能忠敬らが活躍した時代ですかね?

上の画像のページは、4代目の頃の家系図です。「四女」とか「五女」とかの記載から、「やっぱり当時は子だくさんだったんだな」とか「八百政家は女系家族だった時代があったんだな」とかわかります。生後まもなく亡くなった子どもも少なくありません。

ちなみに、このページの中央右にある「長女・さた」は、ボクの曾祖母です。明治4年に生まれています。彼女は後に婿養子を迎え、その婿さんがわが家の5代目当主となります。そしてその5代目夫婦の次男がボクの祖父、八百政家の6代目となります。家譜は、祖父が明治38年(1905年)に生まれたという記述が最後でした。ちなみに日露戦争の勃発が1904年ですから、時代はまさに「坂の上の雲」です。

「家譜」にはわが家の家系図だけでなく、わが家の親戚筋の家系図も併せて記載されていました(ボクが知らない家も多くありました)。なんかこの家譜、まさに「ボクのルーツ」「わが家のルーツ」って感じです。「これは子孫にも残しておくべきだな…」と思いました。

今回仏壇から発見されたこの「家譜」は、ボクに残りの人生に宿題を与えてくれたように思います。

まずは、祖父が生まれた以降の八百政家の歴史を、この家譜に付け加えることです。明治38年から120年間空白となっているわが家の歴史を、埋めなければいけませんね。家譜へ最後の記載となった明治38年誕生のわが家6代目の祖父は、祖母と結婚して3人の子(既に2人が逝去)を設け、その長男である7代目の父は母と結婚してボクと姉を設け、8代目のボクは妻と結婚して2人の子どもを設け、さらに孫が3人この世に誕生しています。この記録を家譜に書き加えることはボクの務めでしょう。

さらに、判読不明の部分も少なくないこの八百政家の家譜をしっかり復元し、令和版の改訂家譜として整理して、ボクの子どもや孫たちに残すことです。まぁそれが日の目を見ることはないかもしれないけど、「あぁ確かジジがそんなものを残していたよなぁ…」程度の記憶が孫たちに残ればそれで良しです。

「父が建てた家の整理と解体」という宿題を終わらせる見通しがつきましたので、ボクは次の新しい宿題に取り組み始めたいと思います。

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3度目の輪島へ!災害ボランティア!

2024年11月19日 | 徒然なるままに

元旦の能登半島地震の傷が癒えない状況下で、9月の豪雨でも大きな被害を受け、地震と水害のWパンチを食らった石川県輪島市。ボクは10月に2回、仲間と一緒に輪島市の復興ボランティアに参加し、微々たる力にしかなれませんでしたがお手伝いをしてきました。

 

輪島の復興は先が見えない! - タケ・タケ・エヴリバディ!

今年の元旦に大きな地震(能登半島地震)に見舞われた能登地域。その復興がなかなか進まない状況下の9月に、被災地だった輪島市が今度は河川氾濫の大被害を受けました。TV...

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再び輪島へ!日帰りボランティア! - タケ・タケ・エヴリバディ!

元旦の地震被害に続き先月の水害被害を受けた石川県輪島市に、先週に引き続いて災害復興ボランティアに行ってきました。先週の記事はこちら↙️です。輪島の復興は先が見えな...

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で、昨日のこと。「チーム中越」の一員として、この秋3回目の輪島へのボランティアに行ってきました。昨日も早朝(というか深夜)3時半出発、夜の9時過ぎに帰宅という強行軍の日帰りボランティアです。ですが今までの2回が「土砂の片付け」などの肉体労働系のボランティアだったのに対して、今回はちょっと趣向の異なった内容のボランティアでした。

はい。これが今回の活動の告知ポスターです。輪島市の鳳至(ふげし)小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅の談話室で、仮設住宅で暮らすお年寄りに「足湯」のサービスを行うというもの。実は「チーム中越」の女性陣が継続して取り組んでいるボランティア活動なのですが、運転手とサポートスタッフとして男手が必要ということで、今回ボクとKさんの2人にお声がかかったのです。

はい。こんな感じで、仮設暮らし皆さんに足湯に浸かってもらったり、手足のマッサージをしたりしながら話をしたりして、心を少しでも解(ほぐ)していただこうというのが、今回の「足湯ボランティア」の目的です。その内容からも、ボクら男性陣はサポートメンバーであることがご理解いただけますよね。やはり活動には得意分野と苦手分野があります。

現地の運営スタッフの方が、「プライバシーには配慮してほしいですが、ネットやSNSに仮設住宅や避難所での暮らしについて情報を拡散し、多くの人に現状を知ってほしいです」とおっしゃっていたので、今回もボランティアの様子の画像や仮設住宅の名前などもブログの中に載せさせていただいています。ご理解くださいね。

この仮設住宅が建てられているのは鳳至小学校のグラウンドで、すぐ隣の小学校の体育館はまだ避難所になっていて、避難所生活を送っている方も多くいらっしゃいました。ちなみにこの小学校は既に別の場所に移転しており、そこでは輪島市内の6小学校すべて集まって教育活動を行っているそうです。足湯会場になった仮設集会所には、ホワイトボードにこんなメッセージもありました。

ボクら男性陣は、足湯のためのお湯を沸かしたり用具を洗ったりなどのサポート業務をしていたのですが、自然に集会所に集まってる人たちと雑談をする時間も多くなりました。ここに集まっているのはほとんどが高齢の女性で、地震のこと、津波のこと、土砂災害のこと、家族のこと、避難所生活のこと、仮設住宅への入居のこと、将来への不安など、いろいろなことをボクらに饒舌に話してくださいました。おしゃべりすることで、少しはストレス解消になればいいな…と思いました。

ただね。いろいろな不安や不満、問題点もたくさんあるようです。至近距離内に「仮設住宅」と「避難所」があり、それぞれの場所で異なる立場で生活する人達がいるというのも難しい問題です。また、集会所で住民同士やボランティアを相手におしゃべりをして、少しでもストレスを発散できる人はそれでもいいですが、中には仮設住宅の狭い四畳半から出てこない(これない)人もいるわけで(特に男性)、「それも大きな課題です」と現地の支援スタッフの方はおっしゃっていました。

掲示板には、ボランティア等によるいろいろなイベントや炊き出しなどのポスターも貼られていました。これから寒くなりますが、住宅に引きこもらずに身体を動かしたり積極的に他と関わることでエネルギーをもってほしいな…と思いました。

今回始めてこういうスタイルのボランティアに参加させてもらいましたが、ボク自身もとても勉強になりましたし、自分自身の未熟さも感じました。ボランティア参加への声をかけていただいた「チーム中越」の女性部の皆さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

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市民音楽祭で第九を聴いた!

2024年11月18日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

最近、長岡市の中央公民館といろいろお付き合いがありまして、「いろんな市民活動の様子を見てくださいよ」っていうリクエストをいただいています。ボクがガラにもなく芸術作品を見に行ったりするのも、そんな理由なんですよ。先月アオーレ長岡で開催された「市展」を見に行ったのも、その流れからなんです。

 

市展に行ってきました! - タケ・タケ・エヴリバディ!

先週末のこと。アオーレ長岡で開催されている「長岡市展」の開場式に参加し、その後で作品の数々を鑑賞させていただきました。ボク自身はこういう創作系の芸術分野には疎く...

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で、今度は音楽です。市立劇場で行われる「第60回市民音楽祭」で今年は「第九(交響曲第9番)」を市民が演奏&合唱するということで、刺激を受けに行ってきたというわけです。

オーケストラの生演奏を聴くなんて、いったい何年ぶりでしょう。って言うか、ボクの人生でおそらく3回目くらいかな?だいたいボクは、「クラシック苦手派」なんですよ。眠くなったらどうしましょう?って心配しながら、市立劇場に向かいました。

会場の長岡市立劇場には、地元の書道家・柳澤魁秀氏の巨大書「命の輝き」がド迫力で展示されていました。すばらしい!さぁ!いよいよ「市民音楽祭」のスタートです。

今回「第九」を演奏するのは、市民オーケストラの皆さんです。プログラムに掲載されている名簿を拝見したら、なんとまぁ!かつてのボクの同業者・Yさんの名前がバイオリニストの欄にありました。すっげぇ〜!Yさん、退職後にバイオリニストになっていたのか!

さらに「第九」の第4楽章で登場する合唱団の名簿の中には、これまたボクの知人(ちょっと先輩)の名前が2人もあるではありませんか。すっげぇ〜!彼ら、第九を歌うのか!2人とも、ボクよりも少し先輩の年代です。退職後の人生を充実して生きている姿から、ボクも大いに刺激をいただきました。

ですがまぁ心配していた通り、ボクにはクラシックのコンサートは似合いませんでした。もちろん生の演奏や歌声の迫力は素晴らしかったですが、正直言って「第九」の第3楽章までは、心地よく生演奏を聞きながらいろいろなことを考えていました。まるで「思考のBGM」って感じでしたね。これでいいのかな?さすがに第4楽章「歓喜の歌」になったら、その迫力に魅せられましたけどね。

やっぱりコンサート(ライブ)は、クラシックよりも”高橋優”や”あいみょん”や”郷ひろみ”の方がいいなぁ…と思ったしだいです。まぁ、こればっかりはしょうがない。

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仏壇じまい

2024年11月17日 | 徒然なるままに

今年3月で常勤の仕事を退職したボクは、今年の最優先ミッションとして「父が建て住んでいた家の片付け」に取り組んでいます。ボクらもかつて住み、今の住居と隣接しているこの家。父が逝去してもう15年になるのですが、父母の代のみならず祖父母やそれ以前の代からの遺物も多く残る、わが家の歴史がたっぷり詰まった家なんです。父の死後、「ボクが退職したら片付けるぞ!」と家族に宣言して、ずっと後回しにしていたんですよ。面倒くさかったしね。今年になって始めたその片付けの様子を、このブログで何度か記事にしてきたんですが、覚えている方はいらっしゃいますか?

 

粗大ゴミ - タケ・タケ・エヴリバディ!

3月末に常勤の仕事を退職したボクは、4月から時間を見つけては「ある一大ミッション」に取り組んでいます。それは「父が昭和40年代に建てた家を片付けて」→「解体す...

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ボクの解体グッズ - タケ・タケ・エヴリバディ!

3月末で43年間のサラリーマン生活に終止符を打ったボクにとって、令和6年度に目処をつけたい大きなミッションに「15年前に亡くなった父が住んでいた家の片付け」がありま...

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その片付け作業もほぼほぼ目処がついて、ようやく「来年になったら解体工事を始める」計画について、業者との打ち合わせを行う段階までこぎつけました。片付け作業は「あと1割以下」で終了する段階まできたのですよ。

でも、その残り1割が厄介なのです。実は最後に残った片付けの対象は、「仏壇」と「神棚」なのですよ。

わが家はボクが8代目。江戸時代の寛政年間に、初代が本家から分家して以来200年以上の歴史があります。その本家(もう既に家は断絶しています)というのが、以前にブログでも紹介した有名人を輩出している旧家でね。詳しくはこちらをご覧ください。

 

第六十九銀行と山田権左衛門 - タケ・タケ・エヴリバディ!

長岡藩の「三傑」の1人である三島億二郎について、昨日のブログで取り上げました。昨日のブログの内容は、「長岡の復興のために身分を超えて話し合うメンバー『ランプ会』...

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シリーズ「米一万俵」④:大旦那様と八百政家のルーツ - タケ・タケ・エヴリバディ!

わが家(八百政家)は江戸寛政期から続く家で、ボク(八百政)が8代目になります(残念ながら8代で終わる予定です。9代目は埼玉在住。)。わが家の仏壇にしまってある家譜...

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まぁそんなことで、(おそらく)江戸時代から引き継がれていると推測される仏壇が、今もご覧のように仏間に鎮座しているわけです。さすがにこれを燃えるゴミと燃えないゴミに分別して、市のゴミ回収に引き取ってもらう勇気はボクにはありません。菩提寺の住職にも相談し、「仏壇じまい」のお経をあげていただいて仏壇や先祖代々の位牌等は処分し、新たに小さな位牌を作ることにしました。

先日その「仏壇じまい」の儀式を行うため、菩提寺の住職からわが家においでいただいてお経をあげていただきました。わが家の歴史とご先祖様に思いを馳せながらね。「仏壇じまい」は無事に終了し、ようやくこれでボクの肩の荷も下りました。

これで天下晴れて8代目・八百政が、先祖代々受け継がれてきた仏壇を処分いたします。でも、過去帳と御本尊(かけ軸)はちゃんと保管しておくし、小さいけれど新しい位牌も作りますからね。ご先祖様、勘弁してくださいね。なんとか今年中に仏壇と神棚を片付けて、来年の家の解体にこぎつけたいと思っています。

ところで、住職と一緒に仏壇の抽斗(ひきだし)の中を整理していたら、すごいモノが出てきたんですよ。この続きは、数日後にまたブログ記事で

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