今月の初旬に、わが家からすぐ近くの所にある小さな博物館「馬高縄文館」について、ブログの記事にしたことがありました。そうそう、これこれ↙️。記事の題名は「火焔土器と火焔型土器」でしたね。
実はこの「馬高縄文館」で、現在「馬高式土器から栃倉式土器へ」という企画展をやっていて、けっこう興味深い内容だったんです。そしたらこの企画展に関する特別講座が開催されるというので参加を申し込み、この週末に参加してきました。
講座は2部に分かれており、今回の企画展示の発端となった転堂(ころびどう)遺跡の発掘に直接関わった2人の学芸員さんが、それぞれ発掘の様子や画像などを取り入れながら、素人のボクらにもわかりやすく説明してくださいました。
同じ縄文時代の土器ですが、馬高式土器と栃倉式土器はその年代に差があり、馬高式の方が年代的には先で、その後に栃倉式が作られるようになったのだそうです。上の写真にある左側が馬高式土器(いわゆる火焔土器もこれに該当します)で、右側が栃倉式土器です。土器上部の飾りが異なっているのがわかると思いますが、違いはそれだけではなく、土器の胴体部分の文様や形にも違いがあります。
今回、道路の拡張工事のために調査された転堂遺跡は、珍しいことに同じ遺跡の中に馬高式土器と栃倉式土器が発掘されたのだそうです。その発掘に携わった学芸員の皆さんのお話や解釈は熱を帯びていて、聞いているボクらにも発掘当時の興奮が伝わってくるようでした。
以前どこかで、「本当のプロというのは、その専門分野の話を素人にもわかりやすく説明できる人だ」ということを聞いたことがあります。今回の2人の学芸員さんのお話は、まさにそんな感じでした。
1時間半の講義を受けた後で、実際に博物館の展示を見ながらさらに学芸員さんの説明を聞いたのですが、やっぱり「学習したこと」を「実際の目で確かめる」っていう過程は学習を深めますね。ボクは2週間前にも同じ展示を見ていたわけですが、その時とは感じ方がまったく異なりました。「深まった!」って感じです。
実はこの日の講座受講者の中に、小中学校時代の同級生のKくんがいました。Kくんは小学生時代から土器や石器が大好きで、家の近くに馬高遺跡や三十稲場遺跡があったこともあって、当時から「縄文時代のコレクター」としてボクら同級生の中では有名人物でした。
そのKくんと昔話に花を咲かせたり(母校の中学校のグランドを走っていたら、時々土器が出てきたこととか)していたら、講座に参加していた別の方から「地元の方なんですね、すごいですねぇ」なんて声をかけられて、「あぁ!やっぱりボクらは長岡市民だけど、精神的ルーツは『米百俵』じゃなくて『火焔土器』だよなぁ」なんて結論付けたりして、楽しいひとときを過ごしました。あぁ!楽しかった!