長岡藩の三傑の一人である三島億二郎については、これまでもこのブログで何度か触れたことがありました。最近では、この記事ですね。⬇
三傑の中のあと2人、「米百俵」の小林虎三郎と「峠」の河井継之助については、戯曲や映画になったりして広く世間に知られているのですが、この三島億二郎については歴史の中に埋もれてしまってるなぁ…という印象ですよね。もちろんその名前は知っているし、「戊辰戦争後の困窮の長岡を産業復興で立て直した人物」という程度の知識はあるのですが、「具体的に何をしたどんな人なの?」と聞かれても、ボクもなかなか答えられないレベルでした。虎三郎や継之助に関する書籍が多く出版されているのに、億二郎に関する書籍は見たこともありません。
そんな三島億二郎について「もっと広く知ってもらおう」ということで、小中学生向けに地元の「三島億次郎顕彰会」の皆さんが企画して出版した本が、今日紹介する「長岡復興の恩人〜三島億二郎物語〜」です。市内の全小中学校にも寄贈されたこの本を、図書館で借りて読了しました。
この本の表紙にデザインされ、下の写真にもある三島億二郎、はボクが毎週走っているランニングコースである信濃川の土手、長岡日赤病院の裏手に立つ三島億二郎の銅像です。この日赤病院の前身である「長岡会社病院」の設立も億二郎の功績です。
ボクの母校である県立N高等学校の第一校歌に、「明治5年の冬の頃、洋学校の開始より」という一節がありますが、明治5年にN高校の前身である長岡洋学校を設立し初代校長を務めたのも億二郎です。「米百俵の思想」で国漢学校を作った小林虎三郎にも通ずる理念に基づいて設立されました。
他にも、銀行を作って(第六十九銀行の三代目頭取)長岡の産業を活性化させたり、女性の学習の場である「女紅場(にょこうば)」を作ったり、北海道開拓事業に尽力したり、その多岐にわたる活躍の様子は感動的です。
地元長岡の子どもたちがこの本を読んで郷土の偉人の功績やその生き様について知り、夢や希望、故郷に対する誇りをもち、地域に貢献する人材に育っていってくれたらいいなぁ…と切に思いました。ボクら世代の長岡市民にとっても必読書ですね。