あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m
さて、年の瀬にファミうたうpしました!
・【ファミうた】子どもの頃の夢、今でも【いただきストリート2】
ところで、昨年は3つうpした訳ですが・・・
なんというかどれもひどい、色々な意味でw
~~ 1994年の思い出 ~~
ファミうたの元ゲー発売年に僕が何をしてたかシリーズ、2回目です。
いたスト2の発売は1994年なので、その年の思い出を綴ってみます。
25年前の1994年(平成6年)、世間的には・・・
・関西国際空港開港
・松本サリン事件
・消費税5%に
・3DO、サターン、プレステ・PC-FX発売
・スパIIX、KOF94など格ゲー過熱
・・・等があった年です。
そうか、サターン・プレステ発売からもう25年も経つのか・・・。
この年、僕はカプコン2年目でロックマンX2の製作チームにいました。
・・・ツラい記憶しかないorz
何がツラいって、チームの足を引っ張りまくったことです。
激務はまだ良いんです(良くないけど)、
そんなもんは1年目で既に慣れました(慣れちゃいけないけど)。
僕は企画の一員だったのですが、心身ともにズタボロ状態で
ロクなアイデアも全然出ず、工程を遅らせまくってしまいました。
そして、企画が進まないことにはグラフィックもソフトも
動ける訳がなく、本当に迷惑をかけてしまいました。
(ちなみにソフトの発売が延期されるケースはこの業界で度々ありますが、
9割以上は企画の遅延が原因だと個人的に思います。)
という訳で、今回の懺悔。
X2チームの皆様およびカプコン様、
ご迷惑をかけてしまって本当に申し訳ございませんでした。
誰にも言いませんでしたが、
実は1年目で会社を辞める決意を固めておりました。
能力的にも体力的にも、自分にゲーム作りの適性がないことを
痛感していたからです。
だけど「せっかくだから、もう一作くらい関わっちゃおうかな・・・」
なんてスケベ心を出した結果、方々に迷惑をかける結果となりました。
心よりお詫び申しあげます。
「もう辞めよう」なんて気持ちで乗り切れるほどヤワな職場ではなく、
ドン底をのたうち回ったのは必然だった・・・と今になって思います。
さらにもう一人、重ねて謝罪と感謝を表すべきTさんという方がおられるのですが、
こちらはなんとか数年前にお会いして、直接お伝えすることが出来ました。
このTさん、もうキレッキレな企画の方で、たまたまこの時期に
某V社からカプコンに来てX2チームに入ってくれたのが、まさに「地獄に仏」でした。
チーム合流後の活躍たるや、まるでブルドーザーで道を切り開くが如くの牽引力で、
山積みだった懸案事項を片っ端からやっつけて行ってくれました。
もしこの方がおられなかったら・・・怖くて想像したくありませんw
Tさん、返す返す本当にありがとうございました!m(_ _)m
そしてこの年、1994年の暮れに辞表を出し、
有給代休を取りまくった末の翌年2月に僕はカプコンを去りました。
正式に退職するまで、独身寮で廃人のようにゲームしまくってたのが
わりと記憶に残っておりますw
そんなトラウマの塊のようなロックマンX2ですが、
後年になってちょっと救われる出来事がありました。
2008年頃、高知にいる僕の元に同期入社のI君から連絡があり、
「X2の製作について、なんか思い出話とかない?」とのこと。
なんでも、ロックマン誕生20周年を記念して総集本を作るにあたり、
X2の内輪話を語れる人が少なくて困っていたらしいのです。
確かに、あれほどシリーズ作が多かったら(Xは8まであります)
スタッフさんも「これはX2の思い出?それともX3だったっけ?」なんて
ごっちゃになって分からなくなると思いますし、
そもそも人員の出入りも激しくて、エピソードを確保するのが
困難なタイトルが出てくるのは容易に想像がつきます。
その点、僕はX2で打ち止めですし、嫌な思い出は山ほどあるので
それを書き連ねて提出したら、そのほとんどを採用してもらえて
無事発刊の運びとなりました。
原稿料として一冊頂きました!金よこせ!
なんというか・・・
やっぱり嬉しいですね、自分の書いた文章が本に載るのって。
というか、投稿小僧として本に載ったことはちょくちょくありましたが、
執筆者サイドで市販本に載ったのは今までの人生でこれだけです。
本当に、貴重な経験をさせて頂けたと思います。
そして、どのような形であれX2で何かのお役に立てたことは、
ちっぽけなことではありましたが、とても嬉しかったです。
今はただ、あの時のチームの皆々様が、
健やかに過ごされていることを祈るのみですね・・・。
それにしても、カプコンにいた時はその前後の人生と比べて
本当に特異だったうえに、退職して時間が経つので
「あの時代、実は夢か幻かだったんじゃなかろうか?」なんて
思ったりもするのですが、本があり、その中の自分の文章を見ると
「ああ、やっぱりあの時代は実在してたのだな・・・」なんて
不思議な感覚にとらわれてしまいます。
でも最近は、執筆依頼さえも十年以上前の少し現実味のない話なので、
「あれも実は夢だった?」なんて思うようになってきましたw
そう言えば、いたスト2とカプコン両方にまつわる思い出もありました。
企画のM主任が若い企画マンと一緒に「いたスト2」を遊んでいて、
「このゲームのどこがどう面白いのか、しっかり考えろ」みたいなことを
仰っていたことがあり、とても印象に残っております。
このM主任がこれまた本当にすごい人で、
「バイオハザードの生みの親」と書けばピンとくる方も多いと思います。
どのようにすごい人なのかは、なかなか言葉で表すのが難しいのですが、
「このゲームのどこがどう面白いのか、しっかり考えろ」という言葉は
既に退職を決めていた僕にズシンと響きました。
ゲーム業界で最後まで生き残れるのは、あの様な人なんだろうなあ…と
しみじみ思ってしまいます。
長文になりましたが、あと一点だけお許しを。
恩人Tさんと同期のI君はいま、カプコンを離れて同じ会社にいます。
二人だけじゃなく、僕の同期も多く在籍しており、
僕が数年前にTさんとお会いしたのも、その会社での出来事です。
僕はカプコンを辞めた後、堅気に戻って家庭を作り、
彼らはカプコンを離れて会社を作り、ゲームを作り続けています。
そして、僕の子供が彼らの作ったゲームで遊んでいるのを見て、
「なんか、人生色々だな・・・」と、思わず感慨深くなってしまう
今日この頃です。
それでは、今回はこの辺で。
僕に残された使命(!?)、ファミうた作りがんがります!(`・ω・´)シャキーン
今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m
さて、年の瀬にファミうたうpしました!
・【ファミうた】子どもの頃の夢、今でも【いただきストリート2】
ところで、昨年は3つうpした訳ですが・・・
なんというかどれもひどい、色々な意味でw
~~ 1994年の思い出 ~~
ファミうたの元ゲー発売年に僕が何をしてたかシリーズ、2回目です。
いたスト2の発売は1994年なので、その年の思い出を綴ってみます。
25年前の1994年(平成6年)、世間的には・・・
・関西国際空港開港
・松本サリン事件
・消費税5%に
・3DO、サターン、プレステ・PC-FX発売
・スパIIX、KOF94など格ゲー過熱
・・・等があった年です。
そうか、サターン・プレステ発売からもう25年も経つのか・・・。
この年、僕はカプコン2年目でロックマンX2の製作チームにいました。
・・・ツラい記憶しかないorz
何がツラいって、チームの足を引っ張りまくったことです。
激務はまだ良いんです(良くないけど)、
そんなもんは1年目で既に慣れました(慣れちゃいけないけど)。
僕は企画の一員だったのですが、心身ともにズタボロ状態で
ロクなアイデアも全然出ず、工程を遅らせまくってしまいました。
そして、企画が進まないことにはグラフィックもソフトも
動ける訳がなく、本当に迷惑をかけてしまいました。
(ちなみにソフトの発売が延期されるケースはこの業界で度々ありますが、
9割以上は企画の遅延が原因だと個人的に思います。)
という訳で、今回の懺悔。
X2チームの皆様およびカプコン様、
ご迷惑をかけてしまって本当に申し訳ございませんでした。
誰にも言いませんでしたが、
実は1年目で会社を辞める決意を固めておりました。
能力的にも体力的にも、自分にゲーム作りの適性がないことを
痛感していたからです。
だけど「せっかくだから、もう一作くらい関わっちゃおうかな・・・」
なんてスケベ心を出した結果、方々に迷惑をかける結果となりました。
心よりお詫び申しあげます。
「もう辞めよう」なんて気持ちで乗り切れるほどヤワな職場ではなく、
ドン底をのたうち回ったのは必然だった・・・と今になって思います。
さらにもう一人、重ねて謝罪と感謝を表すべきTさんという方がおられるのですが、
こちらはなんとか数年前にお会いして、直接お伝えすることが出来ました。
このTさん、もうキレッキレな企画の方で、たまたまこの時期に
某V社からカプコンに来てX2チームに入ってくれたのが、まさに「地獄に仏」でした。
チーム合流後の活躍たるや、まるでブルドーザーで道を切り開くが如くの牽引力で、
山積みだった懸案事項を片っ端からやっつけて行ってくれました。
もしこの方がおられなかったら・・・怖くて想像したくありませんw
Tさん、返す返す本当にありがとうございました!m(_ _)m
そしてこの年、1994年の暮れに辞表を出し、
有給代休を取りまくった末の翌年2月に僕はカプコンを去りました。
正式に退職するまで、独身寮で廃人のようにゲームしまくってたのが
わりと記憶に残っておりますw
そんなトラウマの塊のようなロックマンX2ですが、
後年になってちょっと救われる出来事がありました。
2008年頃、高知にいる僕の元に同期入社のI君から連絡があり、
「X2の製作について、なんか思い出話とかない?」とのこと。
なんでも、ロックマン誕生20周年を記念して総集本を作るにあたり、
X2の内輪話を語れる人が少なくて困っていたらしいのです。
確かに、あれほどシリーズ作が多かったら(Xは8まであります)
スタッフさんも「これはX2の思い出?それともX3だったっけ?」なんて
ごっちゃになって分からなくなると思いますし、
そもそも人員の出入りも激しくて、エピソードを確保するのが
困難なタイトルが出てくるのは容易に想像がつきます。
その点、僕はX2で打ち止めですし、嫌な思い出は山ほどあるので
それを書き連ねて提出したら、そのほとんどを採用してもらえて
無事発刊の運びとなりました。
原稿料として一冊頂きました!金よこせ!
なんというか・・・
やっぱり嬉しいですね、自分の書いた文章が本に載るのって。
というか、投稿小僧として本に載ったことはちょくちょくありましたが、
執筆者サイドで市販本に載ったのは今までの人生でこれだけです。
本当に、貴重な経験をさせて頂けたと思います。
そして、どのような形であれX2で何かのお役に立てたことは、
ちっぽけなことではありましたが、とても嬉しかったです。
今はただ、あの時のチームの皆々様が、
健やかに過ごされていることを祈るのみですね・・・。
それにしても、カプコンにいた時はその前後の人生と比べて
本当に特異だったうえに、退職して時間が経つので
「あの時代、実は夢か幻かだったんじゃなかろうか?」なんて
思ったりもするのですが、本があり、その中の自分の文章を見ると
「ああ、やっぱりあの時代は実在してたのだな・・・」なんて
不思議な感覚にとらわれてしまいます。
でも最近は、執筆依頼さえも十年以上前の少し現実味のない話なので、
「あれも実は夢だった?」なんて思うようになってきましたw
そう言えば、いたスト2とカプコン両方にまつわる思い出もありました。
企画のM主任が若い企画マンと一緒に「いたスト2」を遊んでいて、
「このゲームのどこがどう面白いのか、しっかり考えろ」みたいなことを
仰っていたことがあり、とても印象に残っております。
このM主任がこれまた本当にすごい人で、
「バイオハザードの生みの親」と書けばピンとくる方も多いと思います。
どのようにすごい人なのかは、なかなか言葉で表すのが難しいのですが、
「このゲームのどこがどう面白いのか、しっかり考えろ」という言葉は
既に退職を決めていた僕にズシンと響きました。
ゲーム業界で最後まで生き残れるのは、あの様な人なんだろうなあ…と
しみじみ思ってしまいます。
長文になりましたが、あと一点だけお許しを。
恩人Tさんと同期のI君はいま、カプコンを離れて同じ会社にいます。
二人だけじゃなく、僕の同期も多く在籍しており、
僕が数年前にTさんとお会いしたのも、その会社での出来事です。
僕はカプコンを辞めた後、堅気に戻って家庭を作り、
彼らはカプコンを離れて会社を作り、ゲームを作り続けています。
そして、僕の子供が彼らの作ったゲームで遊んでいるのを見て、
「なんか、人生色々だな・・・」と、思わず感慨深くなってしまう
今日この頃です。
それでは、今回はこの辺で。
僕に残された使命(!?)、ファミうた作りがんがります!(`・ω・´)シャキーン