『日本書紀巻二十二』推古36年3月の条「三月丁未朔、戊申日有蝕尽之(三月の丁未の朔、戊申[5]に日、蝕え尽きたること有り)」・・・・・、飛鳥京で観測されたであろう部分食の記録です。日本最古の記録ですね~。
持統天皇の時代以後には規則として暦博士が日食予定を計算して、それをもとに天文博士が士がこれを観測して密奏・・・観測記録とその解釈を上奏を行う規則が成立したそうです。日食は国政に大きな影響を与えると信じられていたので・・・当時の日食予知はかなり正確だったらしいですが、そのほかの異常な天文に関する観測については抜けも多くて実際には異常な天文現象が発生しても、天文密奏が行われなかった例も相当数あったらしいです。
平安時代後期には安部氏が天文博士の地位を独占し、その安部氏の中でも陰陽道との密着やら天文についての学説が別れるだのまあいろんなごたごたが起きたみたいですが、
いってみれば星の動きをいろんな流派の星占い師が占って争うみたいな感じか?ただ全員同じ安部一族ですが~
当時曇りや雨で日食を観測できなかったら、日食とは判定?されないで通常のスケジュールに戻ったのかな。
今回の日食を当時風に占えばどんな結果になるのでしょう。
明日は金環日食♪♪
アマテラスが隠れちゃったーなんて考えると確かに吉兆のようには思えないけれど、現代に生きる私にとっては貴重な天文ショーのひとつであります。
楽しみ♪ 晴れて~オネガイ~
持統天皇の時代以後には規則として暦博士が日食予定を計算して、それをもとに天文博士が士がこれを観測して密奏・・・観測記録とその解釈を上奏を行う規則が成立したそうです。日食は国政に大きな影響を与えると信じられていたので・・・当時の日食予知はかなり正確だったらしいですが、そのほかの異常な天文に関する観測については抜けも多くて実際には異常な天文現象が発生しても、天文密奏が行われなかった例も相当数あったらしいです。
平安時代後期には安部氏が天文博士の地位を独占し、その安部氏の中でも陰陽道との密着やら天文についての学説が別れるだのまあいろんなごたごたが起きたみたいですが、
いってみれば星の動きをいろんな流派の星占い師が占って争うみたいな感じか?ただ全員同じ安部一族ですが~
当時曇りや雨で日食を観測できなかったら、日食とは判定?されないで通常のスケジュールに戻ったのかな。
今回の日食を当時風に占えばどんな結果になるのでしょう。
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アマテラスが隠れちゃったーなんて考えると確かに吉兆のようには思えないけれど、現代に生きる私にとっては貴重な天文ショーのひとつであります。
楽しみ♪ 晴れて~オネガイ~