My ordinary days

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ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

応仁の乱、て・・・・・

2011-06-22 08:39:03 | 日記
応仁の乱以来続く長崎・五島の企業、破産へ

読売新聞 6月21日(火)12時42分配信

 創業から約540年の歴史を持つ長崎県五島市のスーパー経営「川口分店」(川口達三社長)が破産申請の準備を進めていることが21日、分かった。

 負債総額は約1億2000万円とみられる。東京商工リサーチ長崎支店によると、同社は九州・沖縄では最古の企業という。

 同支店によると、同社は応仁の乱が起きていた室町時代の1470年(文明2年)に創業。当初は塩田を経営し、その後は業態を変えながら1940年に合名会社を設立。近年は「まるかわストアー」の店名でスーパーを経営していた。2007年5月期決算では約4億円の売り上げがあったが、大型店の進出などで経営が悪化。昨年5月期に債務超過となり、今年4月に店舗を閉鎖していた。



ただただ 凄いなぁ としか言えません。なんとか頑張れなかったのでしょうかね?

ひとのよむな しい(1467)応仁の乱。

細川勝元派(東軍)と山名持豊派(西軍)とが,1467(応仁1年)から11年間,京都を中心につづけた戦乱。

室町幕府第8代将軍、足利義政には実子がなく,弟の義視を跡つぎにきめたが,その翌年妻の日野富子が義尚をうみ,これを将軍に立てようとしたため,両者の跡つぎ争いがおこった。
また,三管領(管領:将軍を補佐して政治全般をとりしまる役職。足利一族の斯波氏細川氏畠山氏が交代で選ばれた)のうち,
斯波氏では義敏・義廉の間で,畠山氏は政長・義就の間で相続争いがおこった。

すでに将軍の力は弱まり,各地の守護大名が力を強めていたが,とくに細川と山名の勢力が強まり,将軍や管領の跡つぎ争いがそれぞれの家の中でおこると,
それぞれが細川勝元と山名持豊についた。このため,2派)の争いは全国的なものとなり,畠山家内でのの衝突から京都を戦場にして乱が始まった。
東軍の細川勝元・足利義視らは24か国の兵約16万を,
西軍の山名持豊・足利義尚らは20か国の兵約9万を動員して戦ったが、長引く戦乱は地方まで広がった。

この乱により京都は荒れ,室町幕府の力はおとろえ,以後,約100年間におよぶ戦国時代へと移って行った。公家や僧らは地方にのがれ,かれらによって京の文化が地方に広まっていった。


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