ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第4回 武生 式部ゆかリの地巡り

2024-07-23 | 日記

第4回 武生 式部ゆかりの地巡り

今回は、7月21日(日)に7名で青春18を利用して福井県の越前市に出掛けました。

7時30分にJR大阪駅に集合して、7時45分発の新快速敦賀行きに乗りました。

休日にしたので、通勤ラッシュも無く、何とか全員座れました。 北陸新幹線が敦賀まで

延伸したので、敦賀~武生は第3セクターになり、追加料金780円取られました。

 

今回の目的地はJRポスターにも紹介されている福井県の越前市です。

 

武生駅前にも紫式部の看板、他が付けられていました。

 

駅前から少し西の越前市役所の前に江戸時代のお城の石垣が再現されています。

 

北西に行くと、本興寺があります。平安時代には、国府が置かれており、
式部は父の国司任命に同行してこの近くに来ました。

 

境内には 式部ゆかりの紅梅があります。
式部は白梅を植えたのですが、娘が紅梅を植えたようです。

 

越前国は石川県、福井県と広く大国だったので国府も広大だったと思われます。
丁度、発掘調査されていました。

 

近くには 国分寺がありますが、どこにあったかは分かりません。

 

平安時代に一宮、二宮、他の神社を纏めて総社となりました。今も多くの人が参拝します。

 

引接寺は天台真盛宗の別格本山です。

 

山門は立派で、細微な彫刻が施されています。

 

昼食は越前そばを頂きました。 大根おろしの汁を掛けて頂きましたが、腰がありとても
美味しかったです。

 

2kmほど離れた所の紫式部公園には黄金の十二単衣の紫式部像があります。

 

式部像が見ている方向には、794mの日野山が綺麗な稜線を見せています。

 

駅近くに絵本作家のいわさきちひろが生まれた家があり、記念館になっています。

 

帰路は 武生駅15時29分発で敦賀で乗換て、18時27分に大阪に着きました。

梅雨明けして、急に猛暑になり、とても暑かったです。 お疲れ様でした。


第3回 京都竜神巡り

2024-06-18 | 日記

第3回 京都竜神巡り

 今回は、6月13日(木)に12名で京都市内の竜神巡りに出掛けました。
 10時にJR及び京阪の東福寺駅に集合し、瀧尾神社に向かいました。

 

瀧尾神社は江戸時代の後期に大丸百貨店の創業者の下村彦右衛門が寄進しました。

 

本殿は平安京以前からの雨、水を司る龍神の高龗神を祀った貴船神社奥院が移築されました。

 

神楽殿の天井には大きくて立体的な龍神が据え付けられています。 
例年はお正月しか登れませんが、今年は辰年なので今も見られました。

 

京阪で祇園四条駅に移動し、建仁寺境内にある西来院に行きました。 
鎌倉の建長寺を開山した蘭渓道隆の750年大遠忌に合わせて整備され3月から初公開されて
います。

 

お庭には中国の峨眉山から頂いた大きい石を中心に中根行宏氏、直紀氏が作庭しました。

 

大広間の天井には女流アーティストの陳漫氏の白龍図が飾られています。 
座敷に寝転んで鑑賞できます。

 

座敷には木村英樹氏の登竜門図があり鯉から龍に変化する瞬間を正面から見た
変わった構図の力作です。

 

次に八坂神社へ。 こちらが正門です。

 

本殿は2020年に新規国宝に指定された祇園造りですが、その下には青龍が棲む龍穴があり
漆喰で固められていると言われています。

 

境内には御神水の湧水があります。

 

美御前社の前には、美容水(身も心も美しく)があり、舞妓さんや化粧品メーカーが
お詣りに来ます。

 

円山公園の中の食堂で昼食をと思っていたのですが、4月にお洒落なイタリアンに変身。
美味しかったです。

 

神泉苑は平安京造営時に設けられた禁苑で歴代の天皇が行幸されました。 
弘法大師が祈雨の修法をし、善女龍王を呼んだお蔭で雨が降り、善女龍王社を祀りました。
祇園祭は八坂神社と共に行われ令和4年から御神水との交換が行われ、神輿を清めています。

 

境内にはその年の恵方に向きを変える恵方社があり、今年は東北東に向けられています。

 

 昔から雨や水を司る竜神巡りはあり、石清水八幡宮から貴船神社まで参ったようですが
そのごく一部を見て回りました。


第2回 柳生街道(1)他

2024-05-22 | 日記

第2回 柳生街道(1) 他

 今回は、5月20日(月)に8名で奈良から忍辱山圓成寺まで新緑の柳生街道を歩きました。
 前日の夜半まで雨が降っていたので心配しましたが、当日の朝は曇り後晴で良かったです。
 10時に近鉄奈良駅に集合し、バスで破石町に移動して歩き始めました。

 

バス停から東に進んで行くとやがて、左手の春日山に白乳神社があります。 
春日神社の末社でよく鹿もいます。

 

やがて山道になり、進むと左手に寝仏があります。 
下見の時には標識があったのに無くなっていて少し迷いました。

 

山道から少し離れた所に、夕日観音と三体地蔵があります。 
しかし、落石注意の標示とロープがあるので、遠くから見ました。

 

更に進むと巨岩に東向きに朝日観音が見られました。

 

休憩所と綺麗なトイレがありますが、まわりには初夏に輝く青もみじが見られました。

 

その近くに荒木又右エ門が試し切りをしたと伝わる首切地蔵があります。

 

田植えも終わっていました。

 

街道の近くに江戸時代の石燈籠もあり、往時は街道が頻繁に利用されていたのが偲ばれます。

 

ゴールが近づき、木洩れ日の山道を快調に進みました。

 

忍辱山円成寺に到着。 秋には紅葉のトンネルが楽しめますがまだ青もみじです。

 

国宝運慶作の大日如来像は相應殿に安置されていますが、多宝塔には像があります。
国宝は撮影禁止ですが、こちらは大丈夫です。

 

国宝の春日堂、白山堂の近くには真っ赤なモミジがありました。 ノムラモミジかも。

 

大きい池があり、周りは新緑が美しいです。

 

16時07分発のバスで近鉄奈良駅に戻りました。 
今回の続きは秋に柳生から忍辱山まで歩く予定です。


第1回 熊野古道と信達宿の藤、他

2024-04-17 | 日記

第1回 熊野古道と信達宿の藤、他

 今回は、4月15日(月)に7名で泉州の熊野古道と信達宿梶本家の藤、史跡海会寺跡、
他の史跡探訪に出掛けました。

 今年はソメイヨシノの開花が大幅に遅れ、藤は大丈夫かなと心配でしたが藤まつりとの
ことで期待して行きました。12時30分にJR山中渓駅に集合して、スタートしました。

 

駅から少し南に行くと、山中関所址の碑があります。 
昔は大坂から紀州に行くのには一番低い峠があったので、その後の鉄道や高速道路も
ここを通過しています。

 

駅まで戻り、大阪方面に旧道を歩きます。中央部は石畳状に整備されています。

 

山中宿の本陣跡です。 峠を越えると紀州なので、ここで衣装を整えたようです。

 

大阪府の一番南にあった馬目王子跡の看板は鉄工所の敷地にあります。

 

地蔵堂王子跡は道路から離れた住宅地の公園にあり、なかなか探すのが大変でした。

 

この付近は深い渓谷が蛇行しており、難所で琵琶法師が落下し死亡したようです。
今なら大きな橋が架けられますが当時は大変でした。

 

信達宿の南端に一ノ瀬王子跡があります。
ここで初めて熊野古道の看板がありますが行政があまり力を入れていない感じです。

 

一ノ瀬王子は大きかったようですが、今では馬頭観音、他があるだけです。

 

お目当ての梶原家に着きましたが、野田藤は二分咲き位でした。

 

先代当主が丹精込めて育てた1本の野田藤が花房4万房に成長しています。 
仮設の足場に登ると迫力があります。

 

信達宿の本陣です。 藤まつり期間の一部の日だけ内部を公開しているようです。

 

ゴルフ練習場の近くに厩戸王子跡の碑と案内板があります。

 

近くに海会寺の国史跡があります。法隆寺式伽藍配置で、講堂、金堂、塔の礎石が残されています。

 

発掘された軒丸瓦は吉備池廃寺と同じ物で、大阪の四天王寺の後、650年頃に海会寺で
使われました。当時の政治の中心地にあった有力寺院と海会寺との間に強い関係が
あったことが分かります。

 

 梶本家の野田藤は残念でしたが、大昔に熊野まで多くの人が参詣するのは大変だった
だろうと偲ばれました。 
9kmと短かったですが、結構、疲れました。 来年も野田藤を見に来たいです。

 


第12回 紀三井寺、紀州東照宮 他

2024-03-28 | 日記

第12回 紀三井寺、紀州東照宮 他

 今回は、3月25日(月)に12名で和歌山の古刹の紀三井寺、和歌浦、紀州東照宮、他に出掛けました。 桜の花は寒の戻りで期待薄でした。

11時10分にJR紀三井寺駅に集合して、スタートしました。

 

紀三井寺は770(宝亀元)年に鑑真とほぼ同時期に来日した為光上人によって開基された
古刹です。西国三十三観音の二番札所です。

 

駅から見ると、紀三井寺のある名草山には靄が掛かっているし、霧雨が降っていました。

 

紀三井寺は名水百選にも認定された三つの名水があるので、まず駅近くの吉祥水を見に行きました。

 

山門をくぐると、いきなり長い階段があります。
しかし、右手にはケーブルカーもあり、後のエレベーターで車椅子の方でも登れます。

 

階段を少し登ると、清浄水があります。

 

少し離れた所に、楊柳水があります。

 

日差しの良い所に、桜の花が咲いていました。

 

本堂の近くでは 一分咲きの桜も。
しかし、TVも来ていた標準木はまだまだ蕾固しという状況でした。

 

対岸の和歌浦方面も靄でよく見えません。
山部赤人が「わかの浦、・・・」と詠い上げた景色が広がります。

 

バスで和歌浦に移動し、予約していたカフェRでランチを頂きました。
農林大臣を務めた岡崎邦輔の元別荘です。

 

天井が高く、開放的で、土足で上がれました。生け花が春らしく、良かったです。

 

これで 1500円は、納得です。

 

玉津島神社の境内には 天然記念物の根上りの松が保存されています。 
根の砂が風雨で吹き飛ばされて、根の部分が露出しています。

 

神社の裏山の奠供山に登ると、和歌浦漁港見えます。

 

神社の東にある小島の妹背山との間には杭州の西湖を模した石造りの緩やかな
アーチ橋の三段橋が架かっています。

 


紀州東照宮です。 家康の十男の徳川頼信が紀州に転封となり、1621年に完成しました。
権現造りの本殿は優美で「紀州の日光」と呼ばれています。 
左甚五郎の虎と龍の彫り物もあります。

 

あいにくの天候でしたが、あまり傘をさす必要も無く、助かりました。
今年は、例年よりも開花が遅れていますが、夏は涼しいと良いのですが。