ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第11回 新世界、通天閣 他

2024-02-19 | 日記

第11回 新世界、通天閣 他

 今回は、2月16日(金)に 15名で大阪市浪速区の新世界、他に行きました。
10時30分にJR新今宮駅東口に集合して、スタートしました。

 


今回は、昔は怖いと言う印象のあった新世界を探訪しました。 
通天閣の塔の照明もネオンからLED化して表示がどんどん変わります。

 


ジャンジャン横丁の人気の串カツ屋の八重勝やてんぐは朝だというのに既に満席でした。

 


1919(大正8)年にドーム式の大阪国技館が建設されました。しかし大阪相撲は衰退し
1925年に中断し、映画館になりました。

 


コロナの最中に残念ながら倒産し、名物の大きいフグ提灯が外されましたが、店跡には
小さいフグ提灯が残されています。

 


横丁に串カツ発祥のだるま本店があります。小さいカウンターだけの店なので、既に満席。
マニアが外で待っていました。

 


1897年に第5回内国勧業博覧会が開催され1912年にこの辺り一帯を新名所にしようと
いうことで「新世界」と命名されました。 
初代の通天閣はパリの凱旋門の上にエッフェル塔を模した通天閣が誕生しました。

 


1956(昭和31)現在の通天閣が建設されたが、2年前に完成した名古屋のテレビ塔の
展望台が90mだったので、91mにして欲しいとの願望が出され、内藤多仲は苦労しました。 
南西角の脚部が喫茶店に掛かつています。

 


今はシャッター街になっていますが、往時は賑わっていた新世界市場です。 
夜には屋台が並び盛り上がっていますが。
ヒョウ柄の衣装で有名な「なにわ小町」は残念ですが、定休日でした。

 


新世界誕生時に新世界稲荷神社が創建されました。 境内には回転式のおみくじがあり、
無料で占えます。

 


1953(昭和28)年に石井修設計で「純喫茶再会」として建てられました。 
1998(平成9)年改修され「ギャラリー再会」になりました。

 


普段、店内は公開されていませんが、建設当初は片岡千恵蔵、他映画スターが来ました。
(以前撮影)

 


通天閣の下部に最近、滑り台が誕生。あっという間に滑り降りるのですが、
千円でも結構、人気があります。

 


1930(昭和5)年に大衆演芸場として建設された新世界国際劇場です。重厚なデザインです。
今も入替無し三本立ての映画は嬉しいです。

 


1910(明治43)年に創業。大衆演芸劇場でミヤコ蝶々、宮城マリ子、デック・ミネ他を育てた
ことで有名です。今も大衆演芸が。

 


通天閣は超満員で諦め、串カツを食べることにしました。 
多人数なのでカウンター席の店は止めて、大正5年創業の「ぎふや」で串カツ三昧。

 


最後は、最近出来た星野リゾートOMO7の2階のカフェで反省会をしました。 
昼間は宿泊客も無く、快適空間でした。

 以前は釜ヶ崎に近く、女性には怖いと思われていましたが、最近は関空からJRや
南海で便利なので外国人の宿泊者が激増しています。 
 大阪駅や京都駅には大型ロッカーが少ないので、まず大型荷物をホテルに預けて、
手ぶらで観光出来るから良いですね。


第10回 伏見五福巡り 他

2024-01-09 | 日記

 第10回 伏見五福巡り 他

 今回は、1月5日(金)に 15名で京都市伏見区の五福巡り、他に行きました。
13時00分に京阪中書島駅に集合して、スタートしました。好天に恵まれ、暖かいお正月です。

 


今回は、伏見周辺の5カ所の寺社を回り、色紙に朱印を押します。
所が、この色紙が売り切れの盛況ぶりでした。これは近くの食堂れんこんで撮影しました。

 


駅から北東に少し歩くと運河と月桂冠の酒造工場が見えます。

 


運河の目の前に長建寺があります。1699年の創建で、伏見奉行の建部政字の名前と
長命息災を祈り長建寺と命名されました。唐様の竜宮門です。

 


ここには珍しい和歌のおみくじがあります。200円で、最初に和歌が書かれています。

 


本尊は遊芸の神の弁財天です。本堂のすぐ手前に仏さまに供える閼伽井水の手水があります。      昔、伏見は「伏水」と書かれ、良質の水が酒作りに利用されました。


次に乃木神社を訪ねました。 ご祭神は明治天皇に殉死した乃木希典、静子夫妻で、
1916(大正5)年に村野山人が天皇陵の近くに創建しました。

 


境内には長府の乃木旧邸や宝物館等があります。その後、明治天皇陵は割愛して
御香宮神社に向かいました。

 


御香宮神社は神功皇后を主祭神として仲哀天皇、応神天皇ほか6柱が祀られています。


鳥羽伏見の戦いでは新政府軍の陣地があったので、佐藤栄作が記念碑を作っています。

 


表門近くに伏見奉行の重税に反対して幕府に直訴した町年寄らの記念碑が建てられています。 
碑文は勝海舟作です。

 


電車で2駅移動して、藤森神社に行きました。5月5日に曲乗りで有名な駆馬神事が
行われる参道です。

 


素戔嗚尊、応神天皇、神功皇后など12柱が祀られている本殿は、極彩色で立派です。

 


五福目は、旧島津藩邸の近くの大黒寺です。 薩摩寺とも呼ばれています。

 


寺田屋で殉死した九烈士の墓を西郷隆盛が作っています。

 


1752~1755年に木曽三川の治水工事を幕府から担当させられ、300万両も使った
責任を取り、自刃した家老の平田靱負のお墓です。

 

 途中、電車も利用したので、徒歩 7.0kmで回れました。お正月でなまった身体を動かせて
楽しかったです。


第9回 千本釈迦堂、船岡山 他

2023-12-09 | 日記

第9回 千本釈迦堂、船岡山 他

 今回は、12月7日(木)に13名で京都市上京区の千本釈迦堂、船岡山、他に行きました。           12時30分に阪急西院駅に集合して、市バスで北野天満宮に移動しましたがバスは超満員でした。

今回の見所は、千本釈迦堂の年末の風物詩の大根焚きです。

 

北野天満宮では 丁度来年の干支の辰の大きい絵馬が飾られていました。

 

天満宮のすぐ東側に上七軒の歌舞練場があります。京都最古の花街の芸道を継いで春の「北野おどり」、夏のビアガーデンも楽しみです。

天満宮への参道の上七軒には、お茶屋が並び、落ち着いた風情が残っています。

 

千本釈迦堂の境内で、大根焚きがふるまわれます。 お釈迦様が35歳の時に、12月8日に悟りを開かれたことに因んで、鎌倉時代から続けられています。

 

大きい大根が3つに甘いお揚げが添えられています。 大根は芯まで味が浸み込んでいて、とても身体が温まります。千円の値打ちはあります。

 

千本釈迦堂(大報恩寺)の本堂は応仁の乱の戦火にも合わず、京都最古の建造物で国宝です。 おかめ信仰でも有名です。

 

石像寺には釘抜き地蔵があり、この世の苦の釘を抜いてくれるという信仰があります。これは堂本印象が奉納したモニュメントです。

 

病気等が治癒した信者は釘と釘抜きのセットをお供えします。

 

浄光寺の境内には 江戸時代の文人画家の池大雅の墓所があります。蕪村との合作の「十便十宜図」は国宝です。

 

鞍馬口通りに1923(大正12)年建築の船岡温泉があります。 唐破風の玄関で欄間や豪華なタイルで有名ですが、15時からなので、まだ開いていませんでした。

 

建勲(タケイサオ)神社への参道からは左手に比叡山、右手には大文字山が綺麗に見えます。

 

明治時代に信長家の子孫が信長をまつる建勲神社を建てました。

 

船岡山山頂には111.55mの三等三角点があり、公園として整備されています。

 

船岡山から東に歩き、堀川に出ると紫式部と小野篁の墓所があります。

 

紫式部はこの付近の紫野にあった蘆山寺で源氏物語を30歳位から書いたとされます。
蘆山寺は秀吉により、現在の京都御苑の東に移築されました。

帰りのバスも超満員でしたが、京都市民の方々の足がこれでは困りますね。

 

 

 


第8回 神戸 布引滝、市章山 他

2023-11-21 | 日記

第8回 神戸 布引滝、市章山 他

 今回は、11月17日(金)に 7名で神戸市の布引滝、市章山、他に行きました。

 夜中に大雨が降っていましたが、10時30分有志で阪急三宮駅から布引滝に出掛けました。

 


神戸三宮阪急ビルの29Fのビューラウンジに上がると本日の目標の市章山と錨山がよく見えます。

 


徒歩で、新神戸駅経由して少し行くと布引滝の雌滝(19m)があります。

 


更に少し登ると、雄滝(43m)があります。周りの岩が白いので、白布をさらしたように
見えることから名付けられました。

 


布引滝の近くの徳光院に行きました。元は7世紀に役小角が創建した滝勝寺がありましたが瀧山城落城で伽藍が失われていたのを川崎造船所の川崎正蔵が徳光院として、1906(明治39)年に再興しました。

 


布引滝の辺りは、まだ紅葉していなかったですが、ここでは見頃でした。

 


多宝塔は垂水区から1938年に移築されましたが、1478年に建立されたもので、県内で最古の物です。

 


一旦、三ノ宮に戻って昼食後、他のメンバーと合流し、タクシーで再度山方面に移動しました。1938(昭和13)年に広大な土地を無償貸与されたと言う碑があります。

 


整備された山道を東に進みます。

 


城山(338m)の山頂付近に滝山城址の碑があります。大阪湾が一望出来る戦略上の拠点で、松永久秀、荒木村重等の使いましたが、1579年信長により、落城しました。

 


西に戻った後、南下すると、市章山の上に出ます。 神戸港や大阪湾が一望できます。
1907(明治40)年に築港起工を記念して松を植栽したのが始まりで、1967(昭和42)年
電飾されました。43度の急傾斜地で、保全も大変と思います。

 


市章山の近くに錨山があります。 1903(明治36)年の明治天皇の観艦式の際に
数百人の小学生が錨形の人文字を作り、日の丸を振って歓迎したのが始まりです。

 


38度の急傾斜地なので、怖かったを思います。

 


らせん状のビーナスブリッジまで下って来ると市街地に近づきます。

 


夜に再度、29階に登ると市章山、錨山が綺麗に点灯していました。 船乗りの良い
道しるべになっていることが分かりました。

 山中では青空が見える好天でしたが、市街地まで下りて来た頃に、雷を伴う雨が降り出しました。大して濡れなくて助かりました。 午前が5km、午後も5kmで程よい汗をかきました。

 


第7回 曽爾高原 他

2023-10-29 | 日記

第7回 曽爾高原 他 

 今回は、10月27日(金)に4名で三重県の曽爾高原に行きました。

 近鉄なんば駅の特急券売り場で、曽爾高原お得キップを購入して、少し早いですが、

上本町駅7時50分発の名張行き急行に乗り、9時06分に名張駅に着きました。

 バスは平日は1本なので混むかもと心配しましたが、乗客全員座れました。


今回の目的地は、ススキが美しい曽爾高原です。 幸いにも快晴でした。

 


バスは曽爾青少年自然の家近くまで登ってくれます。
そこからの山道にマムシグサがありましたが、触ると危険です。

 


西側には、兜岳と鎧岳が綺麗に見えます。

 


南東に亀山が見えます。

 


亀池には水もあり、サギもいました。

 


亀山峠への山道を進むと、亀山と亀池が見えます。

 


亀山への道の途中には鎖も新設されていました。 亀山からは亀池が綺麗に見えました。

 


亀山からの下山道は木漏れ日こぼれる気持ちの良い道です。

 


お得キップならお亀の湯が100円割引です。つるつるした気持ちの良い温泉でした。

 


その後、ファームガーデンのレストランでソーセージや唐揚げと地ビールを飲みましたが、
とても美味しかったです。

 帰路のバスも全員座れて良かったです。 帰阪中に雨が降りましたが、大阪に着く頃には
止んでおり、全員の晴れ男、晴れ女が立証できました。