スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

松戸市立博物館 ~公団常盤平団地~

2008年03月04日 | 「博物館・科学館・動物園」
【前回までのあらすじ】
でれすけは、千葉県松戸市にある「松戸市立博物館」へ行ってきました。
そこには、「公団・常盤平団地」が再現展示してあります。
前回までは、公団団地の玄関、風呂場、ダイニング・キッチンなどを紹介してきました。
今回は、団地の代名詞「2DK」のメイン、2部屋を紹介します。






まず、この写真はベランダ(バルコニーなどとおしゃれな呼び方はしません。団地には「ベランダ」という呼び名が良く似合います。)側の南側6畳です。

基本的に、昭和30年代築の公団団地の居室は「和室」なのですが、当時、洋風生活に憧れた「団地族」の人々は、畳の上にじゅうたんを敷き、「洋間」として使用するのが一般的でした。

再現展示では、「応接セット」が置かれていますが、このようなソファなどを置き、ベランダ側の6畳間をリビングのように使用していた家庭が多かったそうです。

リビングとして使用されることが多かった6畳間には、ステレオ、電話、テレビ、扇風機などが置かれ、電化製品が一般家庭に普及していったようすも再現されています。ちなみにステレオは「日本コロンビア製」です。

写真の右上に、少し分かりにくいと思いますが、「絵」がかかっています。
これは、【「東郷青児」のビーズ絵】だそうで、この時期(昭和37年)、複製画が多くの家庭でかけられていたそうです…。
(本当に、当時の「生活」をここまで再現しているのには、感心しきりです。)

ちなみに、公団常盤平団地のサッシ(窓枠)は木製ではありませんが、でれすけの住んでいた公団団地は、昭和32年入居開始のごく初期の公団団地であったため、サッシは「木製」でした…。
鍵も「差し込み式(ネジ式)」で、かなりレトロな団地でした。

どの団地も、南側の6畳間に、春夏秋冬よく太陽光が入る向きに団地が建てられていました。
そのため、昭和30年代築の団地は、冬でも窓を開けて、日向ぼっこができるという、最高の物件でした。





次いで、北側4畳半です。
写りが悪いですが、ベビーベッドとミシン、整理ダンス、洋服ダンス、三面鏡が部屋を取り囲むように置かれています。
ここには、ベビーベッドが置かれていますが、多くの家庭では、この北側の4畳半の部屋を「寝室」として使用していました。

ちなみに、今まで載せてきた団地の間取りは「日本住宅公団1958年型設計」というタイプの間取りで、これ以外にも、公団団地には様々な間取りがありました。
でれすけは、団地の間取り=「田」を象徴している、この「1958設計」が好みです。



今回は、団地の部屋についてでした。
次回は、「ベランダ」について書こうと思っています。
つづきが、いつになるか分かりませんが…

少しだけ成長した「ひー」。

2008年03月04日 | 「『ひー』のこと」
「ひー」は、とても「小食」な猫さんです。

レトルトのウェットフードは、1度に1/2袋食べたのが最高で、普段は1回の食事あたり、1/3程度しか食べられません。

缶詰も、1/4~1/3が最高で、それ以上食べれたことはありませんでした。

しかし、先日、「ひー」のばあちゃんに「モン○チ」の缶詰を買ってもらい、与えたところ、一気に1/2缶をペロリと平らげてしまったのです!!!

我が子の成長に、思わず目頭が熱くなったでれすけなのでありました…。(←親バカ。)

邪魔をする気はニャいのです…。

2008年03月04日 | 「『ひー』のこと」
でれすけが家でパソコン作業をしていると、必ず「ひー」がやってきて、【邪魔】をしてきます。

しかし、当の本人(本猫?)は、全く「邪魔をしている」という自覚がありません。

むしろ「頑張れ!」と励ましているようなのです。

しかし、でれすけにとっては「仕事の妨害」以外の何ものでもありません。

今日も、「ひー」が書類の上に乗っかるため、でれすけの作業は中断されるのでありました…。