スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

公団高根台団地。

2008年05月05日 | 「団地・建物・給水塔」
今回は、新京成線の「高根公団」の駅名にもなっている、

「公団高根台団地」

です。

この団地は、千葉県船橋市高根台にある公団(現・UR)団地で、昭和36年に入居開始となった団地です。

この団地は、非常に大きな規模の団地で、200棟以上の住棟から構成されています。


この団地、「団地マニア」の間では、非常に有名な団地です。

その理由として、

① 中層フラット層の他、テラスハウス、ボックス型ポイントハウスで構成されているということ。

② 団地の配置計画を担当したのが、「公団団地の最高傑作」と言われている【公団阿佐ヶ谷住宅】や、【多摩平団地(現・多摩平の森)】を手がけた、【津端修一】氏であるということ。

③ 土地の起伏を生かした、素晴らしい住棟配置であること。

などが挙げられます。

しかし、残念なことに、この団地も、建て替え対象になっており、現在、すでに団地のテラスハウスの多くは、取り壊されています。

この、素晴らしい団地に巡礼できる時間も、残り僅かとなりました。

もし、団地や建築に興味のある方は、是非、一度巡礼に行ってみては如何でしょうか。





まずは、案内板です。



住宅都市整備公団のままの案内板に「萌え~」のでれすけなのでありました…。

案内板の、東側のテラスハウスは、既に取り壊しが完了しており、建て替え前線は、ボックス型ポイントハウスの賃貸棟にまで進んでいます。







ここの団地の目玉は「ボックス型ポイントハウス」。

「公団花畑団地」の記事でも紹介したポイントハウスの形です。

階段室側(北側)から撮影した写真です。

「こんなにピカピカなのに、取り壊しちゃうの???」と、ビックリしたでれすけでしたが、それは勘違いでした。
近くにいた住民の方に伺うと、目抜き通りを挟んだ南側の棟は、分譲棟であり、建て替え対象外なのだそうです。
少しだけ、ホッとしたでれすけなのでありました…。







建て替え対象の住棟は、こっち。

1枚目の写真と比べると、ペンキは接げ、老朽化していることがわかります…。







分譲棟は新たに塗装され、美しい外観を保っています。
きっと、昭和30年代には、賃貸棟もピカピカだったのでしょう…。

公団団地の賃貸棟は、18年に1回、外壁の塗り替えを行うそうですが、分譲棟の塗り替えは、どのくらいのペースで行われているのでしょうか…??
ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください






こちらは現存する(絶滅間際の)「テラスハウス」。
住棟番号は、ちょっと「都営団地」っぽい臭いがします。

写真でも分かるように、この団地は起伏が激しいのですが、その起伏を逆に生かして、住棟が配置されています。







中層フラット層。
「庇(ひさし)」のあるタイプの住棟です。

煙突がオシャレ♪

もちろん、ダストシュートはあります…が、使用されてはいません。







168号棟。

住棟番号の位置が、こんなところにあるなんて、ちょっとカルチャーショックです。

すでに、住民の退去が完了していました…。







公団仕様の「柵」。

昔は、中央の穴の所にひもが通っていました。

でれすけの住んでいた公団団地でも普通に見られていたものです。







別のタイプの案内板。






既に退去の完了した賃貸棟のボックスハウス。

見て下さい!!この贅沢な住宅の配置を!!!
芝生に囲まれた高級住宅を思わせます。

こういう団地にも住んでみたかった…。

遠くに見えるのが「テラスハウス」。






公団仕様の街灯。

当たり前のように存在していますが、見納めとなる日も近付いています…。






賃貸棟のボックスハウスの階段室入口。

ダストシュートも、配電盤も健在。

入口の手前に階段があることからも、土地の起伏が激しいことがよく分かります。







散った葉桜と、建て替え直前の団地。

窓のサッシは木製。レトロな感じがオシャレ♪







立ち退きが完了している棟。

もう、誰も「ただいま」と帰って来る事はありません。
47年間、人々の暮らしを守ってきた団地。
今、静かにその役割を終えようとしています…。






半世紀、この地で4650世帯のくらしを支えた高根台団地。

今、人々の想い出になろうとしています。

さようなら、高根台団地…。


公団袖ヶ浦団地。

2008年05月05日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回の団地は、

「公団袖ヶ浦団地」

です。

この団地は、千葉県習志野市袖ヶ浦3丁目にある公団(現・UR)の団地です。
国道14号(千葉街道)沿いにある、比較的大規模な団地で、昭和42年入居開始となった団地です。

現在でも、リニューアルした棟では入居募集が行われている現役の団地で、最寄駅は、京成津田沼駅か、総武線の津田沼駅です。

以前紹介した「公団若松2丁目団地」は、昭和44年入居開始の団地のため、「公団袖ヶ浦団地」は、「公団若松2丁目団地」より、2年程歴史のある団地です。



まずは、団地の案内板です。



団地は、1~7までの区画に区切られており、案内板も、各区画毎に作られています。
こんなところからも、この団地の大きさが分かります。

公団時代の名称が、無理矢理「UR」に修正されています…。









団地のランドマーク的存在である、「給水塔」

ここの団地は、給水塔の周囲が広場になっており、団地の住民の憩いの場になっています。
団地を設計するときに、団地のランドマーク的存在である「給水塔」の配置を工夫した好例であると思います。






「給水塔」は、団地の目抜き通りに沿いの、中央の区画に配置されていて、同じ区画には団地の「管理事務所」や、「銀行」、「郵便局」、「スーパーマーケット(ピーコック)」があります。

「給水塔」のある場所が、団地の中枢になっています。







「給水塔」のフェンスには、「公団」仕様の「立ち入り禁止」札。

ここも、旧・公団の名称の上に、無理矢理URのシールを貼って修正しています…。本当に、あずましくない…。







団地は、「庇(ひさし)」のあるタイプで、昭和40年代築の団地ですが、「ダストシュート」が設置されています。
当然のことながら、現在、使用禁止となっていますが…。

団地は5階建てで、2階以下が何故か茶色にカラーリングされています。

団地の中には、最寄駅行きのバス停が何ヶ所かあります。
ちなみに、このバス停の名称は「団地入口」







大きな通りに接している団地は、綺麗な生垣で目隠しがされています。

ここの住棟番号は「3-6-1」など、各区画の番号が書かれているタイプで、東京ではあまり見かけない表記です。

千葉ではこのような表記が一般的なようで、以前紹介した「公団若松2丁目団地」もこのような表記でした。
ほかにも、松戸市立博物館の記事でも紹介した「公団常盤平団地」も、同様の表記です。






ここは、建物の1階に商店が入っている棟。

「公団若松2丁目団地」にも、このような商店が入っている棟がありました。

近年、大型スーパーが建設され、団地商店街が衰退している中、この団地の「団地商店街」は、賑わっていました。





東京の都心にある昭和30年代築の団地と比べて、この団地に一番特徴的なのは、
「自家用車所有率が異常に高い!」
ということ。
団地の中には、いたるところに「駐車場」が作られていて、所狭しと車が止められていました。

やっぱり千葉では「自家用車」がないと、不便なんですね…。







今回は、「公団袖ヶ浦団地」でした。

気が向いたら、また「団地シリーズ」を書くつもりです…。