スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・19歳)」とその妹「こっちゃん・11歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

星になったペコちゃんを悲しむ「ひー」。

2008年05月12日 | 「『ひー』のこと」
先日、「ひー」の父ちゃんの実家のセキセイインコの「ペコちゃん」が、お星様になりました。8歳でした。

「ペコちゃん」は、自分の名前や色々な言葉を話す、頭の良い男の子で、みんなのアイドルでした。

「ひー」も、ペコちゃんと何度か顔を合わせたことがあったのですが、初めて顔をあわせた時にペコちゃんに威嚇された「ひー」は、猫のくせに「インコ」を非常に怖がるようになってしまいました…

そんな「ひー」でしたが、心ではペコちゃんと通じ合っていたのでしょう…。
ペコちゃんが亡くなったときに、ちょっと不思議なことが起こったのです。

ちょうどペコちゃんが亡くなった頃、「ひー」が、ご飯を吐いてしまったのです。
今までに「ひー」がご飯を吐いたことなど一度もなく、体調も万全で、「吐く」原因が一切見当たらないのに、ご飯を戻してしまったのです…。
吐いた後の「ひー」の体調は、すこぶる良好、ただ、じゅうたんが汚れたくらいでした…。

そんな矢先、ペコちゃんが亡くなったという連絡が…。
まるで、「エサを吐く癖」があるペコちゃんが、一瞬だけ「ひー」に乗り移って「さよなら」を言いに来たみたいに…。
(※鳥は、ヒナに餌を与えるためにエサを吐く癖があるのです。)


「ひー」の父ちゃんを始め、ペコちゃんに癒やされていた家族はみんな、心にぽっかりと穴が開いてしまいました。

どんな種類の動物であれ、ペットを亡くす…ということは、本当に悲しいことです。

今日の「ひー」も、何だかとっても寂しそうでした…。



公団荻窪団地3。

2008年05月12日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回は

「公団荻窪団地」

の最終回です。




前回、まるで廃墟のような外観の「単身者棟」について紹介しましたが、この団地の見所はそれだけではありません。

この団地には、団地の花形、

「スターハウス」

が存在するのです

「スターハウス」というのは、松戸市立博物館の記事の「公団常盤平団地」の項目でも少し触れましたが、一般的に「団地」という言葉を聞いて連想するような「中層フラット棟」とは異なり、上からみると「Y」型の形状をしている「ポイントハウス」の1つです。

この団地には、団地の中央に「スターハウス」があります。

案内板を見て、真っ先に「スターハウス」に向かうでれすけ。








…が、悲しいことに、「スターハウス」は、既に捕えられていたのです








建替え前線の檻に捕えられてしまった「スターハウス」は、15号棟と16号棟。

でれすけが愛して止まない「公団仕様の街灯」も、一緒に捕獲されてしまいました…。

悲しくて、涙が出そうになりました






捕えられた「スターハウス」の向かい側は、「プレイロット」。

都会のど真ん中だというのに、「土」と「緑」に囲まれて育った公団団地の子供は、本当に幸せだと思います…。







プレイロット」にいたノラさん。
まだ赤ちゃん猫さんのようです。
推定、生後3~4ヶ月。

この団地では、このほかに3匹の猫さんに遭遇しました。







猫さんのいた「プレイロット」の北側には、現存する「スターハウス」が

手前のあずまやには、藤の花が綺麗に咲いています







目抜き通り側から見た「スターハウス」。

どの家のベランダにも洗濯物が干してあって、まだまだ「スターハウス」が現役であることが分かります。

しかし、このような姿も、もう見納めです…

スターハウス」も、今、その名の如く「お星様」になろうとしています…。






スターハウス」の階段室側。

ダストシュートも健在です







サービス事業部。







今、半世紀もの長い間、人々の暮らしを支えた昭和30年代築の公団団地が姿を消そうとしています…。

時代の流れで仕方の無いことですが、団地を愛するものとしては、寂しい気持ちでいっぱいなのでありました…




公団荻窪団地2。

2008年05月12日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、前回に引き続き、

「公団荻窪団地」

です。

公団荻窪団地は、昭和33年入居開始となった賃貸型公団団地です。
この団地には、「世帯型」の住棟の他、「単身者向けの住棟」も存在しています。

この団地の入居開始年が、でれすけが昔住んでいた団地と同じである上、カラーリングは異なりますが、全く同じ設計の棟が存在していることから、でれすけは昔からこの団地がお気に入りです

しかし、この団地にも建替え前線が近付いてきており、静かに、その役目を終えようとしています…


ちなみに、ここの「単身者棟」は、団地マニアの間では、ちょっとした話題騒然物件なのです。

なぜ、話題騒然なのかと言うと…。

【百聞は一見に如かず】、実際の写真を見ていただきましょう
















…これが、公団荻窪団地名物(?)「単身者棟」です。

壁の色は黒ずみ、失礼ながら、ちょっと「廃墟」のような雰囲気すら醸し出しています…が、この住棟、まだまだ立派な「現役」で、入居しておられるかたも何名かいらっしゃいます。

外壁の塗り替えが最後に行われたのはいつなのか、全く見当もつかないこの外観…。

そりゃ、マニアの間で「話題騒然」になるのも理解できます









年季の入った「公団牟礼団地」の賃貸棟の外観も、相当、黒ずんではいましたが、これほどではありませんでした…。

同じような単身者棟は、昨年取り壊しが完了した「公団芦花公園団地」にもありましたが、ここまで黒ずんではいませんでした…。

なぜ、「公団荻窪団地」「単身者棟」がここまで黒ずんでいるのか、本当に謎です…。







「単身者棟」の階段室は、南側にあります。
そこにポストや掲示板などが設置されています。
ちなみに、写真の階段は「非常階段」です。






公団仕様の街灯と単身者棟。







単身者棟の撮影をしていると、後ろから猫の鳴き声が…。
振り向くと、茶トラの猫が、こっちを見ていました。

薄暮の中、廃墟のような単身者棟を見て、ちょっと薄ら寒い気持ちになっていたところに、目がピカピカ光った猫に呼ばれ、完全にビビリ&ヘタレになったでれすけ。

足早に家路についたのでありました…


公団荻窪団地。

2008年05月12日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回の団地シリーズは、

「公団荻窪団地」

です。

「公団荻窪団地」は、東京都杉並区荻窪にある公団団地で、最寄駅はJR中央線の荻窪ないし、丸の内線の南阿佐ヶ谷駅です。

前回紹介した「公団阿佐ヶ谷住宅」にほど近い場所にある団地で、2つの団地は600~700メートルほどしか離れていないため、「公団阿佐ヶ谷住宅」に巡礼に行かれる方は、是非、こちらの団地にも巡礼に訪れていただきたいと思います。

「公団荻窪団地」は、昭和33年11月に入居開始になった、戸数875戸のこじんまりとした賃貸型の公団団地で、善福寺川沿いの住宅街に存在しています。

団地の目と鼻の先には、環状八号線(環八)が通っていますが、騒音は全く聞こえず、静かな、とても暮らしやすそうな団地です。





まずは、団地の案内板です。



お約束通り南側を向いた住棟は、どの棟も日当りが良さそうです。

団地中央の目抜き通り沿いには、プレイロットが整備されています。
団地の子どもたちは、団地中央に集まって、遅くなるまで遊んでいたのでしょう…。
団地に囲まれて、外からは「守られた」空間で、子ども達が安心して遊べた…というのは、団地の利点の一つだと思います。

この案内板、新しそうに見えて、まだ「住宅都市整備公団」のままの名称であることにググッときます…。







団地内の、左記の行為を固くお断りいたします。



…読めません

建替え対象団地は、URから見放されて、こういうレトロな案内板が残されている場合が多々あります










静かに取り壊しを待つ11号棟…。
既に窓ガラスは取り外され、あとは重機で取り壊されるのみです。

この「公団荻窪団地」も、半世紀続いた歴史に静かに幕を閉じようとしています。

現在、建替え前線が団地の西側一体に及んでおり、団地マニアのみならず、廃墟マニアにも有名であった「廃墟のような外観の単身者棟」や、「白亜のスターハウス」を巡礼できる日も、残り僅かとなりました。












「十字型」「給水塔」
団地の西側から見た写真です。

酷く黒ずんだその姿から、団地が建てられてからの年月の重さが感じ取れます。

この「給水塔」も、既に建替え前線の「檻」に囲まれています…。







団地の東側から見た「給水塔」

団地のどの場所からも「給水塔」を見渡すことができます。
団地の設計・住棟配置の段階で、給水塔を団地の「ランドマーク」的存在として、重視していたことが見てとれます。

ここの団地の給水塔の形は、個性的な「十字型」。
デザインも、とってもオシャレです




次回は、公団荻窪団地名物「廃墟のような単身者棟」です。

気が向いたら更新します…

公団阿佐ヶ谷住宅。

2008年05月08日 | 「団地・建物・給水塔」
今回の団地シリーズは、「公団団地の最高傑作」とも言われている、

「公団阿佐ヶ谷住宅」

です。

この団地は、東京都杉並区成田東にある、昭和33年竣工の分譲型団地です。

3~4階建ての「中層フラット棟」と、「テラスハウス」で構成されており、閑静な住宅街を杉並高校に向かって進んで行くと、突然姿をあらわす団地です。

この「公団阿佐ヶ谷住宅」、何故、ここまで有名なのか?

それは、テラスハウスの設計を、超有名建築家である「前川國男建築設計事務所」が設計したからなのです。

しかし、それだけではありません。
前回、「公団高根台団地」の記事で紹介した「津端修一」氏が、団地の配置計画を手がけたのです!!

まさに巨匠2人による「夢のコラボ」団地

50年も前に、公団は、今流行りの「デザイナーズ」団地を作っていたのです

そんな訳で、この団地には、団地マニアのみならず、建築学科の学生さんや、土木造園などの学生さんが、よく見学にやって来るそうです。





まずは、団地の案内板。



朽ち果てた感がたまりません。

団地の中央に中層フラット棟が数棟あり、その周囲をテラスハウスで囲んでいるような配置になっています。

言わずもがな、全ての住棟は「南」向きです。








「給水塔」
本当に、この「給水塔」は、色も形も美しい

でれすけは、このタイプの給水塔が一番好きです。
昔、でれすけが住んでいた公団団地も、このタイプの「給水塔」でした。

見た目から「バット型」と呼ばれることもしばしば…








「中層フラット棟」。

ここも「庇(ひさし)」のあるタイプ。
北側に階段室のある、ごく一般的な住棟。






ベランダの柵が、かなり老朽化してそう…。

分譲団地…ってこともあるのか、サッシは木製ではありません。







この団地の、最大の見所とも言える、「前川國男建築事務所」設計の「テラスハウス」

赤い三角屋根のオシャレさん

これと同じ建物は、世田谷区南烏山にある「公団烏山第一住宅(団地)」にも存在しています。

住棟番号のフォントがカワイイ








これも「前川國男」デザイン「テラスハウス」

切妻屋根が可愛らしい

ちなみに、以前書いた記事(「江戸東京たてもの園」)に前川國男の自邸を載せましたが、どことなく、前川氏の自邸を髣髴とさせるデザインです。








つつじがとっても綺麗です。

住民の退去が完了した建物には、板が打ち付けられ、侵入できないようになっています…。

毎年、春になると美しい花を咲かせ、住民の目を楽しませていたであろうつつじ。

この家に住んでいた住民は、もう、この美しいつつじを見ることもないのでしょう…。







このテラスハウスも、退去完了。







南側の窓にも、板が打ち付けられています。

もう、この家には誰も帰ってはきません。

このテラスハウスは、今、静かに永遠の眠りにつこうとしています…。








このテラスハウスは、「公団デザイン」

でれすけは、烏山第一に友人がおり、前川デザインのテラスハウス内には入ったことがあるのですが、この「公団デザイン」のテラスハウスの中には入ったことがありません。

…一度でイイから入ってみたかった

前川デザインのテラスハウス&中層フラット棟の住棟番号が「黒」だったのに対して、「公団デザイン」の住棟番号の色は「茶色」。








「公団デザイン」のテラスハウスも、立ち退き完了。








ちなみに、「公団デザイン」のテラスハウスの17号棟の住棟番号のカラーは「青」。

このフォント&カラーは、でれすけが住んでいた公団団地のものと一緒

思わず目頭が熱くなるでれすけ…









それにしても、緑の多い団地です。

団地に緑がある…って言うよりは、緑の中に団地を建てた…って感じ。








この団地も、もうすぐ取り壊されてしまいます。

テラスハウスはほとんど立ち退きが完了しています。

50年前に建てられた「デザイナーズ団地」も、もう、見納めです…。






公団高根台団地。

2008年05月05日 | 「団地・建物・給水塔」
今回は、新京成線の「高根公団」の駅名にもなっている、

「公団高根台団地」

です。

この団地は、千葉県船橋市高根台にある公団(現・UR)団地で、昭和36年に入居開始となった団地です。

この団地は、非常に大きな規模の団地で、200棟以上の住棟から構成されています。


この団地、「団地マニア」の間では、非常に有名な団地です。

その理由として、

① 中層フラット層の他、テラスハウス、ボックス型ポイントハウスで構成されているということ。

② 団地の配置計画を担当したのが、「公団団地の最高傑作」と言われている【公団阿佐ヶ谷住宅】や、【多摩平団地(現・多摩平の森)】を手がけた、【津端修一】氏であるということ。

③ 土地の起伏を生かした、素晴らしい住棟配置であること。

などが挙げられます。

しかし、残念なことに、この団地も、建て替え対象になっており、現在、すでに団地のテラスハウスの多くは、取り壊されています。

この、素晴らしい団地に巡礼できる時間も、残り僅かとなりました。

もし、団地や建築に興味のある方は、是非、一度巡礼に行ってみては如何でしょうか。





まずは、案内板です。



住宅都市整備公団のままの案内板に「萌え~」のでれすけなのでありました…。

案内板の、東側のテラスハウスは、既に取り壊しが完了しており、建て替え前線は、ボックス型ポイントハウスの賃貸棟にまで進んでいます。







ここの団地の目玉は「ボックス型ポイントハウス」。

「公団花畑団地」の記事でも紹介したポイントハウスの形です。

階段室側(北側)から撮影した写真です。

「こんなにピカピカなのに、取り壊しちゃうの???」と、ビックリしたでれすけでしたが、それは勘違いでした。
近くにいた住民の方に伺うと、目抜き通りを挟んだ南側の棟は、分譲棟であり、建て替え対象外なのだそうです。
少しだけ、ホッとしたでれすけなのでありました…。







建て替え対象の住棟は、こっち。

1枚目の写真と比べると、ペンキは接げ、老朽化していることがわかります…。







分譲棟は新たに塗装され、美しい外観を保っています。
きっと、昭和30年代には、賃貸棟もピカピカだったのでしょう…。

公団団地の賃貸棟は、18年に1回、外壁の塗り替えを行うそうですが、分譲棟の塗り替えは、どのくらいのペースで行われているのでしょうか…??
ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください






こちらは現存する(絶滅間際の)「テラスハウス」。
住棟番号は、ちょっと「都営団地」っぽい臭いがします。

写真でも分かるように、この団地は起伏が激しいのですが、その起伏を逆に生かして、住棟が配置されています。







中層フラット層。
「庇(ひさし)」のあるタイプの住棟です。

煙突がオシャレ♪

もちろん、ダストシュートはあります…が、使用されてはいません。







168号棟。

住棟番号の位置が、こんなところにあるなんて、ちょっとカルチャーショックです。

すでに、住民の退去が完了していました…。







公団仕様の「柵」。

昔は、中央の穴の所にひもが通っていました。

でれすけの住んでいた公団団地でも普通に見られていたものです。







別のタイプの案内板。






既に退去の完了した賃貸棟のボックスハウス。

見て下さい!!この贅沢な住宅の配置を!!!
芝生に囲まれた高級住宅を思わせます。

こういう団地にも住んでみたかった…。

遠くに見えるのが「テラスハウス」。






公団仕様の街灯。

当たり前のように存在していますが、見納めとなる日も近付いています…。






賃貸棟のボックスハウスの階段室入口。

ダストシュートも、配電盤も健在。

入口の手前に階段があることからも、土地の起伏が激しいことがよく分かります。







散った葉桜と、建て替え直前の団地。

窓のサッシは木製。レトロな感じがオシャレ♪







立ち退きが完了している棟。

もう、誰も「ただいま」と帰って来る事はありません。
47年間、人々の暮らしを守ってきた団地。
今、静かにその役割を終えようとしています…。






半世紀、この地で4650世帯のくらしを支えた高根台団地。

今、人々の想い出になろうとしています。

さようなら、高根台団地…。


公団袖ヶ浦団地。

2008年05月05日 | 「団地・建物・給水塔」
さて、今回の団地は、

「公団袖ヶ浦団地」

です。

この団地は、千葉県習志野市袖ヶ浦3丁目にある公団(現・UR)の団地です。
国道14号(千葉街道)沿いにある、比較的大規模な団地で、昭和42年入居開始となった団地です。

現在でも、リニューアルした棟では入居募集が行われている現役の団地で、最寄駅は、京成津田沼駅か、総武線の津田沼駅です。

以前紹介した「公団若松2丁目団地」は、昭和44年入居開始の団地のため、「公団袖ヶ浦団地」は、「公団若松2丁目団地」より、2年程歴史のある団地です。



まずは、団地の案内板です。



団地は、1~7までの区画に区切られており、案内板も、各区画毎に作られています。
こんなところからも、この団地の大きさが分かります。

公団時代の名称が、無理矢理「UR」に修正されています…。









団地のランドマーク的存在である、「給水塔」

ここの団地は、給水塔の周囲が広場になっており、団地の住民の憩いの場になっています。
団地を設計するときに、団地のランドマーク的存在である「給水塔」の配置を工夫した好例であると思います。






「給水塔」は、団地の目抜き通りに沿いの、中央の区画に配置されていて、同じ区画には団地の「管理事務所」や、「銀行」、「郵便局」、「スーパーマーケット(ピーコック)」があります。

「給水塔」のある場所が、団地の中枢になっています。







「給水塔」のフェンスには、「公団」仕様の「立ち入り禁止」札。

ここも、旧・公団の名称の上に、無理矢理URのシールを貼って修正しています…。本当に、あずましくない…。







団地は、「庇(ひさし)」のあるタイプで、昭和40年代築の団地ですが、「ダストシュート」が設置されています。
当然のことながら、現在、使用禁止となっていますが…。

団地は5階建てで、2階以下が何故か茶色にカラーリングされています。

団地の中には、最寄駅行きのバス停が何ヶ所かあります。
ちなみに、このバス停の名称は「団地入口」







大きな通りに接している団地は、綺麗な生垣で目隠しがされています。

ここの住棟番号は「3-6-1」など、各区画の番号が書かれているタイプで、東京ではあまり見かけない表記です。

千葉ではこのような表記が一般的なようで、以前紹介した「公団若松2丁目団地」もこのような表記でした。
ほかにも、松戸市立博物館の記事でも紹介した「公団常盤平団地」も、同様の表記です。






ここは、建物の1階に商店が入っている棟。

「公団若松2丁目団地」にも、このような商店が入っている棟がありました。

近年、大型スーパーが建設され、団地商店街が衰退している中、この団地の「団地商店街」は、賑わっていました。





東京の都心にある昭和30年代築の団地と比べて、この団地に一番特徴的なのは、
「自家用車所有率が異常に高い!」
ということ。
団地の中には、いたるところに「駐車場」が作られていて、所狭しと車が止められていました。

やっぱり千葉では「自家用車」がないと、不便なんですね…。







今回は、「公団袖ヶ浦団地」でした。

気が向いたら、また「団地シリーズ」を書くつもりです…。




暑い5月。

2008年05月02日 | 「『ひー』のこと」
昨日、おとといの東京は、夏日になりました。

突然の気温上昇に、「ひー」はダルそうにしていました。




「今日は暑いニャ~。」





「暑いと、やる気がおこらないニャ!」






「ぼけ~。」






「ぼけ~。」




寒い冬が苦手な「ひー」ですが、暑い夏も苦手なのでありました…。