ニュース報道で裁判員裁判で死刑を選択した事で悩んでいる民間人を取材していた。
凶悪犯人を善意の第三者的に見る怖い思考が芽生えている現実に驚きを覚えた。
これには、確たる理由が有ることだ。
その答えは、死刑確定でありながら長い年月を経過してしまって死刑確定囚人も善人に見えてきている証拠で有ろう。
西洋の言葉に、罪を憎んで人を憎まずであろう・・・
法務大臣の職務怠慢がそうさせている事実を再度自覚して、民間人を苦しめる様な裁判員制度の改良点を願いたい。
但し、冤罪的な死刑確定者には真実が明確になるまでは決して執行しては成りませんぞ。
死刑廃止論には異議を申したいが、何でもかんでもを死刑と言う訳ではない。
死刑とは被害者遺族の立場に立ったバランスの取れた刑であるのと、殺人事件根絶の意味も含まれていると考える。
日本の法は加害者擁護が行き過ぎている様に思えて仕方がないのは私だけであろうか・・・
この点が理解出来ないのである。
*殺人の 対価交換 死刑なり*