世之主神社の周辺には細くて狭い道がいくつかあったようですが、神社に向かうメイン道は1本だけだったようです。付近は現在よりも山も多かったようで、その山の谷間に道があり、谷間の道という意味のナイバサマと呼ばれた道があったそうです。漢字では「鳴挟間」と書くようで、昭和39年まで使用されていた道です。1300年代に存在していた道なのかは分かりませんが、古くから使われていた道だといいます。このナイバサマ、現在はその一部だけが残されています。
地図上の②のポイントから青いラインが現存するナイバサマです。
右横の畑(水色)は、昔は山でした。その山の中は少し谷間になっていたのかもしれませんね。青いラインの道であるナイバサマがあり、その先は現在は通れないようですが、推測ですがオレンジの点線にそって神社への登り口(入口B))まで行ったのかもしれません。
②の地点はこちらです。
道路沿いに木々が少し開けて、登っている出入口が見えます。
町民運動場の駐車場案内板のすぐ横が出入口です。
大正14年の地図でも出入口が書かれています。
出入口をもっと近くで見ると、山道への入口といった感じです。真っ暗ではなさそうです。
中に入ってみると、太陽の光が木々の隙間から差し込んでいて、意外に明るいです。ずっと奥の方まで人が歩ける道が続いています。当時は牛を使いサトウキビなどを運んでいたそうで、その牛が一頭やっと通れる程の道幅です。
ずんずん進んでいくと、先の方に木々の輪が見えます。木立から抜けるところか?
木立の輪の先は、少しだけ広い感じですが竹や草木が生い茂っていて、これ以上は進めそうにはありません。前方の左右2方向に分かれた道があったような形跡があります。先の方が少し木々が開けたように見えますので、もしかしたらここが伝承されている少し広くなった三叉路だったのかもしれません。
この道が神社下まで続いていたかを確かめたく、もっと先に行ってみたい気がしますが、ちょっと無理そうです。
アスファルトやコンクリートの道路が出来る前の、歴史を探る貴重な道が少しでも残されていたことには感激です。
1400年頃の世之主が生きた時代にこの道があったのかは分かりませんが、少なくとも当家のいつの頃からかのご先祖様が代々歩いた道であることは確かです。数百年前に少しだけタイムスリップした感じがしました。
貴重な道ですので今後も保存をしてほしいと共に、調査によって何か発見されることを期待したいですね。
夕方暗くなってからの出入口は真っ暗です。電気の無い時代は、とても通ることはできなかったでしょうね。
夕方に出入口から外を見ると、中学校のグランドの明かりが見えます。何だかホッとします。