世之主神社へ登る鳥居下の参道階段ですが、現在は経年で石積みの階段が崩れているところも多いようで、今後修復の予定があるようです。
この参道階段ですが、神社が建立された明治初期に作られたようで、世之主の城があった1400年頃の時代には無かったのかもしれません。それはそうですよね。城まで真っすぐに簡単に登れる道など作るはずはない。そうなると、同じ場所にもっと通りにくい道があったのか?それか別のルートがあったのか?
大昔の城があった時代にはどのようなルートでの道があったのか気になるところですが、最近になってこの明治期に作られた参道の下から昔の道らしきものが発掘されているようです。
詳細は分かりませんが、この昔の道は今の参道と同じルートなのか?それとも別のルートなのか?
大正14年の地図には、神社の下をぐるっと囲んだような道があります。
現在の様子に当てはめて見ると、こんな感じでしょうか。正確な位置関係は分かりませんが、境内下のところをぐるっと囲んだような感じですね。
お爺様の記録によれば、右側の黄色い印当たりの場所(斜面の下になります)に、昔は宗川というのがあって、宗川の泉にはいつも水が湧いていて、世之主の時代もそこから水を汲んでいたといいます。
現在の宗川は恐らく畑の端にあるコンクリートで囲った溝です。
このあたりが泉???
だとしたら、もう泉ではないようですね。
この泉あたりから神社に登る道があったと聞きますので、もしかしたら大正期の地図にある道が左手の薮の中にあり、宗川の泉を通ったと言われる道だったのかもしれません。
あくまで憶測ですが、こうして今となっては分からなくなった道を辿るのも面白いです。
発掘調査が進み、昔の道が明らかになったらいいなと期待しています。