徳之島出身の坂井友直先生著の「奄美郷土史選集」 はVol.147の記事でご紹介しましたが、その中に1700年台における琉球王家の奄美譜代筋六十六家の記録がありました。
この資料は、徳之島伊仙町の永喜氏所蔵「三家録」に書かれているようです。
沖永良部島には8家が該当していますが、そもそも「譜代家」というのは、代々琉球王家に仕えているという意味です。ある資料によれば、第8代国王(在位1621年 - 1640年)であった尚豊王以前より王家に仕えていた家を譜代と呼んでいたようです。そしてこの家々は王家に仕えていたということで、琉球士族であったようです。
沖永良部の8家のうち、当家は池悦(分家)・平安統(本家)が該当します。しかし他の6家も親戚になるようで、お爺様の書には親族として名前が記録してあります。
嫁にいったり来たりといった感じの婚姻によってできた血縁なのか?そのあたりの詳しい事情は分かりませんが、親戚筋であることは間違いありません。
この記録が書かれたのは、1749(寛延2)年です。薩摩侵攻から約150年後で、今から272年前ですが、この時点で当家が琉球士族であったことが記録されていたのです。
上記にある「譜代家」という捉え方が正しいのであれば、尚豊王が在位した1621年以前からの琉球士族ということになります。
当家の記録上の始祖は1619年生まれとされる中城という人物からです。この方は薩摩支配になってからは大城与人であったことは分かっているのですが、それ以外の情報が残されていません。しかし、上記の記録から分かるのは、この中城は琉球士族であったし、彼の親も士族であったのでしょう。
まだまだ分からないことだらけですが、少しずつ少しずつあちこちにある情報が集約され蓄積されていっております。