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先祖を探して

Vol.193 宗家コレクション(6)示現流聞書


当家の記録上の4代目当主であって平安統惟貞が、遠島罪で沖永良部島に来ていた東郷実勝と親しくなり、示現流を学んでいた話はVol.110、111,140で書きましたが、その東郷実勝が残した示現流聞書などが当家の大事な宝の1つとして保管されています。

残念ながらまだ全体のデジタル化はできておりませんので、コピーの一部と写しの開示だけになりますが、以下のような文書です。




以下は上記の文書を先田先生が書き写したものです。

上の文書は、1623(元和9)年に東郷重位(流祖)が記したものの写しです。
兵法などには全く詳しくないので、何が書かれているのかは分かりません。
心などの文字が数か所に見れるので、心構えのような教訓書でしょうかね。

下の文書は示現流の秘伝書のようで、原本から先田先生が書き写したものです。











上からA-B-Cと3枚になっていますが、実際にはB-A-Cの順番のようです。
最後に東郷実勝(藤十郎)の直筆の署名と花押しと朱印が押されています。
この秘伝書を実勝が1747年に当家の平安統惟貞に授けたのです。
当家には樫の木で作られた長短の木刀が二振あり、柄の尻には実勝の焼印があったそうです。この木刀は、まことに残念なのですが、その後の子孫が子供時代の遊び道具として使っていたようで、割って壊してしまい、その後はなくなってしまったと聞いております。
実勝は鹿児島から持参した木刀や秘伝書を与え、武術を指導し、平安統惟貞との子弟関係を深めたようです。
大正2年に島伊名重が書いた聞書には、平安統惟貞は実勝の第一の高門弟だと書かれています。

薩摩時代には薩摩藩士がよく家に訪ねてきていたようで、恐らく示現流の秘伝書などは代官所の役人にとっても手に入れたい重要な宝物であっただろうといわれています。代々島役人をしていたので、事前に来訪が分かっていたので、その時にはお宝一式を分家に持っていったりして隠していたそうです。
これらの古文書はもう保存状態もあまり良くはありません。
文書そのものの古文書ととしての価値は分かりませんが、遠島人と島役人との交流の様子を証明する文書としての歴史的な価値は高いのではないかと思います。


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コメント一覧

yononushi
@mitsugiri mitsugiri様
実勝が島に来た時には二段までマスターしていたのであれば、当家の平安統は基礎の習得だったのかもしれませんね。情報ありがとうございます。
島には薩摩の武士は役人としていたものの、彼は島育ちで大和の武士の文化には馴染みが薄かったと思いますので、実勝の示現流にはとても興味を示したでしょうし、かなり精力的に稽古に励んだのではないかと思っております。
mitsugiri
示現流の段位は四段までで、実勝は流刑以前には二段まで伝授されたとか。
実際には五段まである、という説もあります。
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