CubとSRと

ただの日記

朝湯とパンと包(くる)みボタン

2025年03月19日 | 日々の暮らし
 2月25日(火)

 朝6時20分から散歩に出る。6時40分には帰宅。
 昨日までとは打って変わった朝だった。暖かい、とまでは言えないが。

 朝食後、朝風呂に入る。小原庄助さんと違って朝寝も朝酒もしないけど朝風呂は好物だ。
 この間から、夕食はともかく陽のあるうちに風呂に入る、ってのは意外に良いかもと思い始めている。
 
 朝風呂の後、炬燵で休憩、それから買い物、と思っていたのだが予定変更。休憩してたら出るのが遅くなる。昼から出るとなるとタイトになる。
 居眠りの心配のないカブで行くのだから、と10時半頃家を出た。

 今日の予定は、①カブの空気圧点検、②鈴蘭台の生協で資源ごみ出し、③三宮ユザワヤで包みボタンを買う、④珈琲店でコーヒー購入。
 ツイードのジャケットの包みボタンと同じものはなかった。大きさも違うし色合いは更に違う。もしかしたら壊れてしまった包みボタンは、このジャケット用に作られた特注品かもしれない。
 取れてしまった袖ボタン一個だけ替えると妙な感じになるから、残りの3つも付け替えてもらおうと思って4つ購入。

 折角カブで三宮まで行くのだから、うまくいけばドンクでバゲットを買おう。そう思っていたのだが、ここからならビゴの店に行ってもいいかと思い始めた。ユザワヤは二軒の中間地点にある。ドンクは売り切れている可能性が高い。先にビゴの店に行ってみようか。

 今日はみんなスムーズにいった。
 帰宅してから、今日一日走り回ってくれたカブのチェーンにオイルを注す。
 カバーケースの下半分を外し、簡単に掃除もした。珍しくワックスがけ迄。
 5年くらいやってなかった気がする。


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習ったことの内訳

2025年03月18日 | 心の持ち様
 書評 BOOKREVIEW 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 戦争指導者たちの謀略と工作、列強は共謀していた
  日本存亡の危機はこうして仕掛けられた
  ♪
 渡辺惣樹『第二次世界大戦とは何だったのか』(PHP文庫)
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 問題作の文庫化である。
 著者の渡辺氏が大学受験のおり、なぜか「毛沢東の生地はどこか?」という設問があったという。
 共産主義者がその出題の裏に込めたのは政治プロパガンダであり、戦後の日本の歴史というガクモンはフェイクと似非歴史学者で満ちていた。大学入試に共産主義チャイナの独裁者の生地が何処かなどと訊いてどうなるというのだ。

 脱線だが、評者(宮崎)は毛沢東の生家(湖南省長沙市の南西、湘潭市の韶山市韶山郷韶山村)には二度行っている。最初は四半世紀前、長沙に三日ほど滞在しておりに、現地の旅行社が観光ツアーを催行していたので20名定員のマイクロバスにもぐりこんだ。劉少奇の生家見学とセットだった。劉少奇の生家跡は広い敷地に図書館なども整備されていて、地元の人々がどちらの指導者を尊敬しているか、よく分かる。
 当時の毛沢東生家跡は「革命聖地」として宣伝をはじめたばかりで、見学者は少数。広い農家には馬小屋もあって、前庭には蓮の池(いかにもという風情)、土産屋には毛沢東がいかに偉かったというヴィデオなどを売っていたがほこりをかぶっていた。
 十五年ほど前、「暴走老人・中国探検隊」(?)を組織して(メンバーは高山正之、樋泉克夫氏ら数名)フライングタイガー跡地などを克明においかけ最終日前夜、日程をドタキャンし毛沢東の生家へ行こうということになった。
 マイクロバスを一台チャーターして、かなり行き当たりばったりの旅で、ガイドは若い中国人で日本語も流暢だが、モン族だった。
 彼は驚いた表情を見せたが、追加金をしはらうというとニンマリし、評者にとって二回目の訪問となった。
 驚いたの 何のって! 観光客でどっさり、土産屋のアーケードが百店舗、まわりのレストランは「毛沢東ご愛用のメニュー」、「毛家の家庭料理」等々。観光バス用の駐車場まで出来ていた。

 閑話休題。
 かくして歴史フェイクは後智恵で作り替えられる。
 キャパはスペイン戦争で演出した写真をとって戦場のものと詐り、欧米の共産主義宣伝部は南京事件をでっちあげた。ピカソは共産主義者だった。
 ついでに言えばスペイン内戦に参加した欧米の「知識人」とかは、皆が左翼の政治アジテーションに乗せられたのだった。

 本書で詳述されたようにチャーチルは娘二人にハニートラップを強要し、欧米の政治家に近づいて対日参戦へ誤導することに成功した。チャーチルの陰謀はようやく近年になって歴史の真実として浮かび上がってきた。
 日本で、チャーチルの工作を克明に描いたのは渡辺惣樹氏である。

 さて渡辺氏と評者には弐冊の共著がある。
 そのなかで、島原の乱における徳川の辛勝は、オランダの火砲によるところが大きいと指摘した。その際に渡辺氏が指摘したもう一つの重要ポイントは、「(当時)ヨーロッパで続いていた三十年戦争(1618~48)の局地戦である」とし、「カトリック教徒とプロテスタントの壮絶なヨーロッッパの戦いは、島原の局地戦ではプロテスタントの勝利となった。徳川幕府軍に与したオランダ軍船からの砲撃は原城に籠もるキリシタンの戦いの意思を挫いた」
 島原各地、天草全域と原城を取材したこともある評者には、このプロセスが現場に立つと了解できる。
 「切支丹伴天連の反乱」とは言うものの、参加した軍団は小西残党と豊臣の逃亡者集団が主体、農民たちは強制的に城に閉じ込められた。武器と軍資金は豊臣の隠れ資産が流用された。
 小西行長がキリシタン大名だったので天草に伴天連が逃れていたのは事実だろうが、乱の首謀者たちは食いっぱぐれの浪人であった。

 本書を読みながら歴史をねじ曲げた要因を考えてみた。
 なぜ戦後の歴史教科書はかくも醜くねじれたのか?
 第一は「左翼リベラル思想を基本にした歴史解釈」が主流となって、かれらに不都合な事変や経過を取り上げない。マルクス思想に馴染まない事件である。その一方で、歴史的に証明されなくとも、左翼の鼓舞となるなら、ささいな事件でも針小棒大に取り上げるのだ。
 第二に新発見の資料に対して左翼史家は「冷ややかな態度」で接し、かれらの過去の作品は新資料で全否定されるから、隠蔽するか無視する。
 初歩的な疑念をいだくことが、歴史の真相にちかづける第一歩である。


     ☆○◎☆み◎☆◎○や○☆◎○ざ☆○◎☆き☆◎○☆  




 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和七年(2025年)3月15日(土曜日)
         通巻第8695号 より
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掟(一飲二休)

2025年03月17日 | 日々の暮らし
 2月14日 続き

 10時過ぎ、小原孝のピアノが流れる中、「散歩に行こうかな」と炬燵の中で考える。
 障子にあたる冬の陽射しは目まぐるしく強さが変わる。
 よくよく見ると、障子にたくさんの斑点が映ることもある。
 冬の陽射しと小雪が同時に降り注ぎせめぎ合っている、ということらしい。

 「じゃ、もう少し後にするか」と思っているうちに昼を回った。
 勿論既に炬燵を出ている。
 明日のブログ記事を用意したりネットの記事を見たりしているうちに2時になる。これはいけない。
 何故って、「前回二日続けて酒を飲んだから、四日間飲んではいけない」というのが自分ルール。その四日が過ぎて今日は五日目だ。
 そして「(当日)散歩に出なければ飲まない(雨で散歩に出ない日は除外)」というのも同じく自分ルール。
 つまり「今日飲みたきゃ散歩に行け」ということ。

 散歩といっても普段と同じじゃ酒も美味くないから、いつもの約2倍(早い話がスーパーマーケットまで)歩き、「ついでに」酒の肴も買う。
 でも気が変わったら帰りは店の前からバスに乗る。
 そう思った。思ったが散々悩んで結局ショルダーバッグは置いてリュックサックを背負っていくことにした。
 小さいショルダーバッグでも意外に歩きにくい。買い物をして片手がレジ袋で塞がれば更に歩きにくい。
 リュックサックは歩きにくいなんてことはない。よっぽど多くの買い物でなければ、レジ袋を持つこともあるまい。

 クレープソールのワラビーで出るのは2年ぶりくらいか。
 いつものことながら生ゴムの靴は履いてしばらくは硬い。足の温もりが伝わるからなのか、履いて十分か二十分経てば足に馴染んだ風でコツコツという靴音がいつの間にか聞こえなくなる。
 デザートブーツの倍近い厚さのあるワラビーのソールは、もっと時間がかかるみたいだが、それでもスーパーから帰る頃には全く音がしなくなっていた。

 
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凍った景色

2025年03月16日 | 日々の暮らし
 2月24日(月)

 SRで出ようと思っていたが、昨晩寝る前に窓外を見たら、夜目にも真っ白な近所の景色が映った。
 空は晴れている。おまけに月も見える。風はない。
 遠くを見ると神戸空港の上空に着陸許可待ちらしい飛行機の灯りが見える。
 二機が待機中らしい。
 これはどう見たって明朝は路面が凍っているな、と確信。

 朝、やはり風はなく、空は晴れて雲一つない。
 やはり道は白いままだ。何より冷え込んでいる。
 腰の痛みはさほどでもなかったが、珍しく右足が痛い。やはりこの寒さのせいだろう。無理して散歩に出て転倒でもしたらコトだ。
 今日は振り替え休日だから、別に早朝散歩でなくたって良い。学校は休みなんだから通学中の児童に遭遇する心配なし。
 改めて8時に目が覚める。8時20分までベッドに居た。

 ラジオを点けると何だか賑々しい曲が流れてきた。朝っぱらから喧しい。
 クマガイタツローはもっと喧しい。とは言え、どちらも嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、今は脚が痛い。痛みを倍増させるわけじゃないが気分に合わない。だからと言ってラジオを切っても気分が高揚する筈もない。

 ならば起きて朝食。これが一番元気が出る。食べて炬燵に入れば充足感が生まれる。経験則。
 起きて「ピザトースト」と「卵トースト」という新製品をそれぞれ一つずつ買っていたので、こいつをオーブントースターで温め、オニオンスープ(勿論インスタント)を作って朝食。
 予想通り、一遍に朝が来た。

 定石通り、朝食の片付けの後、炬燵に潜り込み「音楽遊覧飛行」を待つ。
 ベッドから出て朝食を終えても、続いていたのはブルックナーの一連の曲だった。
 ワーグナーは映画「地獄の黙示録」で使われていた「ワルキューレの騎行」をテレビCMで知り、何となく身近に思うようになっていたが、似たような名前のブルックナーは何だか名前ばかりが耳について、これまで氏の曲を聞こうとは思わなかった。が、今朝の右脚痛の中で聞いた割には悪印象は持てず。
 もしかしたら死ぬまでには好きになるかも。
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肝腎要の

2025年03月15日 | 日々の暮らし
 2月23日(日)

 そう言えば昨晩(夕方)洗濯をしたんだった。
 日暮れまでにあと一時間くらいの頃、干しにかかった。

 濡れ縁に出て半分干して、残りを取りに室内に戻る。
 出ていた時は何とも思わなかったのだが、室内に戻ってハンガーにシャツを掛けて形を整えていると、何だか妙な感じがした。
 さほど寒いとも思わないのに吐く息が妙に白い。

 「妙だな。一体何だ?」
 形を整えたシャツを数枚提げて、再び縁側に出る。
 さっき干してまだ五分も経っていない筈なのに、既に洗濯物は凍ってのしいかみたいになっていた。どうも随分気温が低くなってきたようだ。風がないから余計に分からなかったということか。

 今朝は5時半まで寝ていた。
 ストレッチもそこそこに散歩に出たのが5時50分。意外に歩くのが早くて帰って来たのは6時20分。

 「天皇誕生日だ、ケーキを買って来てお祝いをしよう」、と昨日から思っていた。
 SRじゃケーキが潰れるかもしれないし、カブじゃお祝いの雰囲気がもう一つ。
 「ネクタイはせぬまでも、せめてジャケットを着て買いに行こう」。
 それが美意識(?)。その格好で行けば気持ちが変わる。姿勢も変わる。

 でもそれだけのために三日連続コペン?
 まあ、三日連続というにはそれなりの理由はある。
 一昨日、バッテリーはヘロヘロで、エンジンは一度では掛からなかった。
 だから、「充電」のため、「本当に弱っているかチェック」のため、が二日目。ただ距離が短い。「バッテリーはビンビンだぜェ~っ(by清志郎)」になったかどうか分からない。
 そして今日。三度目は最終確認。

 ということで買い物の仕上げにシャトレーゼに行っていつもの通り、苺のショートケーキとチョコレートケーキ。一つは御誕生祝い。もう一つは明日の自分のおやつ。(まあ、最終的にはどちらも自分が食べるのだけれど。)


 首尾よく買い物を済ませ、家に帰って気が付いた。
 肝腎の国旗掲揚をしてなかった。
 一生の不覚だ。既に午後一時半。
 「どうしようかな。今からでも掲げる?」
 ・・・・なんてことを思っているうちに日が暮れた。
 
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