書評 BOOKREVIEW
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戦争指導者たちの謀略と工作、列強は共謀していた
日本存亡の危機はこうして仕掛けられた
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渡辺惣樹『第二次世界大戦とは何だったのか』(PHP文庫)
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問題作の文庫化である。
著者の渡辺氏が大学受験のおり、なぜか「毛沢東の生地はどこか?」という設問があったという。
共産主義者がその出題の裏に込めたのは政治プロパガンダであり、戦後の日本の歴史というガクモンはフェイクと似非歴史学者で満ちていた。大学入試に共産主義チャイナの独裁者の生地が何処かなどと訊いてどうなるというのだ。
脱線だが、評者(宮崎)は毛沢東の生家(湖南省長沙市の南西、湘潭市の韶山市韶山郷韶山村)には二度行っている。最初は四半世紀前、長沙に三日ほど滞在しておりに、現地の旅行社が観光ツアーを催行していたので20名定員のマイクロバスにもぐりこんだ。劉少奇の生家見学とセットだった。劉少奇の生家跡は広い敷地に図書館なども整備されていて、地元の人々がどちらの指導者を尊敬しているか、よく分かる。
当時の毛沢東生家跡は「革命聖地」として宣伝をはじめたばかりで、見学者は少数。広い農家には馬小屋もあって、前庭には蓮の池(いかにもという風情)、土産屋には毛沢東がいかに偉かったというヴィデオなどを売っていたがほこりをかぶっていた。
十五年ほど前、「暴走老人・中国探検隊」(?)を組織して(メンバーは高山正之、樋泉克夫氏ら数名)フライングタイガー跡地などを克明においかけ最終日前夜、日程をドタキャンし毛沢東の生家へ行こうということになった。
マイクロバスを一台チャーターして、かなり行き当たりばったりの旅で、ガイドは若い中国人で日本語も流暢だが、モン族だった。
彼は驚いた表情を見せたが、追加金をしはらうというとニンマリし、評者にとって二回目の訪問となった。
驚いたの 何のって! 観光客でどっさり、土産屋のアーケードが百店舗、まわりのレストランは「毛沢東ご愛用のメニュー」、「毛家の家庭料理」等々。観光バス用の駐車場まで出来ていた。
閑話休題。
かくして歴史フェイクは後智恵で作り替えられる。
キャパはスペイン戦争で演出した写真をとって戦場のものと詐り、欧米の共産主義宣伝部は南京事件をでっちあげた。ピカソは共産主義者だった。
ついでに言えばスペイン内戦に参加した欧米の「知識人」とかは、皆が左翼の政治アジテーションに乗せられたのだった。
本書で詳述されたようにチャーチルは娘二人にハニートラップを強要し、欧米の政治家に近づいて対日参戦へ誤導することに成功した。チャーチルの陰謀はようやく近年になって歴史の真実として浮かび上がってきた。
日本で、チャーチルの工作を克明に描いたのは渡辺惣樹氏である。
さて渡辺氏と評者には弐冊の共著がある。
そのなかで、島原の乱における徳川の辛勝は、オランダの火砲によるところが大きいと指摘した。その際に渡辺氏が指摘したもう一つの重要ポイントは、「(当時)ヨーロッパで続いていた三十年戦争(1618~48)の局地戦である」とし、「カトリック教徒とプロテスタントの壮絶なヨーロッッパの戦いは、島原の局地戦ではプロテスタントの勝利となった。徳川幕府軍に与したオランダ軍船からの砲撃は原城に籠もるキリシタンの戦いの意思を挫いた」
島原各地、天草全域と原城を取材したこともある評者には、このプロセスが現場に立つと了解できる。
「切支丹伴天連の反乱」とは言うものの、参加した軍団は小西残党と豊臣の逃亡者集団が主体、農民たちは強制的に城に閉じ込められた。武器と軍資金は豊臣の隠れ資産が流用された。
小西行長がキリシタン大名だったので天草に伴天連が逃れていたのは事実だろうが、乱の首謀者たちは食いっぱぐれの浪人であった。
本書を読みながら歴史をねじ曲げた要因を考えてみた。
なぜ戦後の歴史教科書はかくも醜くねじれたのか?
第一は「左翼リベラル思想を基本にした歴史解釈」が主流となって、かれらに不都合な事変や経過を取り上げない。マルクス思想に馴染まない事件である。その一方で、歴史的に証明されなくとも、左翼の鼓舞となるなら、ささいな事件でも針小棒大に取り上げるのだ。
第二に新発見の資料に対して左翼史家は「冷ややかな態度」で接し、かれらの過去の作品は新資料で全否定されるから、隠蔽するか無視する。
初歩的な疑念をいだくことが、歴史の真相にちかづける第一歩である。
☆○◎☆み◎☆◎○や○☆◎○ざ☆○◎☆き☆◎○☆
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)3月15日(土曜日)
通巻第8695号 より