東郷実正さん(大正2年生まれ)が伝承していた「アンマメグヮ」という島唄があります。この唄を歌っていたいた唄者は平成10年まで東郷さん以外はいなかったそうで、歌詞も殆ど知られていなかったそうです。
彼は17、8歳の頃、島唄を伝承していた人から手ほどきをうけて、貴重な歌詞を歌い継いできたそうですが、家業がユリ栽培の第一人者でとても忙しかったせいもあって、人前で唄う機会が無かったそうです。そんな状況だったので、この貴重な歌詞を持つ島唄が、表に出る機会が無かったようなのです。
そのアンマメグゥという島唄の何が貴重なのかというと、4番の歌詞です。
しまじひじかまとぅ ひゃんとーしゅうがうかぎ
いくさはぐらかち しまやなぎてィ
島言葉のままでは、ちょっと意味が全くわかりませんね。ひゃんとーだけはかろうじて分かります。
共通語訳
シマジ(現在の知名町住吉)のヒジカマ(島役人)とヒャントーシュウ(平安統:島の統括者)のおかげで、戦いを避けることができ、島は平穏であった
この戦とは1609年の薩摩侵攻時のことです。島民が海岸に粟粥作戦を立てたというあの話です。(2021年5月6日:薩摩軍と粟粥で戦った島民)
その時に指揮したのが、当家のご先祖様であったとは聞いておりましたが、島唄になって唄い継がれていたとは驚きました。
この唄はその後は和泊町出身の東政次さん(ひがし まさつぐ:昭和7年生まれ)が東郷さんに習って歌い継いでいらしたようです。
ご先祖様が島唄の歌詞となって400年以上も唄い継がれているなんて、とても感慨深いですね。
平和を愛したご先祖様と島民が考えた栗粥作戦と和睦交渉、当時の交渉の様子が目に見えるようです。
この島唄に感激しながら、1つ分かったことがあります。奄美編年史などに掲載のこの時期の古文書にはっきり出てくる首里の主である幼名:思鎌戸という人物がいます。その人物がこの平安統のことなのでしょう。当家のご先祖捜索が、一歩前進した気がします!