非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

河野談話見直し産経記事の鵜呑みで右へ倣えのネット世論に物申す!

2014-04-30 15:05:34 | 日記
産経新聞の 河野談話見直し「合作」表現の妙!
河野談話見直し。国民を欺く産経新聞!
河野談話見直し!産経新聞の終わりの始まり!
産経新聞の「河野談話」見直しに関する一連の記事を読む
限り、それは冷徹さの欠如した、非常に浮ついた文章で構成されて
いて、「センセーションを起こそう」という意図が露骨に表れた記
述になっている。そのアジテーションが功を奏してか、世論が動き、
国会議員が動き、そしてネット世論は「河野談話」見直し賛成派が
大半を占めるに至っている。しかもネット世論の中には談話を発表
した当時の官房長官・河野洋平氏をはじめ河野談話に関わった政
治家、官僚を「国賊」「売国奴」呼ばわりする書き込みもあって、
見苦しさもここまでくると滑稽の極みと言うほかない。
どうして、こうも根拠もない感情論が渦巻いてしまうのか。そもそも
の発端は従軍慰安婦問題、歴史認識に関する韓国と日本のせめぎ
合いの中で、韓国の団体が運動を先鋭化して米国の公共施設や在
韓日本大使館前に「従軍慰安婦像」等を設置したことからエスカレ
ートしていったことは周知の事実。この韓国の団体のやり方は憎悪
を以って憎悪を呼び起こそうとする幼稚で下劣な方法だ。これが日
本国民のナショナリズムを刺激して、大したこともない産経新聞の
政治部記者の記事に触発されて国会議員たちも署名運動を始める
という始末。なぜ国会議員も含めた多くの人たちが、産経新聞の
記事を簡単に鵜呑みにしてしまうのだろうか。今回は、そのことを
考えてみた。
 「鵜呑み」という言葉は字句の如く鳥の鵜が魚を丸呑みする様か
ら転じた慣用句だ。飼われている鵜が魚を飲み込むと、すかさず鵜
匠が鵜を船上に引き上げて魚を吐き出させる。鵜が吐き出した魚を
人間が調理して食することになる。ところがこの行為を人間の文化
活動に置き換えると、実に下等な精神状態を呈する者が少なくない。
人の話や記述を「鵜呑み」にするまではいいが、吐き出したものは
それこそ嘔吐物で、おおにして異臭を放つ。思想性も低く覚悟もな
い癖に他人の人格に対しては容赦なく「反日だ」「売国奴だ」やれ
「国賊だ」と罵倒する。鵜呑みにした話や記述の大半は単純な図式
で示されている場合が多いために単純な人間ほど鵜呑みにしてしま
う。しかし彼らは反駁や反論の文章には興味がないだけでなく咀嚼
能力がないので読み解けない。ただひたすら鵜呑みにした記述なり
話を頑迷に信じるしか手がない。これがネトウヨらネット世論
の実情だろう。そして、その多くの者が「反日」などと唱え叫ぶこ
とがさも反骨精神の持ち主であるかのような錯覚を抱いているが、
それは「反骨精神」とは程遠い単なる心情の吐露に過ぎないことを
自覚していない。当方は国民の中に、この「反骨精神」がなくなっ
ているか、希薄になっているか、あるいは、その精神を持っている
人が少なくなっているのか、いずれかが原因で新聞記事等の「鵜呑
み」現象が起きているのではないかと判断している。今回の「河野
談話」に関する産経新聞の「スクープ」でもない記事を「スクープ」
と思い込み拡散させる「粗忽者」の連鎖の現象が今日のネット世論
の有様だと思っている。つまり落語の八っつぁんよろしく「てぇへ
んだ。てぇへんだ。てぇへんだーい!」「八っつぁん。どうしたぃ。」
「どうしたかって?てぇへんだから、てぇへんだ」という程度である。
しかし、「反骨精神」と「新聞記事を鵜呑みにする」という行為が、
どう関係あるのかと疑問を呈する向きも多いだろう。「反骨精神」
と「新聞記事を鵜呑みにする」行為の因果関係というか「相関関係」
は多分に当方のこじつけに等しいが、釈明というか解釈を試みる。
まず「反骨精神」とはなんなのかということから調べていく。辞書
を調べると「反骨」とは「権威・権力・時代風潮などに逆らう気骨」
とあり、さらに「気骨」とは「自分の信念を守って、どんな障害に
も屈服しない強い意気」となっている。では、その「反骨」は、ど
のようにして育まれ身につけるものなのだろうか。このように言う
と当方が、いかにも「反骨精神」の持ち主だと自認しているように
受け取られるだろうが、ま、多少の「反骨精神」を持っているつも
りではいるが、その精神は、なにごとにも無闇矢鱈と反対して頑迷
であることではないと思っている。現在の「反日だ」「売国奴だ」
「国賊だ」と叫んでいる連中の大半は単に「付和雷同」しているだ
けで「反骨精神」の持ち主とは言えない。新聞記事や雑誌、ニュー
スを見聞きして「反骨精神」を発揚するのであれば一定の「読解力」
は欠かせないし、「洞察力」も必要だと考えている。逆に「読解力」
がないから「鵜呑み」にするし、「鵜呑み」にした言葉をオウム返
しに言ったところで「反骨精神」の欠片もないということになる。
では読み解く力即ち「読解力」は、どうすれば養うことができるの
か。当方自身もそんなに「読解力」を持っているとは思っていない
が、少なくとも「鵜呑み」にはしないほうだと自負している。まず
は自らの経験を披瀝する。当方は貧乏人の子倅で学校に行くのが
あまり好きではなかったし学業も良いほうではなかったので、あま
り偉そうなことは言えないが、当方が中3の時、当時は「綴り方
教室」というのが流行っていて国語の担当教師も新聞の「社説」を
読んで感想文を書けと、結構うるさかったが、当方の家庭は貧乏で
新聞など取っていなかったので、教師が持ってきた新聞を回し読み
した記憶はある。それでも多少の影響は受けたのだろう。高校に進
学してからは小説を貪るように読んだ程度。更に学生の頃は他の優
秀な学生に倣って当時流行っていた、当方には手に負えない哲学書
にも手を出した。気取ってプラトン、カント、キルケゴール、ショ
ーペンハゥワー、ニーチェ等々、「読んだ」というより「手にとっ
て見た」という程度で「何度か読み返せば理解できるだろう」と多
寡をくくっての挑戦だった。中でもニーチェの「ツァラトウストラ
はかく語りき」のアフォリズムの文体に惹かれて、それを座右の書
にした時期もあった。小説では大江健三郎の難解なレトリックに舌
を巻きながらも、とにかく読了することだけを考えた。当初は理解
ができなくても何度か読み返すうちにおぼろげながらでも解ってく
るので難解な文章を読むことも読解力を高めるには役に立つと思っ
ている。このように文章の一言一句を読み解こうと辞書を片手に読
破してきたことが自らの「読解力」をいくらかでも高めたことは確
かであろう。ワンフレーズでも引っかかるなり理解ができない時は
理解できるまで何度も読み返す。解らない時は辞書を調べるなり人
に尋ねたりした。飛ばし読みはしない。これがいつの間にか当方の
習慣になったのだろう。
しかし、以上のように一言一句を読み解いたとしても、それが即ち
「読解力」があるとは言いがたい。全文に込められた意図、論旨を
どこまで理解しているかが重要で、一言一句はあくまでも全体の論
旨を理解するための手がかりに過ぎない。ただ新聞の政治経済のニ
ュースや論説には論旨や意図をタイトルにしている場合が多いので、
比較的に論旨を掴みやすい。
 以上、読解力がなければ批判精神も反骨精神も生まれはしない
というのが当方の主張だ。だからと言ってあまりにも高難度のもの
は当方には無理なので、下記に記した曽野綾子氏や産経新聞の政治
部記者の記事程度が身の丈に会っている。
例えば「悪文」「駄文」で有名な「文化功労者」の曾野綾子氏の文
章などは、当方にとってはもってこいの教材だ。
東日本大震災 曽野綾子氏の間違いだらけの文章作法
ここでは週刊ポストの東日本大震災の特別寄稿として曾野綾子氏が
見開き二頁に亘って記述したものだ。当方のブログの記述の一部
まず冒頭。「二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に起きた
地震が、近年落ち込んでいると言われる日本の凋落に、決定的
な追い打ちをかけるか、それとも、長い間の物心両面の沈滞を打破
するきっかけになるか、というと、私は後者に望みを託したいと感じ
ている
。」
のっけからこの悪文。「落ち込んでいると言われる日本の凋落に」?
何を言っているのですか?文章になっていないではないか。「凋落」と
いう言葉は平たく言えば「落ち込んでいる」という意味ではないです
か。同義語を重ねて何を表現したいのですか?この場合「落ち込んで
いる」は「凋落」に対する修飾語でしかないので同義語を重ねるのは
適当ではない。通常は「近年落ち込んでいる日本の鉱工業生産」とか
言ったりしているが曽野綾子氏の文章であれば「近年、凋落傾向にあ
る日本の現状に、決定的な追い打ちをかけるか」という表現ならまだ
しも、これはもう論外というしかない。曽野氏くらいの文壇の「大御
所」で「文化功労者」に週刊ポストの編集者もさすがに怖くて添削
なんてできないのだろう。なんという無様!
」と切り捨てて、「物心
両面の沈滞」という文言も意味不明だとして酷評している。この時、
ネットを見渡しても曾野綾子氏の「作文」に疑問を呈する記述は
不思議にも見当たらなかった。なぜなのか。
さらに、その他にも当ブログで次のように指摘している。
曾野綾子氏の透明な歳月の光「悪女の深情け」を知らないなんて!
次のここで私は『悪女の深情け』という言葉を思い出すのだが、
現代では『悪女』というものがよくわからなくなった。女性たちは
全員が美女になったし、他人のことはどうでもいい女性ばかりだから、
深情けなどかけてもらっている男性もいないのではないかと思われ
る。女性は性悪女ではなく、全員が牝になったのである
。」前段と
どう論理的につながるのか解らないが、この文脈からすると、どうも
曾野氏は「悪女」の意味を理解していないようだ。「悪女」を「性悪
女」と思っておられるようで、従って更に意味不明の文章になって
いる。「文化功労者」曾野綾子ちゃん!「悪女の深情け」の悪女は
容姿が醜い女=醜女、今風に言うならば「ブス」。顔に自信のない
女は愛情が深いが嫉妬心も強い、という意味でしょう。言葉も理解
しないでサンケイ新聞のコラムを書き続けているということはサン
ケイの読者を馬鹿にしているということだよ、綾ちゃん

「文化功労者」である作家先生の「作文」に疑問を呈する投稿なり
ブログは当方の他に1件あるぐらいだ。
それは「論壇TV 曾野綾子先生、使い方間違ってます!」
これは産経新聞のある読者が投稿したもので、投稿者の嘆きが聞こ
える。
日本という国がどれほどありがたい自然の状況にあるかという
ことを、多くの日本人は、ほとんど考えたことがないのかもしれな
という書き出しで始まる文章は、サウジやクウェートは降雨が
きわめて少ないと続き、こう書かれている。
「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」
あれ?「甘受」って違う意味に使うんじゃなかったっけ? と思った。
甘受とは、いやなことを敢えて受け入れることをいうのだと思って
いた。私にとり、甘受≒苦汁を飲むなのである。
念のため辞書を引いてみたところ、やはり「やむをえないものとし
て受け入れること」とあった(明鏡国語事典)。曾野綾子はそれ
と見せずに言葉に厳格だと思っていたので意外だった
」享受と書く
べきところを「甘受」と誤用しているのだ。
 産経新聞の政治部記者の記事は、さすがに曾野綾子氏のレベルでは
ないが、「思い込み」による記述が致命傷になっている。先の当ブロ
グ「河野談話見直し。国民を欺く産経新聞!」で指摘しているように
当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていた」の記述は
まさに思い込みそのものだ。産経新聞の政治記者が思いこんで自信たっ
ぷりに書いた、このフレーズに当方はふと疑問を感じた。本当に「当時、
朝鮮半島では戸籍制度が整備されていた」のだろうかと。日本の施政
下にあっても、すべて万全とは言えないだろう。当方の疑問が的中し
た。このことから産経新聞の政治部記者の主張の論拠のすべては崩壊
したと言える。
 このように記述の一言一句を吟味しながら記事を読んでいることも
あって、批判精神を維持できるのだろうと思っている。一言一句を吟
味しながら記事を読んでいけば「すわスクープ」と叫んだり、むやみ
やたらと「反日だ」「売国奴だ」「国賊だ」と連呼して「付和雷同」
することも少なくなろうというものだ。
 ところが高学歴の国会議員や政治評論家が産経新聞の政治部記者
の記事を鵜呑みにしているのは明らかにネトウヨたちとは趣を異にして
いる。それは福島原発事故の最大の原因といわれる「原子力ムラ」の
弊害と酷似しているからだ。東電の幹部社員の中には東大や京大出な
どのエリートたちが相当いたようだし、その他に原子力を専門とする
東大や京大の教授たちを含めて研究や会議を通して「原子力ムラ」が
形成されていたといわれている。そういうエリートたちの集団が犯し
たミスは米国のGM社の原子力発電の専門家たちを愕然とさせた。福島
原発が電源喪失をしてメルトダウンを起こしたのは、地震で鉄塔が倒
壊して外部電源を喪失したうえ「非常用電源」であるディーゼル発電機
が水没して使用できなかったことが大きな原因といわれているが、GM
社を驚愕させたのは水没した地下に2機の発電機を併設していたこと
であった。
原子力発電所では万全を期すために、いくつかの発電機の位置を高さ、
場所等一定にせず、それぞれの場所に個別に設置することが義務付け
されていたにも関わらず、福島原発は地下に2機を併設するという致
命的な過ちを犯していたといわれている。しかもこれらの「非常用電
源」の設置に関しては通産省が認可していたという不可解な事実も
判明し問題となった。これが即ち「原子力ムラ」の最大の弊害といわ
れている。では「原子力ムラ」とは一体どういうものだったのか。東
大出身の東電副社長であった武藤氏を中心に東電の社員、原子力を専
門とする学者たちや官僚たちでつくる原発研究グループだったといわ
れている。このグループは非常に排他的であったことから「原子力ム
ラ」と呼ばれていたようだ。排他的で仲間意識が強いとどうなるか?
相互の批判がなくなり庇いあう風潮が生まれてくる。それが「非常用
電源」の地下併設という事態を招いたといえる。
 この「原子力ムラ」と同様のムラ社会を形成しやすいのが国会議員
であり政党だ。さらには教育界にもそれがある。たとえば、政界では
サラブレットの安倍首相の下にはさまざまな会合を通して早くから他
の国会議員たちが、彼を担いで自らも日の目を見ようと集まってくる。
極端に言うと自らの信条を曲げてもタカ派を気取り安倍首相に近づい
て、いち早く安倍氏を総裁選に担げば「お友達内閣」に入閣なり党の
要職につく栄誉にもあずかる。従って相互批判などは一切しないだけ
でなく、自ら進んで安倍首相の代弁者になってタカ派的発言も厭わな
い。その最たる人物が現自民党政調会長の高市早苗議員といわれてい
る。彼女は国会議員の間では「安倍首相のポチ」と言われ半ば蔑まれ
ている。高市議員のように機を見るに敏なる者は、特に保守系の国
会議員には多く、またそれなりに仲間意識も強い。したがって仲間の
意見を批判するよりも積極的に仲間の意見を取り入れようとする傾向
があるようだ。そこに食い込んでいるのが保守の牙城の一つである産
経新聞を含めたグループ。産経の政治部記者も産経の庇護を受けた論
客たちもグループでエリート意識が強いだけに仲間の意見は無批判に
受け入れる傾向がある。これが我々庶民と違う「エリートたち」の
「鵜呑み」現象だ。そして競って言説を先鋭化させていく。彼らの
「失言」が多いのも、その表れの一つ。従って米国をはじめとした
欧米諸国からは半ば軽蔑の眼で見られてる。日本の将来にとって
好ましい現象とは決して言えない。

愛すべき
ネトウヨたちよ
国を想い
国を愛し
国を憂う者たちよ
もっと読解力をつけよう
そして「煽り」を
冷静に見極めよう
それが国民を
結束させていくことになる
それが次代を担う
子供たちのためだ