第一章日米前史~ 「対日感情を大きく変えた移民排斥運動」の
冒頭、「日本人だけを排斥するという運動が起こりました」
またも藤井氏の常套手段、時間軸を明記せずに記述すると、米国史
開闢以来、米国社会が日本人の移民だけを排斥したということにな
る。本当にそうだったのかwebを見てみる。
webで米国の移民法成立の歴史を見ると、「日本人だけを排斥する
という運動が起こりました」という米国社会の動きは1882年以降の
ことである。
つまり「排日移民法」が施行された1924年の40年以上前に、『中国
人労働者移民排斥法』別名「中国人排斥法」が施行され、日本人排
斥運動が起こる時期には、中国人労働者はすでに米国から脱出する
か、あるいは一定程度、同化していたのではないかと考えられる。
web
「アメリカにおけるアジア系移民の流入は1848年のゴールドラッシ
ュからはじまった。多くの中国系肉体労働者がカリフォルニア州を
中心に鉱山労働や鉄道建設に従事した。アイルランド系移民をはじ
めとする白人貧困労働者との対立・抗争は1870年代に早くも記録が
ある。中国系に関しては、1875年のen:Page Act of 1875で既に制
限が行われていたが、1882年のいわゆる中国人排斥法で明示的に移
民が禁止されることになった(当初10年間の時限措置だったが後に
延長がなされた)・・・・その結果、アメリカ西部における中国人
の数は、19世紀末に11万人からわずか6万人へと急減した」
webを見ると、安い労働力で市場を奪われるだけでなく、弁髪
(日本人であればちょんまげ)でチャナ服の中国人労働者が市中を
堂々と歩く姿を見た白人たちは、中国人は米国に溶け込もうとしな
いと判断して激しい排斥運動を起こした。米国全土で白人による中
国人労働者の弁髪を切り落としたり、挙句は弁髪の中国人労働者の
頭の皮を剥がしたりする残虐な事件が多発したという。中国人は想
像を絶するほどの迫害を受けたようだ。
「中国人移民を排除する口実とされたのは、彼らが出国前に前金を
支給されて渡米し、渡米後には自由に仕事を選べず苛酷な労働に従
事させられるという「契約労働者」であることから、「労働騎士
団」などの白人の労働団体が・・・実態は中国人というエイリアン
に対する偏見と蔑視、それに自分たちの仕事が奪われるという不満
が重なって、迫害となって現れたものであった。
シアトルでは反中国人暴動が荒れ狂い、各地のチャイナタウンは
焼き打ちされ、白人の自警団員は「豚のしっぽ切りパーティー」と
称して、中国人の辮髪を切り落としただけでなく、彼らの頭の皮ま
で剥いだ。次のような証言がある。
(引用)記録に残る最も極端な、そして戦慄すべき残虐行為として
は、暴徒が中国人男性の性器を切り取って食堂に持ち込み、草原の
<かき>として焼いて食ったというのがある。数千人の中国人が白
人による危難から逃れて、中国へ帰った」
「1882年の中国人労働者移民排斥法は、教師・学生・商人・旅
行者以外のすべての中国人(つまり労働者)の入国を禁止し、すで
にアメリカに在住している中国人も、帰化してアメリカ市民権を取
得することを禁止した。これは当初は10年間の時限立法であった
ので、1894年からは条約で移民を制限した。1904年に向け
て中国が条約更新を拒否したので、1902年には無期限立法が行
われた」
ところが 藤井氏は当時の中国人のことを
「しかし、チャイニーズは農業をやらないのです。彼らは商人なの
で、ちょっとお金ができると、皆都市に行って、商売を始めるよう
になります・・・・。」これは明かな虚偽記載だ。
1882年以降、米国に入国できた中国人の教師、学生、旅行者を除く
職業人は商人だけなので彼らが労働者として農業に従事することは
許されていなかった筈だ。また商人がわざわざ農業に従事するはず
もない。
このように米国社会が中国人を排斥し迫害した歴史に触れることな
く「日本人だけを排斥するという運動が起こりました」という
藤井氏の記述は、何を意味するのか?
確かに過去のこととは言え、米国で起こった日本人排斥運動の記録
を読むと、憤りを覚える。所詮、米国人などヨーロッパでは、まと
もな生活さえ出来なかった下層階級の人間たちが成功と富を求めて
大挙して海を渡り、先住民を殺戮しつくして建国した、ならず者国
家ではないか。ヨーロッパの貴族たちが眉をひそめた連中なのだ。
それは当時、約340万人の人口を抱えたカリフォルニア州の僅か
4000人の日本人を排斥したという狭量は、レベルの低さを物語っ
ている。同列には比較できないが、日本が幕末にパリの万国博覧会
にちょんまげで羽織袴の幕府の要人と薩摩藩士が出展して喝采を浴
びたのとは、大違いだ。
このように小生でさえも「日本人排斥運動」の記録を読むと、ふつ
ふつと怒りが湧いてくる。
藤井氏は、これを狙ったのではないか。
歴史解説書を装いながら、時間軸を明確にしない藤井氏のこの記述
の仕方は、読者を撹乱し、米国への憎悪を増幅させる狙いがあるも
のと判断される。そして、その増幅された憎悪をルーズベルト大統
領批判へと誘導したいのではないか。
以上、米国の移民排斥は日本人だけではなかったことがわかった。
この項の続きは次回に割愛します。
冒頭、「日本人だけを排斥するという運動が起こりました」
またも藤井氏の常套手段、時間軸を明記せずに記述すると、米国史
開闢以来、米国社会が日本人の移民だけを排斥したということにな
る。本当にそうだったのかwebを見てみる。
webで米国の移民法成立の歴史を見ると、「日本人だけを排斥する
という運動が起こりました」という米国社会の動きは1882年以降の
ことである。
つまり「排日移民法」が施行された1924年の40年以上前に、『中国
人労働者移民排斥法』別名「中国人排斥法」が施行され、日本人排
斥運動が起こる時期には、中国人労働者はすでに米国から脱出する
か、あるいは一定程度、同化していたのではないかと考えられる。
web
「アメリカにおけるアジア系移民の流入は1848年のゴールドラッシ
ュからはじまった。多くの中国系肉体労働者がカリフォルニア州を
中心に鉱山労働や鉄道建設に従事した。アイルランド系移民をはじ
めとする白人貧困労働者との対立・抗争は1870年代に早くも記録が
ある。中国系に関しては、1875年のen:Page Act of 1875で既に制
限が行われていたが、1882年のいわゆる中国人排斥法で明示的に移
民が禁止されることになった(当初10年間の時限措置だったが後に
延長がなされた)・・・・その結果、アメリカ西部における中国人
の数は、19世紀末に11万人からわずか6万人へと急減した」
webを見ると、安い労働力で市場を奪われるだけでなく、弁髪
(日本人であればちょんまげ)でチャナ服の中国人労働者が市中を
堂々と歩く姿を見た白人たちは、中国人は米国に溶け込もうとしな
いと判断して激しい排斥運動を起こした。米国全土で白人による中
国人労働者の弁髪を切り落としたり、挙句は弁髪の中国人労働者の
頭の皮を剥がしたりする残虐な事件が多発したという。中国人は想
像を絶するほどの迫害を受けたようだ。
「中国人移民を排除する口実とされたのは、彼らが出国前に前金を
支給されて渡米し、渡米後には自由に仕事を選べず苛酷な労働に従
事させられるという「契約労働者」であることから、「労働騎士
団」などの白人の労働団体が・・・実態は中国人というエイリアン
に対する偏見と蔑視、それに自分たちの仕事が奪われるという不満
が重なって、迫害となって現れたものであった。
シアトルでは反中国人暴動が荒れ狂い、各地のチャイナタウンは
焼き打ちされ、白人の自警団員は「豚のしっぽ切りパーティー」と
称して、中国人の辮髪を切り落としただけでなく、彼らの頭の皮ま
で剥いだ。次のような証言がある。
(引用)記録に残る最も極端な、そして戦慄すべき残虐行為として
は、暴徒が中国人男性の性器を切り取って食堂に持ち込み、草原の
<かき>として焼いて食ったというのがある。数千人の中国人が白
人による危難から逃れて、中国へ帰った」
「1882年の中国人労働者移民排斥法は、教師・学生・商人・旅
行者以外のすべての中国人(つまり労働者)の入国を禁止し、すで
にアメリカに在住している中国人も、帰化してアメリカ市民権を取
得することを禁止した。これは当初は10年間の時限立法であった
ので、1894年からは条約で移民を制限した。1904年に向け
て中国が条約更新を拒否したので、1902年には無期限立法が行
われた」
ところが 藤井氏は当時の中国人のことを
「しかし、チャイニーズは農業をやらないのです。彼らは商人なの
で、ちょっとお金ができると、皆都市に行って、商売を始めるよう
になります・・・・。」これは明かな虚偽記載だ。
1882年以降、米国に入国できた中国人の教師、学生、旅行者を除く
職業人は商人だけなので彼らが労働者として農業に従事することは
許されていなかった筈だ。また商人がわざわざ農業に従事するはず
もない。
このように米国社会が中国人を排斥し迫害した歴史に触れることな
く「日本人だけを排斥するという運動が起こりました」という
藤井氏の記述は、何を意味するのか?
確かに過去のこととは言え、米国で起こった日本人排斥運動の記録
を読むと、憤りを覚える。所詮、米国人などヨーロッパでは、まと
もな生活さえ出来なかった下層階級の人間たちが成功と富を求めて
大挙して海を渡り、先住民を殺戮しつくして建国した、ならず者国
家ではないか。ヨーロッパの貴族たちが眉をひそめた連中なのだ。
それは当時、約340万人の人口を抱えたカリフォルニア州の僅か
4000人の日本人を排斥したという狭量は、レベルの低さを物語っ
ている。同列には比較できないが、日本が幕末にパリの万国博覧会
にちょんまげで羽織袴の幕府の要人と薩摩藩士が出展して喝采を浴
びたのとは、大違いだ。
このように小生でさえも「日本人排斥運動」の記録を読むと、ふつ
ふつと怒りが湧いてくる。
藤井氏は、これを狙ったのではないか。
歴史解説書を装いながら、時間軸を明確にしない藤井氏のこの記述
の仕方は、読者を撹乱し、米国への憎悪を増幅させる狙いがあるも
のと判断される。そして、その増幅された憎悪をルーズベルト大統
領批判へと誘導したいのではないか。
以上、米国の移民排斥は日本人だけではなかったことがわかった。
この項の続きは次回に割愛します。