会津若松市、飯盛山の登り口で昼食を食べる機会を得た。
店の名前は「とらぞう」
定食はお蕎麦に釜飯の組み合わせで、お蕎麦も美味しく頂きました。
この店には、福井名物のソースカツ丼(750)がありました。
30分程度時間に余裕が有ったので、飯盛山に登ることにした。
「とらぞう」の従業員の方が、案内ガイドを引き受けてくれて、いざ山頂へ。
歴史やテレビドラマでは聞いているが、飯盛山を訪れるのは初めてである。
時間が少ないので、飯盛山動く坂道を利用した。
「飯盛山」という名前は、この山が飯を盛ったような形ということより付けられたそうだ。
楽チンだが、これではポケットの中の万歩計も意味なし。
五分で到着。
お客さんの持ち時間に合わせて、ボランティアガイドさんは説明をしてくれるようですね。
年間200万人の観光客が訪れるといわれる飯盛山。
月曜日であったが、次々と観光客の姿が見られました。
白虎隊で自刃した隊士19名の墓には線香が絶えないそうです。
戊辰戦争の時、会津藩の少年たちで構成される白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原の戦いより撤退する際、子どものころから遊び慣れ親しんだこの飯盛山に戻ってきて鶴ヶ城を眺めると、防衛のために味方が放った火で、城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはやこれまでと自刃した地である。
ガイドさんの話を聞いていると、熱いものが胸に込み上げてくる。
争いごとは、いつの時代も悲劇を生む。
ムッソリーニが白虎隊の精神に感心して元老院とローマ市民の名で寄贈したという古代ローマ時代のポンペイから発掘された宮殿の石柱による記念碑。
帰り道は階段ではなく坂道を下る。
宇賀神堂。
白虎隊十九士の霊像が安置されています。
さざえ堂。
江戸時代に建てられた仏堂。
昇降ともにらせん状の回廊になっており同じ所を通らずに見学ができるそうで、不思議な建物でした。
戸ノ口堰洞穴
天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴。
戊辰戦争の時、鶴ヶ城の情勢を確認するため白虎隊はこの洞穴をくぐって飯盛山に向かった。
子どもの頃からの遊び場だったことより、敵に見つからない洞穴を知っていたそうだ。
お世話になった「とらぞう」
ボランティアガイドありがとうございました。
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