令和3年6月26日(土)午前中、
丸岡町長崎地係の称念寺にて法要記念講演が行われ参加してきました。
新田義貞公684回忌法要記念講演「泰澄大師と白山信仰」~霊峰白山と平泉寺を中心に~
講師:勝山市教育委員会学芸員 宝珍伸一郎氏
1.なぜ、白山が信仰の対象となったのか。
①標高2,702mで晩秋から初夏にかけて雪に覆われる。
②深い雪に覆われた純白の人を寄せ付けない聖域。
③白山の雪解け水は平野部を潤すことより、豊作や凶作は白山の神々の影響。
・越前国では九頭竜川
・加賀国では手取川
・美濃国では長良川
2.神々(荒ぶる神々)の降臨する場所とは。
①穢れなき清らかな場所
人里から離れた山中(俗界から離れた聖域)
中宮平泉寺 ⇒ 中宮:聖俗の境界
②姿の良い山:三輪山(奈良県)、白山
勝山市の三室(みむろ)山 ⇒ 元は御室山(神の住まい)
③山中の湧水:仏神事・修行に欠かせない
清水寺など水に関わる寺院は多い
平泉寺は古くは「平清水」と呼ばれたそうである
④巨木:石徹白の大杉(郡上市今清水社跡)
岩屋の大杉(勝山市北郷町岩屋)
⑤巨岩:磐座、岩倉
平泉寺では結界石「牛岩・馬岩」
勝山市大矢谷地区の大岩塊
⑥その他:洞窟・滝などが神の降臨の場とされる
3.白山平泉寺
養老元年(717年)、泰澄が平泉寺と白山を開く「泰澄和尚伝記」
最盛期の戦国時代には8,000人もの僧兵がいたと伝えられている宗教都市であった
天正2年(1574年)、越前一向一揆に攻撃され全山焼失
天正11年(1583年)、平泉寺学頭顕海が平泉寺を再興
4.白山信仰のその後
白山信仰の中心であった越前の平泉寺、加賀の白山寺、美濃の長瀧寺は、
明治の廃仏毀釈・神仏分離令で無くなり、
白山の山々に祀られていた仏像や仏具・祠まで撤去されたそうである。
豊原寺から称念寺へ移動したという阿弥陀三尊像(右)
一遍上人木造(左)
熊野権現
白山妙理大菩薩
今回の法要には称念寺第41代高尾察誠住職より下記2冊をプレゼントして頂きました。
「白山信仰と泰澄大師」高尾察誠著
「空也上人と一遍上人」高尾察誠著
新田義貞公684回忌法要には元岐阜県議会議員の宮嶋和弘さん(多治見市)も参加され、
宮嶋さんご自身が作詞を手掛けた戦国武将明智光秀や黒髪伝説(妻煕子)のCDをプレゼントしてくださいました。