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くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

数術師(2)

2014-07-25 00:24:23 | 「数術師」
 背を屈めながら、向かい合わせに並んだ机の後ろを周り、店に続くドアを開けた。薄明かりに照らされた店の中は、外から見るよりも広く感じられた。明かりはつけず、薬の置かれた棚から、目についた薬品を次々にポケットへねじこんだ。
 裏口のドアから急いで外に出ると、足を引きずりながら走って公園に戻った。濃い生け垣に囲まれた大きな樹の下に潜りこむと、ごつごつと太い根の上に腰を下ろした。かたい幹に背中をあずけ、盗んだ薬を、膿んだ火傷に手探りですりこんでいった。
 風に揺れる生け垣の間から、赤いライトを点滅させたパトカーが、ドラッグストアーの前で止まるのが見えた。どうやら、店に設置されていたセキュリティを、反応させてしまったらしかった。パジャマにコートを羽織った女性が、寒そうに腕を組みながら、やってきた男女二人の警官に早口でなにかを訴えていた。
 と、隠れていた樹の後ろを、数人の男達が走り過ぎていった。堅い靴音に混じって、一人が「いないぞ」と腹立たしげに言っているのが聞こえた。
 私は、ハッとして全身をこわばらせた。しかしなにを恐れたのか、自分でもわからないまま、思わぬ言葉が口をついた。

「殺される――」

 記憶が戻ったわけではなかった。”逃げなければ”と、すぐに心のどこかから声が聞こえてきた。恐ろしいめにあった経験から、本能的に危機を察知したのかもしれなかった。私は生け垣の中から這い出すと、公園を離れ、ひと気のない夜の街に逃げこんだ。
 舗装された道路の両側を、オフィスや会社の名前を冠したビルが占めていた。痛む足を引きずりながら走るちぐはぐな靴音が、雨に濡れた堅いアスファルトの路面に響き、しんと静まりかえった道路の四方にこだましていた。
 息を弾ませながら、だがいくらも距離を走らないうち、私を追いかけてくる足音がばらばらと聞こえてきた。
 どこからだろうか……。
 後ろから、いや、前からも――。
 私は、目に止まった建物の陰に隠れようと、歯を食いしばって懸命に走った。しかし、追っ手をやり過ごすことはできなかった。
「博士――」と、すぐ後ろから呼び止められた。
 私は逃げるのをあきらめ、息を切らせながら足を止めた。追いかけてきた男の影が、閉じられたシャッターに映っていた。ゆらゆらと伸び上がった影が、背後に立ちふさがった。
 肩幅の広い影を睨みながら、私はこぶしを握りしめ、意を決して振り返った。

「来るな!」

 暗い色のスーツを着た、二人組の男だった。私の言葉を耳にして、二人は勢いに乗った足を大きく踏み出し、重い靴音を立てながら、歩をゆるめた。しかし、勢いを落としたその歩みは、止まらなかった。不機嫌そうな顔をこちらに向けながら、大股に近づいてきた。
 今から思えば、勘違いだったのかもしれない。素性のわからない男達に追われ、追いつめられ、彼らから「博士」と呼ばれた。記憶を失っているとはいえ、疑う余地もなくはっきりと言い切られたため、私は思わず「来るな」と抵抗してしまった。彼らもまた、自分達の追っている人物が、どれほど危険な人間であるのか、容姿を含め詳しく知らされていなかったのだろう。
近づいてくる二人組の男を押しのけ、私は走り出そうとした。だが、一人に胸を突かれ、どしんと後ろに尻餅をついてしまった。突かれた胸を押さえながら、私はキッと顔を上げ、無表情に私を見下ろしている男達を睨んだ。どちらの男にも、見覚えはなかった。
 胸を突いた男が、ジャケットの内側から電話を取り出した。私から目を離さず、どこかに連絡を取ると、新たに二人の男が、小走りに道路をやってきた。
 集まった四人の男達は、向かい合って話を始めた。私は、痛む片足を伸ばし、冷たいアスファルトに腰をおろしていた。逃げるのはとっくにあきらめていたが、彼らの思うがままにされるつもりもなかった。後からやって来た男の一人が、リーダーらしかった。
「行きましょうか、博士――」男が、私の方にやって来て言った。
 別の男が、細いワイヤーロープのような手錠を持って近づいてきた。体をかがめながら、嫌がる私の手をとり、無理矢理手錠をかけようとした。ほかの男達は、私達二人を残して、どこかに走り去って行った。
 抵抗をやめない私は、有無を言わさぬ力で後ろ手に腕をねじられ、濡れそぼった路面にうつぶせに寝かされた。男の膝が首を押さえつけ、火傷を負った顔が、いやというほど硬いアスファルトに押しつけられた。

 ズドドン――

 落雷に似た振動が、ぶるぶると空気を振るわせた。馬乗りになっていた男は、抵抗していた私の手を離すと、すぐに立ち上がった。
 ズドドンという雷鳴に似た衝撃と、目が焼けるほど鋭い閃光が瞬いた。私はうつぶせになったまま、顔をそむけて目をつぶった。立ち上がった男が、焼け焦げた匂いをプンと漂わせ、私の顔の前に力なく崩れ落ちた。
「大丈夫ですか―」と、先ほどの男達のものではない声が聞こえた。
 うつぶせになっている体を起こし、まぶしい光で焼けてしまった目をしばたたかせながら、声がした方を見上げた。前屈みで、こちらに手を伸ばしている男がいた。
 戸惑いながらも、私はおそるおそる手を伸ばした。
 彼は力強く手を握ると、私を引っ張り立たせた。まっすぐに私の目を見ながら、やさしい笑みを浮かべた。
「――ありがとう」と、私は声に出したつもりだった。しかし、「アァーウ」と、かすれた笛のような空気が出るばかりだった。何度も試みたが、声は喉の奥に詰まったままで、言葉にすることはできなかった。
 二人とも、雨でびしょ濡れだった。ふと、私の命を狙っている者ではないのか、と根拠のない疑念がよぎった。しかし、逃げなければ、という強い衝動は、不思議と起こらなかった。
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