くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

数術師(6)

2014-07-29 06:19:24 | 「数術師」
”追われているのは、ぼくも一緒です”と、彼はそう言った。私を追って来た男達の正体を、彼は知っているのに違いなかった。
 なぜ、私達二人は追われているのか。理由はおそらく、追っ手が欲しがるなにかを、私達が持っているせいだろう。彼が、男達から私を助けたのは、偶然ではない。男達が手に入れたがっている物を、渡さないためだ。当然、彼は私が何者か知っているし、自分と同じ物を持っていることも、知っていたはずだ。
 なんらかの原因で、私は昨日の夜までの記憶を、いっさい失ってしまった。しかし、彼には好都合だったかもしれない。家に招待し、着替えをさせ、眠っているうちに私が持っていた物を手に入れられたのだから……。
 人の目を盗んで、私は事故の記事が載ったページを破りとった。乱暴に折りたたみながら、上着のポケットにねじこんだ。
 急いで図書館を後にすると、私は再び彼の家に向かった。彼に真偽を確かめる以外、事実を知る術はなかった。
 外は、もう日が暮れかかっていた。さいわい、誰かに後をつけられている様子はなかった。ビルの隙間に隠れた路地を迷いながらも見つけ出し、奥へ進むと、緑の芝生を渡る敷石の小径が見えた。
 と、背中に熱い物を感じた。重い鉄骨を、背骨に突き刺されたかのようだった。後ろに手を伸ばすこともできないまま、すぐに身動きができないほどの鈍痛に襲われた。
「うぐっ」と、うめき声を上げつつ、その場に膝をついた。手袋をはめた大きな手が、背後から私の口を押さえつけた。両手でつかみはがそうとしたが、片手をつかまれ、肩がはずれるほど強く、後ろ手にねじ上げられた。
 意識が遠のく寸前、ゴーグルを着けた迷彩服姿の男達が、蜘蛛のように低く地面に這いつくばり、私を取り囲んでいるのが見えた。

         3
 …………。
 目が覚めると、私は猿ぐつわを噛まされていた。
 ほの暗い照明がひとつ、ぽつりと点されているのが見えた。
“ここは……どこだ……”
 私は、背もたれのある椅子に座らされ、椅子ごと後ろ手に縛りつけられていた。
 ぐったりと、前かがみになっている体を起こした。腫れぼったい目を開け、暗い部屋の中をうかがった。
 はじめは、ここがどこかわからなかった。だが、目が次第に慣れてくると、彼の家に捕らえられているのがわかった。
 路地で、私を襲ったゴーグルの男達が、椅子の周りで息をひそめていた。私の右側には、身をかがめている男が見えた。正面に見える玄関のドアの横には、立ち膝をつき、壁に耳を当てている男がいた。左側に見えるソファーの下にも一人、玄関に頭を向け、伏せている男の姿があった。ほかに何人隠れているのか、路地で私が見た男達は、少なくとも六人はいたはずだった。
 背広を着た昨夜の男達とは、まるで異なった人間達だった。訓練され、幾度となく死地をくぐり抜けてきた者だけが身にまとう、ヒリヒリとした殺気をまとっていた。

 コツン、カツン……

 と、柔らかい革靴の音が聞こえた。
 彼だろうか――。

コツン、カツン、コツン……

部屋中が、水を打ったような緊張感に包まれた。男達の手が音もなく動き、それぞれの手にサイレンサー付きの拳銃が握られた。
「ンンッ――」と、私は体をよじりながら、必死で声を上げ、彼に危険を知らせようとした。
 横にいた男が、私のみぞおちを拳銃の底で叩いた。遠慮のない一撃だった。息が詰まり、前のめりに体を折り曲げた。猿ぐつわがなければ、酸っぱい胃液を床一面に吐き散らしているはずだった。胃袋を腹筋ごと鷲づかみされたような痛みと苦しさで、気を失ってしまいそうだった。
 カツン、コッツン……と、近づいてきた靴音が、玄関のドアの前で止まった。ノブがゆっくりと回り、ギッと小さく軋んだドアが、外に向かって開いた。
 ドアの陰に潜んでいた男が、身をかがめたままドアを押し開け、外に飛び出した。
 カッカツン、コッツツン……と、足早に遠ざかっていく靴音が聞こえた。飛び出した男の後を追って、暗闇の中から立ち上がった何人かの男達が、それぞれに銃を構えながら、雪崩を打ったように外へ駆け出していった。
 張りつめた空気の中、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる静けさが続いた。
 わずかな時間だったかもしれないが、いやに長い時間が過ぎていくようだった。
 追いかけて行った男達は、誰一人として戻ってこなかった。
 ソファーの下に伏せていた男が体を起こし、薄明かりの中、手でサインを出した。と、部屋の奥から、リーダーらしき男が姿を現し、ゴーグルをはずすと口を開いた。
「もういい、次だ。そいつのロープをほどいて、連れて行け」と、男は言った。「気を抜くなよ。銃の安全装置は間違いなくはずしておけ――」
 私は、縛られていたロープを解かれた。痛む手首をさすっていると、頭の後ろに冷たい銃口が突きつけられた。はっとして動きを止めると、耳元で、立って両手を頭の後ろに組むよう指示された。女だった。指示に従うと、また後ろ手に両手を縛られた。
 女は、後ろ手に縛った両手をさらに痛めつけるようにきつくつかむと、私を玄関のドアに向かって歩かせた。
 背中をつつかれながら玄関を出ると、夜露でしっとりと濡れた敷石の小径が、芝生の奥へと伸びていた。外灯のない路地が、薄曇りの空から時折のぞく月明かりで、気まぐれに照らし出された。
 コッツン、カツンと、姿の見えない靴音が、小径のそばの植えこみを揺らした。
 私の後ろからついてきた男が、とっさにナイフを投げた。明らかに命を狙っていた。
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