驚いた私は、ナイフを投げた男が銃を構えるのを見て怒りを覚え、手首をつかまれたまま体ごと男にぶつかった。しかし、女とは思えない力ですぐに引き戻され、膝の後ろを蹴り上げられて、うつぶせに倒された。立ち上がろうと抵抗したが、手足をばたつかせただけだった。簡単に押さえこまれ、まるで身動きができなくなった。
「グッ……」と声が上がった。ナイフを投げた男が、私のすぐ横にどしん、と仰向けに倒れた。
迷彩服の男達が、ササッと身を伏せた。リーダーの男が、蜘蛛のように低く這い動き、仰向けに倒れた男のもとに向かった。細い息をしている男の腹部には、ぎらりと冷たく光るナイフが突き刺さっていた。
「気をつけろ、ヤツの術が仕掛けられている」と、リーダーの男が低い声で言った。
(――術?)
私には、それがなにを意味するのかわからなかった。
リーダーの男が傷ついた男を手当すると、私は髪を鷲づかみにされ、またその場に立たされた。後ろに組んだ手をつかんだ女は、鷲づかみにした髪を引いて弓ぞりにさせると、苦痛に顔をゆがめる私を盾にしながら、背中を押して小径の先を歩かせた。
緑の芝生を抜けると、路地の舗装道路に出るはずだった。しかし、小径の先は、どこかの港だった。潮の香りが、プンと鼻をついた。私は思わず立ち止まり、防波堤を洗うザブンという波音を耳にしながら、背中を押す女に逆らって、後ろを振り返った。たった今歩いてきたばかりの小径が消え、代わって海岸特有の低い雑木が、夜の闇に溶けるほど遠くまで生い茂っていた。捕まえられていることも上の空になるほど、頭の中が混乱していた。
「私なら、ここだ 」
彼だった。
私を一人残したまま、迷彩服の連中が四方に散らばった。
――プスン、――プスン。
と、空気の抜けた風船が、立て続けに割れるような音が聞こえた。見ると、片膝立ちで銃を構えていた男が、ゆらゆらと、煙のようにくゆるおぼろな姿に変わり、風に舞う砂のように吹き飛ばされていった。
私はあわてて、冷たいアスファルトの上に身を伏せた。
「撃つな!」と、リーダーの叫び声が聞こえた。
恐ろしかったが、右肩を支えに顔を上げると、私を引っ立てて来た迷彩服の女が、蜘蛛のような姿勢で這い動き、彼に向かって飛びかかるのが見えた。
タン、タンと二度、短い銃声が聞こえた。
私は、目を見張った。
彼の姿が消え、代わって姿を現したのは、鏡に映したかのような彼女自身だった。向かい合わせの姿でこちらを向いたもう一人の女は、自分自身に向けて、ユラリと陽炎が立ちのぼる銃を構えていた。
リーダーの男が、素早く女に駆け寄った。頭をがくん、と後ろにのけぞらせて倒れる女を、その腕にひしと抱きとめた。
目を閉じて、力なく仰向けになった女の額には、赤く判を押したような穴がひとつ開き、赤い血が細く線を描いて、長い髪を伝うように流れ落ちていた。鏡に映したかのような女の姿は、もうどこにもなかった。
一人残されたリーダーの男は、ぐったりとした女を抱えて茂みの中に逃げこむと、息を潜めて身を隠した。
「お前達の負けだ。もういい加減にしたらどうだ」と、彼の声が聞こえた。
彼は、いつの間にか私のすぐそばに立っていた。その肩には、男達から奪い取ったらしい自動小銃がかけられていた。彼は、私の手を縛っているロープを解くと、体を起こした私に手を貸して立ち上がらせた。
「知っているのだろう、私の数術(じゅじゅつ)のことは――」
リーダーの男は、細い雑木を背に銃を構え、茂みの中からこちらをうかがっていた。
「空間をいじったせいで、私の家はどこか遠くへ移動してしまった。先ほど、刃物で怪我をした男がいたと思うが、いまも苦痛に耐えながら、君達の助けを待っているはずだ。早く探してやった方がいい」
「お前を捕まえるのが、私達の任務だ」と、リーダーの男が抑揚のない声で答えた。
「おいおい……」と、彼は困ったように言った。「捕まえるだけにしては、鉄の弾をずいぶんと撃ちこんでくれたじゃないか」
リーダーの男が、茂みの中からザザザッと枝を揺らして飛び出した。見ている目が追いつけないほど素早い動きだった。男は勢いを保ったまま、空中に高く跳ねあがった。飛膜を広げたムササビのように両手足を広げ、彼に襲いかかってきた。その右手には、ぎらりと光るナイフが握られていた。
どん、と和太鼓が打ち鳴らされたような振動が空気を振るわせた。宙に舞い上がったリーダーの男が、ワイヤーで引かれたように後ろへはじかれた。
蜘蛛のような姿勢で音もなく地面に伏せた男は、そのままじっと彼の様子をうかがっていた。
襲いかかられた彼は、肩にかけた小銃を手にするひまもなく、両腕を構えて頭部を守ったまま、右足を後ろに引いて背をゆるくかがめていた。どこにも怪我はしていないようだった。
再び、リーダーの男が立ち上がった。私は、すぐに異変に気がついた。あるはずの右腕が、肩の部分から袖ごとなくなっていた。腕がすっぱりと切れ落ちた肩口からは、なぜかまったく血が流れていなかった。
男の腕は、すぐ目の前の足もとに落ちていた。持っていたナイフを放し、指で地面を掻きながら、手探りするように這い動いていた。見たこともない奇妙な生き物のようだった。よく見れば、腕は体からずれ落ちただけで、男の体と依然として繋がり、意志のとおり動かせるようだった。
「お前達に仕事を依頼した組織の連中は、私のことをすべて教えてくれたわけじゃなさそうだな」と、彼が腕を下ろしながら言った。「私にとっては、お前達が仕掛けてくることなど、なんの痛みもともなわない嫌がらせのようなものだ。そんなことに命をかけるなんて、なんともバカげているとは思わないか?」
「グッ……」と声が上がった。ナイフを投げた男が、私のすぐ横にどしん、と仰向けに倒れた。
迷彩服の男達が、ササッと身を伏せた。リーダーの男が、蜘蛛のように低く這い動き、仰向けに倒れた男のもとに向かった。細い息をしている男の腹部には、ぎらりと冷たく光るナイフが突き刺さっていた。
「気をつけろ、ヤツの術が仕掛けられている」と、リーダーの男が低い声で言った。
(――術?)
私には、それがなにを意味するのかわからなかった。
リーダーの男が傷ついた男を手当すると、私は髪を鷲づかみにされ、またその場に立たされた。後ろに組んだ手をつかんだ女は、鷲づかみにした髪を引いて弓ぞりにさせると、苦痛に顔をゆがめる私を盾にしながら、背中を押して小径の先を歩かせた。
緑の芝生を抜けると、路地の舗装道路に出るはずだった。しかし、小径の先は、どこかの港だった。潮の香りが、プンと鼻をついた。私は思わず立ち止まり、防波堤を洗うザブンという波音を耳にしながら、背中を押す女に逆らって、後ろを振り返った。たった今歩いてきたばかりの小径が消え、代わって海岸特有の低い雑木が、夜の闇に溶けるほど遠くまで生い茂っていた。捕まえられていることも上の空になるほど、頭の中が混乱していた。
「私なら、ここだ 」
彼だった。
私を一人残したまま、迷彩服の連中が四方に散らばった。
――プスン、――プスン。
と、空気の抜けた風船が、立て続けに割れるような音が聞こえた。見ると、片膝立ちで銃を構えていた男が、ゆらゆらと、煙のようにくゆるおぼろな姿に変わり、風に舞う砂のように吹き飛ばされていった。
私はあわてて、冷たいアスファルトの上に身を伏せた。
「撃つな!」と、リーダーの叫び声が聞こえた。
恐ろしかったが、右肩を支えに顔を上げると、私を引っ立てて来た迷彩服の女が、蜘蛛のような姿勢で這い動き、彼に向かって飛びかかるのが見えた。
タン、タンと二度、短い銃声が聞こえた。
私は、目を見張った。
彼の姿が消え、代わって姿を現したのは、鏡に映したかのような彼女自身だった。向かい合わせの姿でこちらを向いたもう一人の女は、自分自身に向けて、ユラリと陽炎が立ちのぼる銃を構えていた。
リーダーの男が、素早く女に駆け寄った。頭をがくん、と後ろにのけぞらせて倒れる女を、その腕にひしと抱きとめた。
目を閉じて、力なく仰向けになった女の額には、赤く判を押したような穴がひとつ開き、赤い血が細く線を描いて、長い髪を伝うように流れ落ちていた。鏡に映したかのような女の姿は、もうどこにもなかった。
一人残されたリーダーの男は、ぐったりとした女を抱えて茂みの中に逃げこむと、息を潜めて身を隠した。
「お前達の負けだ。もういい加減にしたらどうだ」と、彼の声が聞こえた。
彼は、いつの間にか私のすぐそばに立っていた。その肩には、男達から奪い取ったらしい自動小銃がかけられていた。彼は、私の手を縛っているロープを解くと、体を起こした私に手を貸して立ち上がらせた。
「知っているのだろう、私の数術(じゅじゅつ)のことは――」
リーダーの男は、細い雑木を背に銃を構え、茂みの中からこちらをうかがっていた。
「空間をいじったせいで、私の家はどこか遠くへ移動してしまった。先ほど、刃物で怪我をした男がいたと思うが、いまも苦痛に耐えながら、君達の助けを待っているはずだ。早く探してやった方がいい」
「お前を捕まえるのが、私達の任務だ」と、リーダーの男が抑揚のない声で答えた。
「おいおい……」と、彼は困ったように言った。「捕まえるだけにしては、鉄の弾をずいぶんと撃ちこんでくれたじゃないか」
リーダーの男が、茂みの中からザザザッと枝を揺らして飛び出した。見ている目が追いつけないほど素早い動きだった。男は勢いを保ったまま、空中に高く跳ねあがった。飛膜を広げたムササビのように両手足を広げ、彼に襲いかかってきた。その右手には、ぎらりと光るナイフが握られていた。
どん、と和太鼓が打ち鳴らされたような振動が空気を振るわせた。宙に舞い上がったリーダーの男が、ワイヤーで引かれたように後ろへはじかれた。
蜘蛛のような姿勢で音もなく地面に伏せた男は、そのままじっと彼の様子をうかがっていた。
襲いかかられた彼は、肩にかけた小銃を手にするひまもなく、両腕を構えて頭部を守ったまま、右足を後ろに引いて背をゆるくかがめていた。どこにも怪我はしていないようだった。
再び、リーダーの男が立ち上がった。私は、すぐに異変に気がついた。あるはずの右腕が、肩の部分から袖ごとなくなっていた。腕がすっぱりと切れ落ちた肩口からは、なぜかまったく血が流れていなかった。
男の腕は、すぐ目の前の足もとに落ちていた。持っていたナイフを放し、指で地面を掻きながら、手探りするように這い動いていた。見たこともない奇妙な生き物のようだった。よく見れば、腕は体からずれ落ちただけで、男の体と依然として繋がり、意志のとおり動かせるようだった。
「お前達に仕事を依頼した組織の連中は、私のことをすべて教えてくれたわけじゃなさそうだな」と、彼が腕を下ろしながら言った。「私にとっては、お前達が仕掛けてくることなど、なんの痛みもともなわない嫌がらせのようなものだ。そんなことに命をかけるなんて、なんともバカげているとは思わないか?」