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くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

数術師(11)

2014-08-03 06:31:06 | 「数術師」
 ドアが閉まると、列車はゆっくりと走り始めた。閉じられたドアの窓から、私は次第に速度を上げ、飛ぶように過ぎていく外の様子を見ていた。すると、おかしなことに気がついた。窓の外は、私達がいた小さな無人駅ではなかった。どこの駅かはわからなかったが、数台の列車が、それぞれのホームで出発の時刻を待っているのが見えた。早朝のせいか、人影はまばらだった。黒いバッグを重そうに肩から提げた駅員が一人、こちらに背を向けてホームを歩いていた。
 どのような仕掛けをすれば、こんな事ができるのか、私には考えもつかなかった。
「どうなってるんだ……」と、私は冷たいガラス窓に額をつけ、食い入るように外を見ていた。
 彼に問いただそうと、後ろを振り返ると、
「さぁ、中に入りましょう」
 彼は、振り返った私をはぐらかすように言うと、ドアに手を伸ばしながらうながし、進行方向の車両に入った。彼がドアを開けると、こちらに背を向けた座席が、奥の出入り口まで、通路をはさんでずらりと両側に並んでいた。
 まだ時刻が早いせいか、空席が目立つ車両には、思い思いの席に座る乗客が、数えるほどしかいなかった。後ろから見る限り、乗客の誰もが心地よさそうに目をつぶり、小さな寝息を立てて眠っているようだった。
 彼は私の先を歩いて、前に見える出入り口近くまで通路を進むと、空いている席を後ろ向きに変え、窓側の席に座った私と向かい合わせになって、腰を下ろした。
 気が張りつめていたせいだろうか、座席に座っていくらも経たないうち、我慢しきれないほどの眠気が襲ってきた。
見れば、向かい側に座った彼も、腕組みをしたまま目をつぶり、窓側の壁にもたれて首をかしげ、小さな寝息を立てていた。
 昨夜からの一連の出来事で、きっと疲れていたのだろう。彼の横顔が、急に年をとったように見えた。
 不可解な事故を自ら演出した後、おそらく彼は、街の人混みの中で、じっと息を潜めていたに違いない。自分自身を目立たなくすることで、執拗な追っ手から逃れ続けてきたのだ。それまでの彼は、他人とほとんど接することなく、自らの研究に没頭していたのだろう。くしくも身を潜めた街で、様々な人と出会い、彼は科学者として、たとえば自らの研究を鼓舞すべく、いたずらに命の核にメスを入れてしまうような、失ってはならない倫理の尊さを、改めて見いだしたのではないだろうか。
 本人は口にこそしなかったが、彼自身が数術(じゅじゅつ)と呼ぶ不思議な術を使えば、二度と追われることなく、透き通った海に囲まれた楽園のような土地で、のんびりと生きていくこともできただろう。しかし、命を落としかねない危険にさらされながら、彼が戦うことを選んだ理由とは、単に隠されているという真理を暴き、無責任に世界中へばら撒くためなのだろうか……。それはきっと、真理を我が物にして科学の進歩を妨げ、自分の意のままに人々を操ろうとする特権的な利己主義を認めず、打ち砕くためであるはずだった。個人的な思い入れに過ぎないかもしれないが、そうであってほしかった。
 ただ、彼が言う神の杖という組織が、どれほど大きな組織なのか、私には想像もできなかった。神秘に包まれたオカルティックな秘密結社と同じく、実体があるのか無いのかもわからない、ただその存在だけがまことしやかに噂されているだけなのではないか。
 だがだとすれば、私達を襲ってきた連中は何者なのか……。仮に秘密結社が送りこんだ刺客としても、昨夜のように訓練された連中を次々と敵に回し、その度に打ち破ったとして、果たして組織の追求を逃れるためにどれほどの効果があるというのか。たった一人で戦いを挑む小さな抵抗を、彼はいつまで続けるつもりなのか……。
 砂浜に作った砂の城郭が、決して大きくはない波に足下をさらわれ、簡単に崩されてしまうのにも似た愚かな行為を、捨て鉢になった彼が、無闇に繰り返しているだけのようにも思えた。

 タタタン、タタン。タタタン、タタン――。

 小気味のいい音を立て、列車は、山の斜面で寒そうに枝を張った灌木の横を走っていた。私もいつの間にか、温かい車内の暖房に眠気を誘われ、彼と同じようにゆっくりと目を閉じ、うとうとと心地のよい眠りに落ちていった――。

 タタタン、タタン。タタタン、タタン――。

 ――……。
 
         6
ふと、意識が先に目を覚ました。どの位眠っていたのだろうか、誰かに見られているような気がして、慎重に目を開けた。
 と、目の前の空気が、陽炎のようにゆらゆらと透明な波を起こし、光を屈折させて揺らめくのが見えた。
 光の屈折は、やい刃がくの字を描く奇妙な形のナイフを宙に持ち上げ、いまにも、すやすやと寝息を立てている彼の胸に突き立てようとしていた。
「やめろ!」と、私は叫んだ。
 グイッ、と後ろから、細いワイヤーロープのようなもので喉を締めあげられた。私は必死で、喉に食いこむ硬いロープを両手でつかみ、窒息させられまいと歯を食いしばって抵抗した。
 うっ、と短いうめき声が聞こえた。ぽとりと足下に赤い色の滴が落ちた。なにもないはずの目の前の空間から、にょきりとナイフの切っ先が顔をのぞかせていた。切っ先は、ゆらゆらとたゆたう陽炎を、ざっくりと貫いているようだった。赤い色の滴は、そのナイフの先からしたたり落ちていた。すぐにナイフが見えなくなるほど、目の前の空間ががみるみるうちに赤く染まり、人の形が、竜巻のような渦を巻いて浮かびあがった。
コメント
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