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くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

数術師(12)

2014-08-04 06:58:31 | 「数術師」
 彼が、目を開けて体を起こした。赤く浮かび上がった男の上半身を払いのけると、勢いよく立ち上がり、私の首を絞めている人間に拳を振るった。

 バチン――

 と、厚いガラス窓をビリビリ震えさせるほどの衝撃が、後ろの座席から響いてきた。喉を絞めていた力が、「ゲグッ」という苦悶の声と共に消え失せた。
 私は、首に残った細いロープをはずすと、手で喉を押さえながら体をかがめ、激しくむせびかえった。
 彼は、私の脇に腕を回して立ちあがらせると、半ば引きずるように前を走る車両へ急いだ。
「あれは……」と、私は咳きこみながら聞いた。
「おそらく、カメレオンのように色素を変化させることができる迷彩服でしょう」と、後ろ手にドアを閉めた彼が言った。「思ったより早く連中がお出ましになりましたね。もっとも今回は、簡単に逃がすつもりはないようですが――」
 逃げこんだ車両にも、乗客は数えるほどしかいなかった。今し方の爆音が聞こえなかったのか、全員ぴくりともせず、不自然なほどぐっすりと寝入っているようだった。
 車両の通路を中ほどまで進むと、後ろのドアがガタンと大きな音を立て、勢いよく開けられた。しかしドアの向こうには、誰の姿も見えなかった。
「下がっていてください――」と、彼は私と場所を入れ替えながら言った。
 開けられたドアの方を向いたまま、彼が私の後ろに立つと、車両の左右の窓が一斉に割れ、迷彩服を着た男達が、ロープにつかまりながら中に飛びこんできた。
 どうと吹きつける風に舞って、小さなガラスの破片が、プチプチと頬をかすめていった。
 私はとっさに身をかがめ、両腕で顔を守った。
 迷彩服の男達は、座席の背もたれを盾にすると、私達に拳銃の銃口を向けた。
(撃たれる――)
 一瞬目を閉じたが、引き金は引かれなかった。いや、彼らは引き金を引くことができなかった。
 なぜなら、眠っていたはずの乗客達がフラフラと立ち上がり、そばにいる男達につかみかかって、自由を奪ったからだった。
 乗客の背中には、人の形をした小さな紙が張り付いていた。どうやらこの紙切れが、夢うつつの乗客達を、意のままに動かしているらしかった。
 迷彩服の男達は、つかみかかる乗客に手を焼いていた。制服を着た高校生や、作業着を着た年寄りもいた。一見すると、力では男達にまったく歯が立たないはずだったが、背中の紙に操られている乗客達は、片手で軽々と男を持ち上げてしまうほど、体格的な差をものともせず、驚くべき怪力を振るって、男達を翻弄していた。
 ぐずぐずしてはいられなかった。迷彩服の男達が手をこまねいている隙を縫って、私達はさらに前方の車両へ急がなければならなかった。この機会を逃せば、前後を塞がれて退路を断たれ、無事に逃げ延びられる確率が、ほとんど失われてしまうかもしれなかった。
 私は、ひと息に通路を駆け抜けようと足を踏み出した。しかし、後ろの彼は、後をついてくるどころか、いまだ姿の見えない追っ手と対峙したまま、微動だにしていなかった。
 迷彩服の男達は、乗客の背中に張られた紙に気がつくと、拳銃の底で次々に叩き落としていった。魂が抜けたようになった乗客達は、背中に張られた紙がはがされるたび、怪力を振るっていたことが嘘のようにピタリと動きを止め、次々とその場に崩れ落ちていった。
 どうやら、二人が無事でいられる方法は、命がけで戦うこと以外、ほかに残されていないようだった。覚悟を決めた私は、前に踏み出した足を戻し、腰を低くして身構えた。
 邪魔する者がいなくなった男達は、士気を取り戻し、体勢を素早く立て直すと、私達に銃を向けながら、じりじりと距離を詰めてきた。
 私の後ろに立つ彼も、見えない迷彩服に身を包んだ追っ手から目を離さず、ゆっくりとこちらに後ずさりをしてきた。
 なにか武器にできるものはないか――。私は無駄な抵抗と知りつつ、いくつもの銃口を向けられながら、車内に目を走らせていた。
「あの護符を覚えていますか?」と、彼が後ろ向きのまま、小声で私に言った。
 トラックのドライバーに渡したメモだと気がつき、前を向いたまま、すぐに「ああ……」とうなずいた。
「あの時の文様を使うんです」
「でも、どうやって……」
「私が書いた護符を思い出してください。あの文様は、圧力の式を元に組み立てた数印(じゅいん)です。手の甲に指でなぞり、指で輪を作って口に当ててください。そして、できるだけたくさん息を吸いこみ、嵐を起こすように意識しながら、思いっきり吹き出すんです」
 すぐには、彼がなにを言ってるのかわからなかった。だが頭のどこか隅の方では、彼が護符に書いた文様の力を悟ったようだった。迷っている余裕はなかった。私は銃を構えた男達が間近に迫ってくる中、彼に言われたとおり、左手の甲に素早く文様を描くと、指先を合わせて輪を作り、口に当てて大きく息を吸いこんだ。
 ゆるい風の流れが、私の手の中に流れこんできた。車両中の空気が、すべて口の中に集まってくるようだった。
「動くな!」と、男の一人が私の顔に銃を向けた。「両手を上げるんだ――」
「今です――」と、彼が横目で私を見た。
 私は、両手を上げる代わりに勢いよく息を吹き出した。
 立っていられないほど大きな風が、竜巻のような渦を巻いて、私の口もとから吹きつけた。迷彩服の男達はなすすべもなく、飛びこんできた窓から、一人残らず列車の外へ投げ出されていった。
 あっけにとられた私が我に返ると、彼はまだ、姿の見えない人間とにらみ合っていた。
私は、彼を助けようと、教えてもらったばかりの不思議な術を試みた。しかし、左手の甲に印を描き始めたとたん、
「だめです。こいつには通用しません――」
 彼が言い終わるが早いか、「伏せて!」と、彼が私の腕をつかみながら床に体を伏せた。
 あわてて身を低くした私の頭上で、ドン、と硬い物のつぶれる音が、振動と共に伝わってきた。
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