くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

数術師(14)

2014-08-06 06:30:09 | 「数術師」
 私達は階段に向かう人の波をかき分け、小走りにホームを移動した。
 一度、駅の外に出るのかと思ったが、彼はホームを結ぶ連絡通路には降りたものの、出口には向かおうとしなかった。
 ふと、通路の奥で、関係者専用のドアを開け、重そうなケースを山ほど荷車に積んだ女性が、低い凹凸に車輪をつまずかせながら、ぎくしゃくとドアの奥へ入っていく姿が見えた。
「ちょうどよかった。あそこから入りましょう」と、彼は女性が入っていったドアを指さした。
 私は、何人かの足音が後ろから追いかけてくる気配を感じながら、彼から遅れないように急いで通路を進んだ。

「すみません、お客さん――」

 と、通路に響く声で呼び止められた。

「ちょっと待ってください」

 行き交う人達が、声をかけられたのが誰なのかわからず、キョロキョロと、互いの顔を探り合うように見合わせた。私は歩みを止めず、肩越しに振り返ると、ベルトの腰に手を当てた警察官が、駆け足でこちらにやって来るのが見えた。
 走りにくそうに片手を腰に当てた警察官のほかにも、何人かの駅員が、後ろから早足でついてきていた。そのうちの一人は、ホームで私達を指さしていた乗客と、なにやら話をしていた駅員だった。
 私は、ドアの前で立ち止まった彼の後ろで、勢いづいた足を止めた。
「ちょっと待て――」
 警察官の声は、明らかに怒気をはらんでいた。私は目深に被った帽子のつばに手をかけながら、追いかけてくる警察官達の様子を、横目でうかがった。
 彼は、間近に迫ってきた追っ手に少しもあわてることなく、右手の指先で素早くドアに術をかけると、
「じゃあ、行きましょうか――」
 と言って、カチャリとドアを開けた。
 警察官の手が、私の肩に触れる寸前だった。彼に続いてドアをくぐると、私はすぐにドアの反対側に回った。両手でしっかりノブをつかむと、押し返されないように肩をあて、体重をかけながらぴたりとドアを閉めた。
 ドアが閉まる直前、「開けろ!」と叫ぶ声が聞こえた。しかしドアが閉まると、がやがやとした駅の喧噪もろとも、嘘のようにプッツリとかき消えた。
 もしかすると、手を離したとたんに警察官が飛び出してくるのではないか――。私は息を詰めながら、おそるおそるドアから離れた。
 振り返ると、そこはまた明らかに違う駅のホームだった。
 驚いて、すぐにまた振り返った。たった今出てきたばかりのドアを確認すると、私が閉めたドアには、赤いスカートを履いた女子トイレのマークが描かれていた。
 椅子に座っているおばあさんが、トイレから出てきた私達を見て、目を丸くして驚いていた。その膝に手を乗せながら、怪訝そうな顔をしている小さな男の子が、ふっくらとかわいらしい手でこちらを指さしながら、「女のトイレから出てきた」と、大きな声で何度も繰り返し、おとなしくさせようとするおばあさんを困らせていた。
 売店に立つ女性が子供の声を聞きつけ、不審な面持ちで私達を一瞥した。特に変わった様子がないとわかると、女性は何事もなかったようにくるりと背を向けた。
 列車は、すぐにやってきた。私達は迷わず、やってきた列車に乗りこんだ。
 彼は、狭いデッキで立ち止まると、わざわざ半開きになっている客室のドアを閉め、ドアのガラスに素早く指先を走らせてから、中に入っていった。彼の後に続いて中に入ると、ガラスの向こうに見えていた客室とは、まったく別の客室に変わっていた。
 私は思わず息を飲み、足を止めた。あっけにとられ、客室中に目を走らせた。彼は、立ち止まった私を気にすることなく、どんどん先へ歩いて行った。置いていかれそうになった私は、あわてて後を追いかけた。
 彼は、先頭の車両に向かいながら、客室のドアの前で立ち止まるたびに術をかけ、繰り返される変化に戸惑っている私をよそに、別の列車へと次々に移動を繰り返した。
「さあ、このドアをくぐれば、後は終点に到着するのを待つだけです」と、ようやく立ち止まった彼が、私を振り返って言った。
 私達はまた新たな列車に移動すると、空いている席を見つけ、並んで腰を下ろした。追っ手が迫ってくる様子はなかった。窓からは、澄み渡った青空の下、ずいぶんと色づいた山々の景色が見えていた。お互いにとりとめのない話を交わした。公園のベンチで目を覚ましてから、一番心が落ち着いた時間だった。
 この時も、彼はまだ私が誰なのかを話そうとしなかった。彼は私が何者であるのか、本当に知らないのだろうか――。しかし彼は、私と出会った時から、すでに私が何者であるかを知っていた。私がリーダーとして采配を振るっていたプロジェクトのことも、体に火傷を負うことになった原因のことも、当然知っていたに違いない。
 研究とは名ばかりで、私はただ自分の好奇心を満足させることに夢中になり、結果、闇で取引される非合法な兵器の密造に手を貸していた。
 あの日、彼が男達に追われていた私を助けたのは、気まぐれな正義感に駆られたためではなかった。悪事に手を貸してしまった後ろめたさから、自らの手ですべてを消し去ろうとしたあげく、かろうじて命を取り留めた私が、これからどこに向かっていくのか、その目で確かめようとしたからだった。
 研究者の道を捨て、一人で戦うことを選んだ彼は、自分の選択が果たして正しかったのかどうか、自問自答を繰り返していたに違いない。彼と同じように自ら研究の道を断った私が、自分の生き方、考え方を目の当たりにした上で、これからどのように生きていくのか――。人知れず身を隠し、後悔の日々を送るのか。勝ち目はないかもしれないが、戦い続ける道を選ぶのか。その答えを私がどう導くのか、彼は見極めようとしたのだ。その選択を下す材料として、彼は記憶をなくした私を、自分の生きる世界へ、わずかな時間ではあるが招待し、誰にも知られたくないはずの数術まで、目撃し、使用することさえ許したのではないだろうか。
コメント
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