催涙弾が、吹き上げる煙で弧を描きながら、廊下に転がった。
ガスマスクを着けた迷彩服の男達が、物陰に隠れながら銃を構え、部屋の様子をうかがっているのが見えた。
私は、急いでドアの陰に身を隠した。と、新たな催涙弾が一個、二個。次々と部屋の中に投げこまれた。
子供に変わった部屋の主人が外に出て行った時、同時に術が解かれたのだろう。その隙をつかれ、私達はまんまと包囲されていた。
彼は、窓に向かったままだった。ビシッ、ビシッ、と彼の挑戦を受けるように次々と銃弾が撃ちこまれた。窓ガラスが、点々と花を咲かせたように何カ所もひび割れていた。
なにをするつもりなのか、見ると、彼は唇を噛みながら、手の平を銃弾が撃ちこまれる方向にかざしていた。
部屋の中には、廊下から放り込まれた催涙ガスが、みるみるうちに充満しつつあった。
どうすればいいのか、このままでは、男達の侵入を許してしまう――。
追いつめられた私は、ぐっしょりと冷たい汗をかいていた。突入しようとしている男達から、なんとか彼を守らなければならなかった。
半ば捨て鉢になった私は、彼が教えてくれた数術を、もう一度試してみることにした。
左手の甲に数印を描くと、私は開け放たれたドアの前に飛び出した。じりじりと迫ってきていた迷彩服の男達が、銃口の狙いを定めつつ、びくりと動きを止めた。
私は廊下の真ん中に立つと、男達の正面に向かい、指で作った輪をくちびるにあてた。
深く息を吸い込むと、つむじ風があちらこちらで吹き上がる手ごたえを感じた。
彼を守らなければならない、という強い意志が働いたせいだろうか、部屋の壁といわず、廊下の壁までもが、ギシギシと今にも崩れてしまいそうな音を立て、列車で術をかけた時とは桁違いなほど大量の空気が、私の手の中に集まってきた。
迷彩服の男達は、立っていられないほど強い風から身を守りつつ、廊下に低く体を伏せ、なす術もなくじっとこちらの様子をうかがっていた
私は、十分に息を吸いきると、片膝を床について構え、男達に向かって思いきり息を吹き出した。
黒々とした渦を巻き、巨大な竜巻が猛々しく吹き荒れた。部屋に迫ってきていた迷彩服の男達は、投げこまれた催涙弾もろとも、一人残らず散り散りに吹き飛ばされた。
私は、開け放たれたドアを閉めると、すぐに鍵をかけた。そして、彼がビルの壁に描いていた数印を思い出しつつ、足下に落ちていたガラスの破片を拾って、素早くドアに描いた。
ドアに描かれた数印が明滅しながら消えていくのを確かめると、私は彼を振り返った。
彼は、窓の正面に立ち、しっかりと足を踏ん張って、なにかを捕らえようとするように腰を落としていた。
ビシッという音を立て、窓に銃弾が撃ちこまれた。ひび割れが幾重にも重なった防弾ガラスが、ザザッと滝のように崩れ落ちた。
パン、と風船が割れるような音が響き、彼が手でなにかを受け止めると、遅れてキューンという金属音が、風に乗って遠くから聞こえてきた。
彼は、すぐに大きく腕を振りかぶると、窓の外へ、受け止めたばかりの物を力一杯放り投げた。
「まさか――」と、私は驚いて彼にたずねた。「今のは、銃弾を受け止めたのか――」
「飛んでくる方向さえわかれば、造作もないことです」と、彼は外を見たまま言った。
新たな銃弾は、それから一発も撃ちこまれなかった。
「ドアは閉めた――」と、私は彼に言いながら、数印を描いたドアを指さした。
「さすがですね。ほんの短い時間で、これほどまで術を操れるようになってしまった」と、彼はにっこりと目を細めた。「完璧です。わずかばかりのベクトルを与えてやれば、この部屋はすぐにでも移動を始めるでしょう」
彼は窓から離れると、ドアに向かって歩き始めた。列車と同様、彼がドアを開ければ、その先はもはや建設会社のビルではなく、どこか別の場所へつながっているはずだった。
ヒュン、ヒュン、ヒュン―――
プロペラの音が、遠くから近づいてきた。
重々しく風を切る機械音が、ガラスが割れ落ちた窓の下から、少しずつ強さを増して聞こえてきた。黒いヘリの機体が、私達の前に勢いよく姿を現した。
「離れて!」と、彼は私に言いながら、壁を背にして身をかがめた。
長い影を部屋に伸ばしたヘリの中から、人影が踊り出した。割れ残った防弾ガラスを砕き、粉々になった破片をまき散らしながら、どしんと部屋に着地した。
機械とも、人ともつかない巨体の兵士が、むくりと立ち上がった。
黒いヘリは、男が立ち上がるのを確認することなく、すぐにどこかへ飛び去っていった。
二メートルは優にあるだろう。天井につかえそうなほど大きな兵士が、私の前にそびえ立った。首から下は、中世の甲冑のような鋼鉄の鎧に身を包み、短く刈られた髪の下からは、数本の色違いのコードが生え、赤いレンズをはめたゴーグルに伸びていた。
私は、機械と同化したような男の、にやりと浮かべた笑顔を見た。
その悪意に充ちた顔を見たのは、二度目だった。
私の記憶が、雪崩を打つようにすべて甦った。
ぐらり、と地面が揺れた。
記憶が甦ったショックで、めまいを起こしたとのか思ったが、そうではなかった。部屋全体が、大波に浮かぶ小船のようにゆっくりとうねっていた。
異変が起こり始めていた。
大男の身にまとっている鎧が、小さな光の線をいくつも走らせた。鎧の表面を、まるで生き物のような光が縦横に走り回っていた。
人間の能力を、何倍にも向上させる機能を持った強化鎧。その量産型第一号を身にまとったのが、目の前に立つ、機械化兵と名付けられた兵士だった。鎧の表面を走る光は、その起動を意味していた。
ヒュン――と、彼が手を払って空気の刃物を抜きはなった。
機械化兵は、残像を残すほど素早く足を引き、空気の刃物が切るはずだったポイントを、たくみにずらした。人間を遙かに超えた速さだった。
ガスマスクを着けた迷彩服の男達が、物陰に隠れながら銃を構え、部屋の様子をうかがっているのが見えた。
私は、急いでドアの陰に身を隠した。と、新たな催涙弾が一個、二個。次々と部屋の中に投げこまれた。
子供に変わった部屋の主人が外に出て行った時、同時に術が解かれたのだろう。その隙をつかれ、私達はまんまと包囲されていた。
彼は、窓に向かったままだった。ビシッ、ビシッ、と彼の挑戦を受けるように次々と銃弾が撃ちこまれた。窓ガラスが、点々と花を咲かせたように何カ所もひび割れていた。
なにをするつもりなのか、見ると、彼は唇を噛みながら、手の平を銃弾が撃ちこまれる方向にかざしていた。
部屋の中には、廊下から放り込まれた催涙ガスが、みるみるうちに充満しつつあった。
どうすればいいのか、このままでは、男達の侵入を許してしまう――。
追いつめられた私は、ぐっしょりと冷たい汗をかいていた。突入しようとしている男達から、なんとか彼を守らなければならなかった。
半ば捨て鉢になった私は、彼が教えてくれた数術を、もう一度試してみることにした。
左手の甲に数印を描くと、私は開け放たれたドアの前に飛び出した。じりじりと迫ってきていた迷彩服の男達が、銃口の狙いを定めつつ、びくりと動きを止めた。
私は廊下の真ん中に立つと、男達の正面に向かい、指で作った輪をくちびるにあてた。
深く息を吸い込むと、つむじ風があちらこちらで吹き上がる手ごたえを感じた。
彼を守らなければならない、という強い意志が働いたせいだろうか、部屋の壁といわず、廊下の壁までもが、ギシギシと今にも崩れてしまいそうな音を立て、列車で術をかけた時とは桁違いなほど大量の空気が、私の手の中に集まってきた。
迷彩服の男達は、立っていられないほど強い風から身を守りつつ、廊下に低く体を伏せ、なす術もなくじっとこちらの様子をうかがっていた
私は、十分に息を吸いきると、片膝を床について構え、男達に向かって思いきり息を吹き出した。
黒々とした渦を巻き、巨大な竜巻が猛々しく吹き荒れた。部屋に迫ってきていた迷彩服の男達は、投げこまれた催涙弾もろとも、一人残らず散り散りに吹き飛ばされた。
私は、開け放たれたドアを閉めると、すぐに鍵をかけた。そして、彼がビルの壁に描いていた数印を思い出しつつ、足下に落ちていたガラスの破片を拾って、素早くドアに描いた。
ドアに描かれた数印が明滅しながら消えていくのを確かめると、私は彼を振り返った。
彼は、窓の正面に立ち、しっかりと足を踏ん張って、なにかを捕らえようとするように腰を落としていた。
ビシッという音を立て、窓に銃弾が撃ちこまれた。ひび割れが幾重にも重なった防弾ガラスが、ザザッと滝のように崩れ落ちた。
パン、と風船が割れるような音が響き、彼が手でなにかを受け止めると、遅れてキューンという金属音が、風に乗って遠くから聞こえてきた。
彼は、すぐに大きく腕を振りかぶると、窓の外へ、受け止めたばかりの物を力一杯放り投げた。
「まさか――」と、私は驚いて彼にたずねた。「今のは、銃弾を受け止めたのか――」
「飛んでくる方向さえわかれば、造作もないことです」と、彼は外を見たまま言った。
新たな銃弾は、それから一発も撃ちこまれなかった。
「ドアは閉めた――」と、私は彼に言いながら、数印を描いたドアを指さした。
「さすがですね。ほんの短い時間で、これほどまで術を操れるようになってしまった」と、彼はにっこりと目を細めた。「完璧です。わずかばかりのベクトルを与えてやれば、この部屋はすぐにでも移動を始めるでしょう」
彼は窓から離れると、ドアに向かって歩き始めた。列車と同様、彼がドアを開ければ、その先はもはや建設会社のビルではなく、どこか別の場所へつながっているはずだった。
ヒュン、ヒュン、ヒュン―――
プロペラの音が、遠くから近づいてきた。
重々しく風を切る機械音が、ガラスが割れ落ちた窓の下から、少しずつ強さを増して聞こえてきた。黒いヘリの機体が、私達の前に勢いよく姿を現した。
「離れて!」と、彼は私に言いながら、壁を背にして身をかがめた。
長い影を部屋に伸ばしたヘリの中から、人影が踊り出した。割れ残った防弾ガラスを砕き、粉々になった破片をまき散らしながら、どしんと部屋に着地した。
機械とも、人ともつかない巨体の兵士が、むくりと立ち上がった。
黒いヘリは、男が立ち上がるのを確認することなく、すぐにどこかへ飛び去っていった。
二メートルは優にあるだろう。天井につかえそうなほど大きな兵士が、私の前にそびえ立った。首から下は、中世の甲冑のような鋼鉄の鎧に身を包み、短く刈られた髪の下からは、数本の色違いのコードが生え、赤いレンズをはめたゴーグルに伸びていた。
私は、機械と同化したような男の、にやりと浮かべた笑顔を見た。
その悪意に充ちた顔を見たのは、二度目だった。
私の記憶が、雪崩を打つようにすべて甦った。
ぐらり、と地面が揺れた。
記憶が甦ったショックで、めまいを起こしたとのか思ったが、そうではなかった。部屋全体が、大波に浮かぶ小船のようにゆっくりとうねっていた。
異変が起こり始めていた。
大男の身にまとっている鎧が、小さな光の線をいくつも走らせた。鎧の表面を、まるで生き物のような光が縦横に走り回っていた。
人間の能力を、何倍にも向上させる機能を持った強化鎧。その量産型第一号を身にまとったのが、目の前に立つ、機械化兵と名付けられた兵士だった。鎧の表面を走る光は、その起動を意味していた。
ヒュン――と、彼が手を払って空気の刃物を抜きはなった。
機械化兵は、残像を残すほど素早く足を引き、空気の刃物が切るはずだったポイントを、たくみにずらした。人間を遙かに超えた速さだった。