Miel de Framboise

momoママの泣き笑いの日常をつづる日記です。
不思議体験も必見!

私のインナーチャイルド事情 その4(最終章)

2020-12-27 17:58:16 | 私のインナーチャイルド

みなさま、こんにちは。

この記事を書くことを

今年の抱負に宣言しちゃったもんだから

図らずも

自分と向き合う

年末を過ごしているmomoママです(*≧m≦*)ププッ

 

※まだ年賀状も書き終えてないし

 大掃除なんて手付かずです!

 という意味が含まれております

 

時々しらすちゃん挿入

 

私のインナーチャイルド事情 その1は→コチラ

私のインナーチャイルド事情 その2は→コチラ

私のインナーチャイルド事情 その3は→コチラ

 

 

momoとの出逢いは

それはそれは運命的でした

その辺りのことは

このブログにも

何度か書いていますのでちょっと割愛。

※書いてたら終わらないので(苦笑)

 

momoと私は特別な関係でした。

ひとつの魂が分裂した片割れ同士だったのです

ツインソウルって言うらしいです。

人間とわんこって珍しいのでしょうが

momoは元々人間だったかもですね(知りませんが!笑)

 

このことが解ったのはずっと後のことですが

momoをひと目見た時から

(しかもちょっと離れたところから!)

その愛しさは言葉には出来ないほどで

私とmomoは

お互いに無くてはならない存在となります。

 

最愛なる娘

最愛なるお花達

最愛なるmomo

稼いでくれる夫(笑)

 

多分誰から見ても

私は幸せそうに見えていたことでしょう。

 

この暮らしを守りたい

絶対に失いたくない!

 

「私が幸せになれるワケがない!」

「私が生まれたことは神様に許されてない!」

「私なんて死ねば良いのに!」

私は私の中から沸き起こる

こんなネガティブな感情は

無視し続けました。

 

前向きに生きてくしかないと捉えていました。

傷ついたことは無かったことにしようとしました。

 

それは

私の中で泣いている

幼い自分自身を無視し続け

闇の中へ置き去りにしたということです。

 

 

 

 

そんな平和な日常は長くは続きませんでした。

momoを家族に迎え入れてから1年も経たずに

母が亡くなり

その平和は音を立てて崩れて行きました。

 

私と母は

横浜と北海道で遠く離れていたし

母は持病があり

そう長くは生きられないと

覚悟の上に覚悟を重ねていたので

母がこの世を去っても

父が亡くなった時のように

ボロボロにはならない自信がありました。

 

ところが

その自信はもろくも崩れ落ちました。

私はまるで

たった独りこの世に置き去りにされた

孤児のような気分になってしまったんです。

天涯孤独の心境に陥ってしまいました。

 

日に日に体調に変化が現れました。

40代で初のアトピーになり

暫く治まっていた喘息が再発し

花粉症は重症化し

壮絶な不眠に襲われ

立って居られないほどのめまいと

鬱状態。

 

私は薬漬けになりました。

momoパパとの関係も最悪に。

 

「私なんて死ねば良いのに!」が

「死にたい!」に変ってしまった私を

救ってくれたのはmomoでした

 

momoは献身的に私に寄り添い

全身全霊で癒しを捧げてくれました

 

横浜から札幌へ越して来て

一心不乱で庭作りに没頭している内に

また少しずつやる気が戻って来ました。

植物達からのエールも

私の背中をさすってくれていたと思います

 

それでも

まだまだ泣いていた日々の中

唐突に石けん屋になる道が開かれました

 

私は夢中で石けんの開発に取り組みました。

そんなある日

母が私の中に居ることを感じたのです

 

この辺りのことは

このブログで断片的に書いています!

 

2017年「不思議体験」はコチラ

その続き「不思議体験 最終章」はコチラ

 

母は毎日私の中に来てくれるようになりました。

それはまるで

乳児が母親に抱かれてるような感覚でした。

 

嬉しくて

嬉しくて

嬉しくて

産まれて初めて母に甘えられてる実感がありました。

 

 

 

2011年 東日本大震災が起きました。

毎日毎日

津波に流されて行く家々の映像を観ている内に

当たり前の日常は実は当たり前ではなく

今、ここに私が無事で居られてることは奇跡なんだ

そう考えるようになっていきました。

 

朝、お布団の中で目覚められたこと

蛇口をひねると水が出ること

冷蔵庫が食べ物を冷やしてくれてること

お腹を満たす食べ物があること

温かいお風呂に入れること

今まで当たり前と思って生きてきた

全てに感謝の気持ちが溢れて来ました。

 

全てに感謝を告げる日々が1年ほど続いた

ある日

母から「ゆっこごめんね」と伝わって来ました。

私は瞬間的に母は知っていたんだと思いました。

母が亡くなるまで

私がひたすら隠し通した

火傷の真相を思い出したことを

本当はちゃんと知っていたんです。

 

その時!!!

私は3歳の子供のように大泣きしてしまったのです!

「お母さんのせいだから!!!」

「自分で育てられないなら産まないでよ!!!」

「こんな歳までずっと自分を愛せないよ!」

「ずっとずっと苦しんで来たんだから!!!」

「欲しいものなんて無かった!」

「ただ甘えたかっただけだった!!!」

「1度も幸せだと感じたことないから!!!」

「私の人生どうしてくれるのよ!!!」

 

もうーね、止まりません(汗)

大声出して地団駄踏んで大騒ぎ(汗)

涙と鼻水でぐちゃぐちゃ(汗)

半世紀も隠し通して来た

辛かった想いをぶちまけてしまったんです(汗)

 

なんと!ここからです!!!

私の快進撃が始まったのは

 

翌日かその翌日だったか…

夕方

普通に夕飯の準備をしようとキッチンに立った時です

 

先ず音がしたんです。

パチンとかパーンみたいな。

何かが弾けるような音。

そして物凄い光のシャワーが降って来たんです

 

 

火柱ってありますが

光柱ってあったらそれそれ!!!

 

私はその光に包まれて

「私はもう大丈夫!」と

強く強く感じました

 

この時点では

インナーチャイルドなんて聞いたことも無かったし

そもそも私はノンスピなので

スピリチュアルな現象はひとつも解ってません。

 

この日のこの不思議な体験は

ブレイクスルーという現象だったということは

2年後くらいにSEIさんのブログで知ることになります。

 

この「私はもう大丈夫!」と

メッセージを伝えて来たのが

私の中に封じ込まれていた

私のインナーチャイルドだったと知ったのは

直ぐ数日後のことでした

 

その頃、ご近所に住んでいた

珠恵さんのお家で飲み会に参加した時に

たまたま(と見せかけた必然!)

花菜ちゃんが来ていました。

 

花菜ちゃんは

みんなに何か描いてあげていました。

それがインナーチャイルドでした

 

今まで何度もアップしていますが

花菜ちゃんが描いてくれた

私のインナーチャイルドです

 

笑っていました。

ってか、どや顔じゃないですか!?(笑)

ちょっと前まで泣き叫んでいた子がです!

 

私のインナーチャイルドは

既にワンダーチャイルドに昇格していました

 

本当に母が私にこんな服装させていたんです。

髪もパーマかけられて

こんなドレスみたいなワンピース着て(苦笑)

 

花菜ちゃん凄過ぎです

 

この流れも以前書いています。

感謝→ブレイクスルー

ブレイクスルーって何!?って方は読んでみて下さい。

2014年「解って来た~!」はコチラ

 

 

そしてそして

今から5年半前に

これまた運命のマルンガイと出逢えます

 

化学薬品まみれだった私は

マルンガイのお陰様で

全ての薬を断薬することに成功し

今、こんなに爆睡の快適な毎日を送っています!

夢のような日々です

 

momoパパとの関係も

信じられないほど素敵に回復しました

 

これはマルンガイには

発芽玄米の30倍ものギャバが含まれていて

ギャバがハッピーホルモンと言われている

脳内ホルモンのセロトニンの分泌を

適度に促すからです。

2人ともハッピーなので毎日ニッコニコ

爆睡もそのセロトニン効果です。

 

「幸せ」は私の手の届かない

ずっとずっと遠い彼方にある

幻のようなものだと感じていました。

 

今は毎日のなんでもない日常が

本当に心から幸せだと感じることが出来ます。

 

「私は生きていて良い!」

こう自分で思えることこそが幸せなんです

 

長い間封じ込めて来た

「内なる自分自身」を

思い切り母へ

さらけ出せたことが

奇しくも

ブレイクスルーへと導かれたのでしょうね。

 

母は自分が生きてる時には

果たすことが出来なかったことを

亡くなってからやり遂げてくれました

私は間違いなく愛されていたのです。

 

 

足の火傷の痕は
 
ずっと大人になっても残っていて
 
湯舟の中で毎日さすっていたんです。
 
心がざわざわする時とかも
 
傷がうずくので触っていました。
 
 
っで
 
花菜ちゃんが
 
笑ってる私のインナーチャイルド描いてくれた時に
 
「あれ!?そう言えばここ数日あの火傷見てないなー」って思って
 
確認したらどこにも無かったのです!!!
 
消えちゃっていたんです!!!✨
 
凄くないですか!?
 
心と身体ってリンクしてるんだなぁ~って思いました

 

 

「解って来た~!」で書いた

ねこさんの日記が

全てを語ってくれてるような気がします。

 

自分を許した人は 

自分を愛した人は

見たくない感情をいっぱいみて 

感じて辛かったり苦しかったかもしれない。

涙を沢山の流したかもしれない。

雨はやさしく心に降り注いだ

雲の切れ間から 光が差し込むように

あなたの頭上から心へ光が降り注ぐ

あなたの人生に光あれ

あなたの人生が光輝け

内側と向き合った者には限りなく惜しみ無く

光が注がれる

それは あなたの心が愛に満ちているからなんだ。

 

 

これで今年の投稿は最後になります。

最後までお付き合い下さりありがとうございます

 

実は内心

もうインナーチャイルドのことは

書かなくて良いかな~と思っていたんです。

今年の年頭で

この記事を書く事を宣言しちゃったもんだから

必死に書いてる内に

あ~!そっか!!!と気づきました

インナーチャイルドの抜け殻

残骸のようなものまで

全てアウトプットする必要があったんだな!と。

それは今年中にするべきことだったんだと!

これで私はマジでスッキリこんです

来年がめっちゃ楽しみになりました!

 

 

今年も沢山お世話になりました

私の人生に関わって下さった全ての命に

深く感謝を捧げたいです

心からありがとうございまーす

みなさん!大好きです

みんな共に佳き新年をお迎えしましょうねー

 

 

今年の札幌自宅ショップの営業は終了しました。

1月2月は冬季休みとなります。

どうぞご了承くださいませ。

 

なおWebショップは

年中無休でご注文をお受けしておりますのでどうぞご利用下さいませ。

手作り石けんラベンダーバレーのHPは→コチラです。

HPには載せていない

プレミアム石けんも

在庫がありましたら販売可能ですので

お問い合わせ下さいませ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のインナーチャイルド事情 その3

2020-12-23 19:56:20 | 私のインナーチャイルド

みなさま、こんにちは

今年中の完結に向けて

頑張って書いてるmomoママです(((;゚Д゚))) 

 

どんどん行きます!!!

時々しらすちゃんに登場してもらいつつ(笑)

 

私のインナーチャイルド事情 その1は→コチラ

私のインナーチャイルド事情 その2は→コチラ

 

私が

3歳の時に大やけどを負った時の記憶が蘇ったのは

30歳になったばかりの頃でした。

 

幼い頃から

右足のくるぶしの辺りにやけどの痕がありました。

これは

すでに亡くなってたひいおばあちゃんが

誤ってストーブの上のやかんを

私の足にかけてしまった時のやけどの痕だと

母から聞かされていました。

 

うわ!ひいおばあちゃんのせいにしてたんかー(汗)

 

だけど考えてみたら

ひいおばあちゃんが

家に来るなんて考えられないことでした。

祖父母でさえ1度も家に来た記憶はありません。

こまめに祖父母のお家に遊びに行っていたので

あちらから出向いて来ることは必要なかったのです。

 

お医者さんに

痕が残るのは仕方がない!とさじを投げられていたのを

父(薬剤師)が当時1番高い薬を取り寄せて

惜しみなく毎日湿布を取り替えてくれて

ここまで治ったんだよー!と母から聞いていました。

これも繰り返し何度も聞いた話のひとつでした。

 

母が何度も繰り返し話したことの全ては

父も母も

「どんなに貴女を愛していたか」

「愛してないから他人に託したワケじゃない」

ってことを伝えたかったのだということは

年齢と共に

いつしかちゃんと

私自身が感じ取っていました。

 

実際に

愛されてないなんて感じたことは1度もなく

本当に愛されていたし

こんなに大事に育てられて

こんなに恵まれているのに

どうして私はこんなに孤独なんだろ!?と

ずっとずっとずっと不思議でした。

 

全ての学校でもイジメもなく

普通に通えていたし

どの時期にも友達に恵まれていたし

お小遣いも

多分同級生に比べて多い方だったんじゃないかと思います。

どこにも不満なんてないのに!

何が私に

「私なんて死ねば良いのに!」と脅すのか

ずっとずっとずっと不思議でした。

 

その不思議の正体がとうとう暴かれたのです!

もうめちゃくちゃ腑に落ちましたね!!!

 

 

おそらく私は育て難い子供だったのでしょう。

大好きなおばあちゃんから突然引き離されて

不安と不満で

グズグズで泣き止まない1歳児だったのだと想像出来ます。

 

Tちゃんは自分だってまだまだ遊びたい年頃です。

初めて幼児の世話をする仕事を押し付けられ

自分では手に負えず

途方に暮れていたに違いありません。

 

次第に

泣き止まない反抗的な私に

憎しみを抱くようになったのだと思います。

 

母親が普通に育てても

魔の2歳児と言われてる壮絶な反抗期の

さらにその上を行く

壮絶過ぎる反抗期を

私は日々やらかしていたのでしょう。

 

食事中に箸やスプーンを落とした時や

着替えがもたついた時など

Tちゃんの怒りが爆発し

どうしても

どうしても

虐待を止めることが出来なかったのだと思います。

 

私は私で

怒鳴られれば怒鳴られるほど

痛い思いをすればするほど

反抗的な態度はエスカレートしていったのでしょう。

 

水に顔をつけることが怖くて

泳げるようにならなかったことも

虐待のトラウマから来てることだと思いました。

 

球技もめっちゃ苦手でした。

自分に向かって来る球が

怖くて見られないんですよね。

動体視力がゼロに等しいんだと

自分では思ってましたよ!

ドッチボールも

バレーボールも

野球も

バトミントンやテニスも

本当に怖くて苦痛でした。

でもバスケットボールは怖くなかったんです。

ドリブルで球の取り合いしたり

シュートすることには怖さは無いんです。

ま、上手くはなかったですけどね(笑)

 

多分、何か投げつけられていたんでしょうね。

考えたら色々と辻褄が合いました。

 

「おまえなんか死ねば良いのに!」

Tちゃんの憎悪は

「私なんて死ねば良いのに!」にすり替えられて

私の背中に張り付いたまま

その呪縛から逃れられなかったのですね。

 

記憶が蘇り

やけど事件の真相が分かっても

私はTちゃんを恨む気持ちは一切起きませんでした。

1度たりともTちゃんを憎く思ったことはありません。

 

私が中学生の時に

私よりも3つ年上のお手伝いさん見習いが

住み込みで働きに来ました。

たった3つですよ!!!

 

当時は私が子供の頃からのお手伝いさんが

通いで2人交代で来ていて

その先輩お手伝いさんに

そのたった3つしか私と歳が変らない女の子は

掃除や洗濯やゴハン作ったりを

教えてもらっていました。

 

私が友達と

ゲラゲラ大笑いしながら遊んでた時にです!!!

 

2人のベテランお手伝いさんの内の1人は

とても優しい人で私も小さな頃から大好きでした。

もう1人のお手伝いさんには

ちょっと厳しく教えられたかも知れません。

意地悪な人では決してないですが

早く仕事を教えたいと思うと

ついついそうなってしまったかもです。

 

彼女は「高校1年生」という雑誌を読んでいました。

行きたかったんだろうなぁ~と

3つ年下の私は思いました。

毎日夜になると泣いていました。

帰りたいですよね。

ほんの数か月でその子は辞めてお家に帰りました。

 

その時私は

小学生の時に1回会った記憶しかない

Tちゃんを想っていました。

私が1歳から3歳までTちゃんに育てられた話は

何度も聞かされていたので。

きっとTちゃんも

こんな風に毎晩泣いていたに違いないと思いました。

 

私にやけどを負わせたのがTちゃんだと知っても

虐待されていたと知っても

責める気持ちにはなれませんでした。

Tちゃんも私と同じ被害者のように感じていました。

虐待なんてしたくてしてたワケはありません。

それほどTちゃのメンタルは追い込まれていたのです。

煮えたぎるお湯をかけてしまった恐ろしい自分を

ずっと許せないまま生きていたかも知れません。

私とTちゃんは

同じ傷を背負って生きて来たのかも知れません。

 

母が私を妊娠した時に

父に諦めるように言われたことに関しても

父を責める気持ちはひとっつもありませんでした。

何度聞かされても

「その通りだろー」と内心私は父に同感していました。

(言葉にしたことはありませんでしたが。)

だから私と父の関係性も悪くはなかったです。

むしろ兄妹の中では

1番私が父と一緒に遊んだり接点はあったように思います。

 

私の怒りは

母1人だけに向けられました。

 

母は常に太陽のように明るい人で

驚くほどポジティブな人で

誰のことも悪口を言わない

私の尊敬に値する人でした。

憧れの女性であり

大好きで

最愛の人でした。

 

「自分で育てられないなら生まないで欲しかった。」

「私の子育てに失敗したから

 妹を自分で育てたからといって

 それでお母さん自身の子育てが

 リベンジ出来たつもりでも

 私の人生はもう取り返しがつかないのに!」

そんな感情に支配されてしまいました。

 

大好きな母を恨むことは

益々私を苦しめることになりました。

 

でも母には

私が思い出してしまったことも

そのトラウマで

今でもずっと自分を肯定出来ないことも

ずっと苦しんでいたことも

話さないでおくことに決めました。

 

その時私は

もうこんなに年老いたお母さんを

悲しませることは絶対に出来ない。と思ったんです。

 

今思えば

その時の母は今の私よりも若かったんですよねー

ってことは娘も多分

今の私を

「もうこんなに年老いた母」と思ってますよね(苦笑)

いや~

人間っていくつになったら

自分のことを年寄りだと認るんかなー(笑)

 

 

 

「私は両親に愛されていたんだから!」

「お母さんだって私を苦しめるつもりで

 Tちゃんに託したワケじゃないんだから!」

「もうとっくの大昔の出来事なんだから」

「今はこんなにも恵まれてるんだから!」と

私は何万回も

必死に

必死に

必死に

自分自身に言い聞かせて日々を暮らしました。

 

だけど

どんなに頭ではちゃんと分っていても

時々発作的に

「私なんて死ねば良いのに!」が現れてしまうんです。

 

世のお母さん達にここ知っていただきたいです!

3歳までに経験してしまった辛い経験は

傷が心の根底の

そのもっと奥にあり

どうにもこうにも

本人の努力ではどうすることもならんのです。

本当にややこしくって

手に負えなくて

面倒臭くて

しつこくて本人が1番嫌気が差しているんです。

 

ただ私は

天性の明るい母のDNAを

少なからず受け継いでいたので

四六時中泣いていたのではないですし

どちらかと言えば明るい性格で

今までお付き合いしてくれた友達も

私がこんなんだったなんて知らなかったと思います。

 

言えないというのも

知られたくないという気持ちもありました。

虐待されたり

イジメを受けてる子供が

その事実を誰にも話せない心情は

私には痛いほど解ります。

 

 

母を恨む気持ちがあっても

母を心底愛してる気持ちは消えませんでした。

母には絶対に悟られないように接しました。

上手に出来ていたと思っていました。

 

娘を妊娠した時に

momoパパは

自宅に帰れないほど忙し過ぎた仕事を独立し

自宅で仕事が出来るようにしてくれました。

奇跡的に仕事は軌道に乗り

私は私の何より希望だった専業主婦が叶い

とことん娘に寄り添い育てることが出来ました。

 

そして!

36歳の時に

東京のマンションから

横浜のお庭のあるお家に

引っ越したことがキッカケで

ガーデニングデビューを果たしました!

私は水を得た魚のように(泳げませんが!)

息をすることが楽になっていきました。

私は日に日に

植物を育てることに没頭していくのでした。

 

その後は運命のmomoに出逢います

 

つづく。

 

 

この写真良いでしょ!?

うふふ。

 

※しらすちゃんは娘夫婦のわんこです。

 

 

今年の札幌自宅ショップの営業は終了しました。

12月27日(日)はお休みさせていただきます。

1月2月は冬季休みとなります。

どうぞご了承くださいませ。

 

Webショップは

年中無休でご注文をお受けしておりますのでどうぞご利用下さいませ。

手作り石けんラベンダーバレーのHPは→コチラです。

HPには載せていない

プレミアム石けんも

在庫がありましたら販売可能ですので

お問い合わせ下さいませ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のインナーチャイルド事情 その2

2020-12-19 19:11:50 | 私のインナーチャイルド

みなさま、こんにちは。

クリスマスフェアの

全ての発送が完了したmomoママです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

今回も沢山のご注文

本当に心からありがとうございます

幸せで

幸せで

幸せで

どうしましょうか!?(笑)

 

婿ちゃん髪が短くなって私好みになりました

義母の好みになる必要性はないでしたか!?(笑)

 

 

さて

前記事の続きです。

この記事を書くことが今年の抱負なので

ケツカッチンのため変則で更新してまーす!(苦笑)

前回の記事は→コチラ

 

momoパパと学生結婚して

一緒に暮らし

一緒に通学して

一緒に同じ家に帰る。

このベッタリ生活が

私が母から得ることが出来なかった

私の幼児期に

欠落していたスキンシップを補ってくれたのか

私は少しずつ

普通の人間になって来たように感じていました(笑)

※ここ、もしも解る方が居たら同類かもです!

 

 

ところがです!

結婚して10年で娘が産まれ

思いもよらない事態が起きたのです!!!

 

娘が泣くと

私はまた

不幸のどん底に突き落とされたようになってしまいました。

 

食事中に箸を落とした時の

あのなんとも説明し難い苦しさよりも

もっと

もっと

もっと苦しくて

心臓をえぐられるようなパニックに陥ってしまうのです。

 

なので娘が泣くと直ぐに抱っこしました!

居ても立っても居られないのです。

 

そして娘は

私の抱っこ以外では寝付けない

良く泣く赤ちゃんでした(汗)

 

夜中でも昼間でも

娘の泣き声を聞きたくないので

私は暇なし娘を抱っこしていました。

 

ここでちょっと話は逸れますが

私は自分自身の苦しさから逃れたくて

娘が泣くと直ぐに抱いていたのですが

もしかしてそれが

赤ちゃんの欲求を満たし

メンタルの安定を育んだのかも知れません。

 

娘は魔の2歳児と言われてるような

激しい反抗期もなく

ぐずったり我儘言ったりは

一般的な子供よりも少なく

かなり育てやすい子供でした。

赤ちゃん時代をどう過ごすかで

自分自身と照らし合わせて

こんなに違うんだとつくづく感じましたねー。

 

それでももちろん

何も無かったワケではありませんけどね(笑)

 

 

 

話は戻りますねー

そんな日々の中

とうとう私は過労による黄疸が出てしまいました

新生児の娘ではなく母親に出ちゃったケースです(汗)

お医者さんには安静にするようにきつく言われましたが

中々そんなワケには行きませんよね。

 

メンタルも身体のしんどい日々が続きました。

そんなある日

たまたま(今思うと偶然という天の采配だったのでしょう

読んでた育児雑誌に

アダルトチルドレンの特集が組まれていました。

アダルトチルドレン!?

 

機能不全家庭に育った子供が

成人しても心に傷を持ち続けている人。

その特徴に

「自己処罰に嗜癖している」と。

 

それは私のことでした!

「私なんて死ねば良いのに!」

この言葉はまるで

私の背中に張り付いてるかのようでした。

 

そっか。

私のような人間のことを

アダルトチルドレンというのかー。

 

そう思った瞬間でした!!!

 

真っ黒な大きな穴にグルグルと吸い込まれて行きました。

まるでブラックホールのような!!!

 

よくドラマや映画で

記憶を失った人が

その記憶が呼び起こされる時のシーンに出てくるアレです!

 

あれはあくまで

想像の世界の表現方法だと思っていましたが

本当のことでした

全く同じことが私に起きました

あれって

実際に体験された方々の

証言から出来たシーンだったんですね

 

真っ黒な穴の先に

憎悪に満ちた目のTちゃんが立っていました。

その目は

怯えて泣き叫ぶ3歳の私に向けられていました。

 

Tちゃんは

ストーブの上の沸騰したやかんのお湯を

私の両足にかけました。

 

私は大やけどを負い

Tちゃんはクビになりました。

 

私が晴れて

Tちゃんの虐待から解放された

記念すべき日でもあります。

 

この時

私の中に

怯えて泣き叫ぶインナーチャイルドが生まれ

私の記憶は深い闇の奥へ封印されました。

 

つづく。

 

 

重っ苦しいところで終わってしまったので

しらすちゃんで癒してもらいましょうねー

 

「わたちがしらすでち

※しらすちゃんは娘夫婦のわんこです。

 

 

 

マルンガイと

ちきゅうの雫の

お問合せは→コチラからどうぞ!

 

札幌自宅ショップは

3月から12月まで

毎週日曜の11:00から16:00までオープンしています。

是非ともお立ち寄り下さいね

心からお待ちしています

※12月27日はお休みさせていただきます。

 

Webショップは

年中無休でご注文をお受けしておりますのでどうぞご利用下さいませ。

手作り石けんラベンダーバレーのHPは→コチラです。

HPには載せていない

プレミアム石けんも

在庫がありましたら販売可能ですので

お問い合わせ下さいませ。

 

********************************************

ラベンダーバレー

〒005-0826 札幌市南区南沢6条2丁目2-3

ショップ開店日時:毎週日曜 AM11:00~PM4:00

Phone:050-3319-5200
Mobil:080-1292-7823
HP:http://www.lavendervalley.net
*******************************************

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のインナーチャイルド事情 その1

2020-12-13 19:02:08 | 私のインナーチャイルド

みなさま、こんにちは

もう年末なのに今年の抱負を

未だ実行していなかったmomoママです!Σ( ̄▽ ̄;

 

今年最初のブログに

今年の抱負は

「インナーチャイルドのことを書く!」と

「兄に会いに行く!」と書いたのですが

まだどちらも実行していませんでした(汗)

 

どちらもめちゃめちゃ簡単に

ゆるーく実行出来ると思っていたんです。

 

ところが

なんとなんと!!!

翌月の2月に突然のコロナ過に!!!!!

 

何年もついつい

ご無沙汰しちゃってた兄のお家に

今さら

こんなコロナ過の状況で

何も用事もないのに行くに行けなーい

義母さんも同居されているので

なおのこと遠慮しちゃいます

 

今年の抱負断念

 

あれ!?

これって

和ちゃんに言われた通りになったってこと!?

 

一昨年のことです!!!

もう2年も前のことです!!!!!

和ちゃんが

「momoママさんはご兄妹に会ってますか!?」って。

 

私の兄のお家は札幌ですが大阪に単身赴任。

妹は青森。

どちらにも何年も会っていませんでした~

 

「今年中に会って下さい!

 今年会わないともう会えなくなりますよ!」って。

 

えー!?

ほんまかいな!?

 

でも和ちゃんがわざわざ私にそう言ってくれるなら

会っておかなくちゃ!と思い(素直だから

義姉にLINEして兄がお盆に帰って来るのか聞いたんです。

そしたら翌年(去年)には

仕事辞めて札幌に帰って来ると言うので

じゃ~帰って来たら顔出しますね!ってことに。

 

なのに去年はバタバタしてて

ってか、うっかりしてだけど

行くの忘れてしまいました~(汗)

それで今年の抱負が

「兄に会に行く!」ってことになったのでした

 

うわー

なんてことでしょう!?

もしかしたらもう一生会えない!?

まさかまさかこんなことになるなんて

2年前はもちろん

今年の1月でさえ

思っても考えてもみなかったことでした

 

ひぇ~~~

せっかく和ちゃんに忠告してもらってたのに

和ちゃん!ごめんなさい

 

これは和ちゃんが私を占ってくれたことではないんです。

全ての人に言えることです!

でも私に必要な情報だからこそ伝えてくれたのに

和ちゃんの好意を無駄にしてしまいました~

 

まぁでもこうなったら

兄も妹も

お互いに

ご機嫌で楽しく暮らせてることを

祈りつつ生きることにしよー(笑)

 

あ、そういえば

会えなくなるだけじゃなくて

お互いにお互いの存在が記憶から消えるそうなの

 

うーん

お互いに忘れるなら良いのか!?(笑)

どっちかが会いたいのに会えないなら哀しいけど…。

 

会えなくても記憶から消えても達者で暮らしてねーーー

 

 

なんだこの愛し過ぎる生き物は!?

この子とは会えるのかな???

 

 

さて

今まで何年も伸ばし伸ばしになってた

私のインナーチャイルドの話ですが

サボってたのではありません(笑)


 
何度も何度も書きかけたのですが

どうしても途中で書けなくなってしまって

断念していました。
 
 

私を傷つけた相手が居て

その相手だって

私と同じくらい

きっとずっと

苦しんでいたんだろうと推測されたからです。

ブログは世界中の人が自由に読めますからね。

ご本人さんが目にしたら

「私のことだ!!!」って絶対に分かるはずなので。

 

だけど

ふっと考えが変った瞬間がありました。

私のインナーチャイルドはすっかり昇華されて

私はもうこんなに元気で

こんなにハッピーな毎日を過ごせています。

逆にそれを伝えたほうがよくない!?

私が書けば

天の采配で偶然を装い

その人の目に留まって

安心するかも知れないじゃん!って。

 

なので書きます!!!

 

大したことじゃないですよ(笑)

伝えたいことは

大したことじゃないことも

「子供の心に残す傷痕は深くてしつこい!」という実体験です。

めちゃくちゃしつこいです(苦笑)

これからママになる方も

今子育て中の方にも読んでいただけたらと思います。

 

 

私はそんなにひねくれた子供ではなかったです(笑)

ネガティブでも引っ込み思案でもなく

3歳の時に定員オーバーで幼稚園に入れなかったのに

1人で勝手に行ってしまうような子供でした(笑)

園から電話があって

「もう本人来てるので仕方ないから入園ってことで!」と

晴れて入園出来たんだそうです

ナイスな幼稚園でした(笑)

 

毎日、園庭の木に登って遊んでいました。

友達も沢山居る

普通のややおしゃべりな女の子でした

 

ところがです。

わいわい楽しく

美味しくご飯を食べてる途中でも

ついうっかり箸を落としてしますと

人間が豹変してしまうのです

 

不幸のどん底に落ちちゃった気分。

ただ箸を落としただけなのに!

「私なんて死ねば良いのに!!!」って

いちいち本気で大袈裟に嘆き悲しんでしまうんです。

 

その時の感情を

どうしても自分でコントロール出来ませんでした。

 

家族で楽しいお出掛けの時の着替えもダメでした。

その旅行自体はめちゃめちゃ楽しみなのに

当日の朝着替える時になると

必ず不機嫌になりグズグズになってしまうんです

 

自分でもそんな自分自身を持て余していました。

全くワケが分からなくて。

そうなる自分が大嫌いでした。

 

おねしょも幼稚園くらいまでありました。

おねしょはさすがにいつしかしなくなっていましたが

食事中、箸を落としてどん底になることは

大人になっても続いていました。

 

父と母は商店を営んでいて

母が私を妊娠した時は

ちょうどお店を

新しくオープンするタイミングにぶつかってしまい

父から今回は諦めて欲しいと頼まれたそうです。

でも母はどうしても産みたくて

母の実家に産まれて直ぐの私を託したのでした。

銭湯に行って湯舟で温まると

おっぱいが噴き出て悲しくて涙が止まらなかった話は

母から何度も何度も聞かされていました。

 

母方のおばあちゃんは

それはそれは優しくて

大事に大事に私を育ててくれました

私はおばあちゃんのお家も

おばあちゃんも本当に心から大好きだったので

それが何よりの証拠だったと思います。

 

母はお店がお休みの時は

毎回私に会いに来たそうで

おばあちゃんのお家の前で

おばあちゃんに抱っこされた私が両手を伸ばし

母の首に小さな手をきゅっと回して来て

その時も

泣けてしかたがなかったという話しも何度も聞きました。

 

そんな平和な生活は1年しか続かず

おばあちゃんのお家では内孫が産まれました。

私と1歳違いの従弟ってことです。

最初から1年だけの約束だったので

1歳になった私は

それからは自分の家で暮らすことになりました。

 

お店は繁盛していて

母は忙しくて私の面倒はみれません。

お手伝いさんが1歳の私を育てることになりました。

ベビーシッターですね。

 

そのお手伝いさんは

ベビーシッターの教育を受けたワケではなく

経験もなく

まだ子供を産んだり育てたりしたことのない

10代半ばの女の子でした。

 

今の朝ドラの「おちょやん」ほど幼くはありませんが

中学を卒業して高校には上げてもらえずに

外に働きに出なければならなかった家庭環境の子です。

 

同級生は青春真っただ中

自分は

泣きわめく他人の子供の

おむつ交換しなくちゃいけないんです。

 

嫌に決まってるじゃないですか!

自分の子供を育てるのさえ難しいのに

鬱になったり

育児放棄してしまうってのに

上手く出来るワケないじゃないですか!!!

 

そのお手伝いさんに3歳まで育てられて

そのお手伝いさんは居なくなりました。

 

私が小学生の低学年の頃

1度そのお手伝いさんがお店に来たことを今も覚えています。

 

お店の長い通路の向こう側にその女性が立っていて

私は母の後ろに隠れて震えていました。

従業員の方々が口々に

「ほら!ゆっこちゃんのおしめ替えてくれたTちゃんだよ!」

「覚えてないのかい!?育ててもらったのに!」と私をからかいます。

 

母は何も言いませんでした。

Tちゃんはそれ以上近付きませんでした。

Tちゃんの記憶はその時のたったそれだけでした。

その短い記憶は何故かずっと消えずに残っていました。

 

私は中学生の頃辺りから

兄妹の中で自分だけが

欲しいものを自由に買ってもらえてることに気付きました。

と言っても決して

我儘放題に

あれもこれも買って!と騒いだ記憶はないですが

「欲しい」と言ったものを我慢したことがないのです。

 

そう言えば

私が幼い頃

母はお給料日になると

唯一のデパートの子供服売り場に連れて行って

店員さんが奨めてくれた洋服を

全て買っていたということも良く聞きました。

「お母さんのお給料は全部ゆっこの洋服代に使ってた!」

それはまるで武勇伝のように話していたのですが…。

 

どうも兄や妹にはそんな感じがなく

私だけがそんな特別な扱いなのは

もしかしたら

幼稚園の頃

多々メンタルに問題のある私のことで

母はカウンセリングを受けたのでは!?と

高校生になった私は考えました。

 

私のことは母が自分で育てられなくて失敗したから

妹は何がなんでも自分で育てた。ということも

何度も聞かされていて

それを聞く度に

「私は失敗作」と自分の脳にすり込んでいったのだと思います。

私のどこが失敗作なのか問い正す必要はないくらい

自分自身で分かっていました。

だから反論したことは1度もなかったです。

 

下手なカウンセラーさんが

「要求に応えて満足させてあげて下さい」

とか言ったんじゃないのかと思います。

母は私の満足を満たすには

欲しいものを買い与えることしか

思いつかなかったのでしょう。

 

私が大人になっても

結婚して子供が出来ても

母はずっとそれを止めることが出来ませんでした。

 

兄の家で母の法事をやっていた時に

イクラがお料理に出て来たので

「お母さんのイクラ美味しかったよね~」と

何気に言ったら兄が物凄く驚きました!

「何それ!?」と聞くので

私も驚いて

「えー!?毎年作って送ってくれたじゃん!」と答えると

「そんなこと1度も無かった!」

「えー!?ジャガとか干物とかは!?」

「無い!」

 

そうだったのかー

毎年色々なものを送ってくれていたのは

私への母の懺悔の続きだったのかー

さすがに胸が苦しくなって

涙をこらえるのがやっとでした。

 

私はmomoパパと19歳の若さで学生結婚したのですが

何もないmomoパパ

家も

車も

仕事もない

一緒に居る時間だけがあるmomoパパと結婚することは

多分私の心に空いたままの穴を

埋めることに必要だったからかも知れません。

 

その時はそんなつもりは全くありませんでしたが

結婚してから娘を出産するまでの10年間の間に

食事中に箸を落としても

何とも感じない自分に気付いていました。

いつの間にか

私は癒されていたようでした

 

しかし!

娘を出産し

退院して家に戻ってからのことです!

娘が泣くと

どん底につき落とされた苦しさが

また私を襲うようになりました

 

泣いても泣いても助けてもらえない。

叫んでも叫んでも助けてもらえない。

 

 

あ、この辺りで続く(笑)

 

あのね、長いですから~

今年中に書き終えるためには

次の日曜まで待ってたら終わりそうにないので

ちょこちょこ更新出来る時にしますね!

 

ってことで(笑)

今日はマッキーさんとマサコさんが来て下さって

楽しい時間を過ごさせていただきました

 

なんかねー

コロナになってから

人と会えること

人と話せること

人を好きになること

そういうことが一々

幸せで

嬉しくって

しみじみと生きてることが有難く思ってしまいます

 

そして

私のばね指らしきことも

みんななんだかんだ経験していますね

そうやって

自分の身体と相談しながら

みんな生きてるんだなぁー

みんなブラボー

 

ばね指の続きもまた書きます!

来年に持ち越しですね(苦笑)

 

 

奥の食パンはマッキーさんのお土産です

月寒のベーカリーショップRINさんの焼き立てパン

ふっわふわです!!!

マッキーさん!めっちゃ美味しかったでーす!

ふわふわなのにトロトロ!?

初めて食べた食感でした

 

 

手前のはマサコさん手作りのリンゴパイ

ブルーベリーとカリンズの実も入っています

マジ!?カリンズってほとんどが種で

しかもすっごく固いんだけどー!?

全く気になりません!

めちゃ美味しいです

冷凍すると種の存在が消えるのかもですねー

今まで毎年すっごく苦労して種を濾してましたよ~

momoパパが(笑)

だから量がほんのちょっとになっちゃうんです

来年は冷凍してからジャムにしてみます!

すっごい素敵な情報ありがとうございます

マサコさん!いつもご馳走様です

 

 

 

マルンガイと

ちきゅうの雫の

お問合せは→コチラからどうぞ!

 

札幌自宅ショップは

3月から12月まで

毎週日曜の11:00から16:00までオープンしています。

是非ともお立ち寄り下さいね

心からお待ちしています

※12月27日はお休みさせていただきます。

 

Webショップは

年中無休でご注文をお受けしておりますのでどうぞご利用下さいませ。

手作り石けんラベンダーバレーのHPは→コチラです。

HPには載せていない

プレミアム石けんも

在庫がありましたら販売可能ですので

お問い合わせ下さいませ。

 

********************************************

ラベンダーバレー

〒005-0826 札幌市南区南沢6条2丁目2-3

ショップ開店日時:毎週日曜 AM11:00~PM4:00

Phone:050-3319-5200
Mobil:080-1292-7823
HP:http://www.lavendervalley.net
*******************************************

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする