国家の貧困化により、平均年収が下がり続ける。
これは、空洞化による職の喪失のほか、
市場の多様化
が原因です。
普通に考えて、
同じ仕事をしている人には同じ給与を払う
のは当たり前。
ところが、現在は、国籍により、
給与が10倍も異なる。
経営者であれば、
安いほうがよい
と思うのも当然。
そのため、
アジアの労働力のスキルが高くなり、
日本人の労働力のスキルが低くなる(あるいは、IT化により大してスキルがいらない)
場合、給与水準は、低い方に引きずられて均一化していくわけです。
これが、労働市場のグローバル化。
この現象は、あらゆる先進国でおこっています。
国家として、これを打破する方法は、
商品の戦略が参考になります。
商品は、コモディティ化すれば、価格競争になります。
ティッシュペーパーは、ドラッグストアで安いものを買う人が多い。
これに、特殊事情が加わると高くても売れます。
しっとりしたティッシュペーパーなど。
高くても売れるようになるには、
希少価値が不可欠。
そうなると、
大量の公務員を排出する現在の教育制度
では、希少価値が生まれにくいため、
教育制度を起業家育成の教育に切り替えていく。
日本のような資源がない国が生き残るには、
高くても買ってもらえる商品やサービスを開発し続けなければならない。
そのためには、
人材がコモディティ化しないようにする
必要があるということ。
ただ、日教組が支配する教育システムでは不可能。
そこで、自分で自分を教育し直す必要がある。
これが、知的成長戦略。
つまり、自分のスキルを磨いて、希少性を生み出す。
それにより、高くてもお金を払ってもらえるようにする。
なぜ、高くてもお金を払うのか?
それ以上の利益を得られる
からです。
例えば、なぜ、本を買うのか?
その本を読んで自分の生活に生かせば、その本の価値以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、ITのツールを買うのか?
そのツールを使えば、仕事を効率化でき、そのツールの価値以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、その人に高い給与を払うのか?
その人を使えば、多くの売り上げを上げることができ、その人の給与以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、その人に高いお金を払うのか?
その人を使えば、その人に支払ったお金以上の価値を手に入れることができるから。
ここでいう、価値はお金に限らず、幸福感というのも含まれます。
ここまでで、iMacの消費の記事とつながったことがわかると思います。
貧困化していけば、売れない商品が増えていく。
同時に、採用されない人材も増えていく。
ただ、すべての商品(人材)が売れない訳ではない。
売れる商品(人材)も当然ある。
そのために、ほかにはない希少性を身につけていく。
では、どうしたら?
「みんなと同じ」という高度成長期の成功のルールを忘れる。
すでに、ルールは変わっています。
1990年頃から変化の兆しはありました。
いかにみんなと違うようにしていくか?
みんなと同じ=コモディティ化した商品
そのため、価格競争になる。
つまり、年収はどんどん減っていく。
みんなができない何かを持つ。
もちろん、日本全体でみればそんなものはないはず。
しかし、小さなマーケットでは、そういうものがあるはず。
自分の会社の自分の部署でみてみる。
そうすると、PCが使えない人が結構いるはず。
その部署では、自費でパソコン教室に通って、PCを使いこなせるようになれば、
希少性持った人材
となります。
まずは、小さな希少性から始める。
経理に詳しい、税務に詳しい、法律に詳しい、マーケティングに詳しい、
フリーソフトに詳しい、アプリに詳しい、
スタイルがよい、肌がきれい、
お茶の入れ方がうまい、会話がうまい、
お客さん受けが良い、iPadでデータ管理をして顧客提案をしている、
雑誌を自費で買って、他社製品を勉強している、
ビジネス書を買って、日々勉強している、
効率よく仕事ができる、
いつもプラス思考で回りも元気が出る・・・
この人すごいな
と思う人から、スキルを学んでいく。
サイラーが能力者から能力を吸収していくように、
自分の人生に役立つスキルを吸収していく。
素材は山ほどあり、可能性も無限にあります。
森永氏の年収120万円の本を読んで、なんとなく、いやぁな気分になりました。
あなたが悪い訳ではないんだよ
的な、責任の押しつけの論法と、貧しく暮らしていきましょう的な、人生の希望がなくなりそうな内容です。
若い人は、可能性がたくさんあって、努力次第でなんとでもなるんだから、がんばろう
というような僕のような考え方は、彼の論理でいえば、弱者の敵のような存在なんだと思います。
強者の論理ってやつです。
ただ、弱者って?
弱者も、知的に成長し続ければ、徐々に強くなっていく。
少なくとも、そう信じて努力をすべきです。
しかも、その方法は、ちょっとしたコツがあって、
そのコツをマスターすると、加速度があがっていき、楽になります。
おそらく、脳の前頭葉が活性化するのだと思います。
頭がいいから、強者だからっていうのではなく、
訓練次第でスキルが上がっていく
というものだと思います。
そういうことをいうと、
努力できるのも才能だ
という論法を持ち出してくる人がいます。
僕はその才能もないんだ。
実は、この続けるとか、努力するというのも、
才能ではなく、スキル
なわけです。
これも、ちょっとしたコツをつかめば、続けるのに苦労しなくなる。
試験勉強もそうだったし、このブログもそうです。
このブログは、今のところ、非営利目的です。
仕事をすれば、その分、所得は上がるかもしれない訳ですが、
あまりこのブログをお金につなげようという意識はなく(アフィリとか、広告をいれていないのもそのため)、
個人的には、ボランティア活動のようなイメージです。
近くに、マイナスのことばかりいう人しかいない
とか、
本をたくさん読んでいるような人はいない
という環境に恵まれていない若い人に、
自分も知的に成長するために、がんばってみようかな
と思ってもらえるようになれば、このブログの意義があるということ。
国家が機会を均等にすべきだ。補助を与えるべきだ。
と叫んでも、結局、何もならないわけです。
そんな能力も、そんな強い意志を抱いている政治家や官僚はいないからです。
だったら、森永氏のいうように諦める?
若さという資源があれば、その資源を使って、自分の力で少しずつ知的に成長していくことができます。
今たくさん稼いでいる人も、少しずつスキルをアップさせて、その給与に値する人材になっているわけです。
もちろん、親が金持ちでたくさん援助してもらえる人もいます。
しかし、そうでないからといって、諦める必要はないと思います。
世の中は、決して平等ではないし、善人ばかりでもない。
これは、人類の歴史を学べば明らかです。
ただ、今の日本は、少なくとも、生まれながら人生が決まってしまう身分社会ではないはず。
(あと20年したら、そういう社会になると思いますが・・・)
今のうちから、知的に成長して、平穏に暮らせるスキルを身につけておく。
そして、余力ができたら、
貧乏な家に生まれた人は、成り上がる機会さえ与えられない20年後の国家
で、
ソーシャルビジネスやボランティアを通じて、そういう子供たちを支援する。
これから先を見据えて、現在の行動を決める。
これが、
コントロールできないことも、時間をさかのぼらせることによって、
コントロールできるようになる
というコントロール第2原則です。
4年前から書き続けていますが、ついに、現実のものとなってきたという感じです。
これは、空洞化による職の喪失のほか、
市場の多様化
が原因です。
普通に考えて、
同じ仕事をしている人には同じ給与を払う
のは当たり前。
ところが、現在は、国籍により、
給与が10倍も異なる。
経営者であれば、
安いほうがよい
と思うのも当然。
そのため、
アジアの労働力のスキルが高くなり、
日本人の労働力のスキルが低くなる(あるいは、IT化により大してスキルがいらない)
場合、給与水準は、低い方に引きずられて均一化していくわけです。
これが、労働市場のグローバル化。
この現象は、あらゆる先進国でおこっています。
国家として、これを打破する方法は、
商品の戦略が参考になります。
商品は、コモディティ化すれば、価格競争になります。
ティッシュペーパーは、ドラッグストアで安いものを買う人が多い。
これに、特殊事情が加わると高くても売れます。
しっとりしたティッシュペーパーなど。
高くても売れるようになるには、
希少価値が不可欠。
そうなると、
大量の公務員を排出する現在の教育制度
では、希少価値が生まれにくいため、
教育制度を起業家育成の教育に切り替えていく。
日本のような資源がない国が生き残るには、
高くても買ってもらえる商品やサービスを開発し続けなければならない。
そのためには、
人材がコモディティ化しないようにする
必要があるということ。
ただ、日教組が支配する教育システムでは不可能。
そこで、自分で自分を教育し直す必要がある。
これが、知的成長戦略。
つまり、自分のスキルを磨いて、希少性を生み出す。
それにより、高くてもお金を払ってもらえるようにする。
なぜ、高くてもお金を払うのか?
それ以上の利益を得られる
からです。
例えば、なぜ、本を買うのか?
その本を読んで自分の生活に生かせば、その本の価値以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、ITのツールを買うのか?
そのツールを使えば、仕事を効率化でき、そのツールの価値以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、その人に高い給与を払うのか?
その人を使えば、多くの売り上げを上げることができ、その人の給与以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、その人に高いお金を払うのか?
その人を使えば、その人に支払ったお金以上の価値を手に入れることができるから。
ここでいう、価値はお金に限らず、幸福感というのも含まれます。
ここまでで、iMacの消費の記事とつながったことがわかると思います。
貧困化していけば、売れない商品が増えていく。
同時に、採用されない人材も増えていく。
ただ、すべての商品(人材)が売れない訳ではない。
売れる商品(人材)も当然ある。
そのために、ほかにはない希少性を身につけていく。
では、どうしたら?
「みんなと同じ」という高度成長期の成功のルールを忘れる。
すでに、ルールは変わっています。
1990年頃から変化の兆しはありました。
いかにみんなと違うようにしていくか?
みんなと同じ=コモディティ化した商品
そのため、価格競争になる。
つまり、年収はどんどん減っていく。
みんなができない何かを持つ。
もちろん、日本全体でみればそんなものはないはず。
しかし、小さなマーケットでは、そういうものがあるはず。
自分の会社の自分の部署でみてみる。
そうすると、PCが使えない人が結構いるはず。
その部署では、自費でパソコン教室に通って、PCを使いこなせるようになれば、
希少性持った人材
となります。
まずは、小さな希少性から始める。
経理に詳しい、税務に詳しい、法律に詳しい、マーケティングに詳しい、
フリーソフトに詳しい、アプリに詳しい、
スタイルがよい、肌がきれい、
お茶の入れ方がうまい、会話がうまい、
お客さん受けが良い、iPadでデータ管理をして顧客提案をしている、
雑誌を自費で買って、他社製品を勉強している、
ビジネス書を買って、日々勉強している、
効率よく仕事ができる、
いつもプラス思考で回りも元気が出る・・・
この人すごいな
と思う人から、スキルを学んでいく。
サイラーが能力者から能力を吸収していくように、
自分の人生に役立つスキルを吸収していく。
素材は山ほどあり、可能性も無限にあります。
森永氏の年収120万円の本を読んで、なんとなく、いやぁな気分になりました。
あなたが悪い訳ではないんだよ
的な、責任の押しつけの論法と、貧しく暮らしていきましょう的な、人生の希望がなくなりそうな内容です。
若い人は、可能性がたくさんあって、努力次第でなんとでもなるんだから、がんばろう
というような僕のような考え方は、彼の論理でいえば、弱者の敵のような存在なんだと思います。
強者の論理ってやつです。
ただ、弱者って?
弱者も、知的に成長し続ければ、徐々に強くなっていく。
少なくとも、そう信じて努力をすべきです。
しかも、その方法は、ちょっとしたコツがあって、
そのコツをマスターすると、加速度があがっていき、楽になります。
おそらく、脳の前頭葉が活性化するのだと思います。
頭がいいから、強者だからっていうのではなく、
訓練次第でスキルが上がっていく
というものだと思います。
そういうことをいうと、
努力できるのも才能だ
という論法を持ち出してくる人がいます。
僕はその才能もないんだ。
実は、この続けるとか、努力するというのも、
才能ではなく、スキル
なわけです。
これも、ちょっとしたコツをつかめば、続けるのに苦労しなくなる。
試験勉強もそうだったし、このブログもそうです。
このブログは、今のところ、非営利目的です。
仕事をすれば、その分、所得は上がるかもしれない訳ですが、
あまりこのブログをお金につなげようという意識はなく(アフィリとか、広告をいれていないのもそのため)、
個人的には、ボランティア活動のようなイメージです。
近くに、マイナスのことばかりいう人しかいない
とか、
本をたくさん読んでいるような人はいない
という環境に恵まれていない若い人に、
自分も知的に成長するために、がんばってみようかな
と思ってもらえるようになれば、このブログの意義があるということ。
国家が機会を均等にすべきだ。補助を与えるべきだ。
と叫んでも、結局、何もならないわけです。
そんな能力も、そんな強い意志を抱いている政治家や官僚はいないからです。
だったら、森永氏のいうように諦める?
若さという資源があれば、その資源を使って、自分の力で少しずつ知的に成長していくことができます。
今たくさん稼いでいる人も、少しずつスキルをアップさせて、その給与に値する人材になっているわけです。
もちろん、親が金持ちでたくさん援助してもらえる人もいます。
しかし、そうでないからといって、諦める必要はないと思います。
世の中は、決して平等ではないし、善人ばかりでもない。
これは、人類の歴史を学べば明らかです。
ただ、今の日本は、少なくとも、生まれながら人生が決まってしまう身分社会ではないはず。
(あと20年したら、そういう社会になると思いますが・・・)
今のうちから、知的に成長して、平穏に暮らせるスキルを身につけておく。
そして、余力ができたら、
貧乏な家に生まれた人は、成り上がる機会さえ与えられない20年後の国家
で、
ソーシャルビジネスやボランティアを通じて、そういう子供たちを支援する。
これから先を見据えて、現在の行動を決める。
これが、
コントロールできないことも、時間をさかのぼらせることによって、
コントロールできるようになる
というコントロール第2原則です。
4年前から書き続けていますが、ついに、現実のものとなってきたという感じです。