知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

寛容論。

2013年09月19日 | スキルアップ
ヴォルテールは、
 カトリックの不寛容
を批判しています。

カトリックは、
 教会を中心とする厳しい戒律
を定め、守るように要求します。

10分の1税などにより、
 収入を得て力を蓄え
 カトリック組織を世界中に広め、
 信者の獲得を目指しました。

イエズス会などが日本における布教活動の拠点となりました。

「八重の桜」がこの辺りを描いていて、個人的には、
おもしろくなってきたなと言う感じです。


日本が成長できた理由は、
 明治時代に西欧列強に対応できる「知」があった
からです。

新たな時代に対応できる人材を作り上げるため、
 塾や学校(のちの大学)
がこの時期にたくさんできました。

同志社、立教などのミッション系の大学の起源もそうです。
1874年に立教学校、
1875年に同志社。

いずれも、もとは英語塾で、西洋に対応する人材の育成が目的。
教材として聖書などが利用され、
 キリスト教の精神
が教えられたわけです。

同志社も立教もプロテスタント系で、
 上智や南山がカトリック系
です。


プロテスタントとカトリックの違いは、
 教会の影響が強いのがカトリック
であるのに対し、
 プロテスタント系は、教会批判により誕生したという経緯から、
 神と直接個人が結び付く
というスタイルを取っていること、
 カトリックは、お金儲けに対し、厳しい態度を取り、教会への寄付(贖罪)を求める
のに対し、
 プロテスタントは、お金儲けは神のご加護であると肯定的に捉える
ことなどが根本的な違いです。

プロテスタントが商人に支持され、オランダなど新興国で爆発的に広がっていったのも、
 商業を肯定している
ためだと言われています。

この辺は、マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』(いわゆる「プロ倫」)で
詳しく論じられています。
「プロ倫」は、社会学部には必須の書物だと言われています。

ざっくり言うと、
 仕事を一生懸命やる=お金が貯める=神からの評価。

アメリカは、まさにそんな感じで、
 自己啓発書もプロテスタントのこの発想に基づく精神が根底にある
と考えてよいと思います。

アメリカで成功した人の伝記を読むと、
 挑戦、学習、努力、忍耐、信念。

これは、まさにプロ倫。


日本人は、
 祈りの習慣がない
ので、
 信念が実現する
と言われても、ピンとこないわけですが、
 プロテスタント系だと、祈りで夢を思い描き、禁欲の精神で努力を続ける
という
 成功哲学が入りやすい。


これと、寛容論と絡めると、
 ヴォルテール風にいえば、人は、無知や偏見を持っていて、
 よく分からないものに、恐怖を感じる。

その恐怖を排除したいがために、
 よく分からない人を排除する。

これが、
 異端の発想。

カトリックでは、魔女狩りなど、異端に対する排除の事例は数多いわけです。
寛容論のカラス事件は、カトリックによるプロテスタントへの迫害として論じられています。

カラス事件は、若者の死体が発見される。
プロテスタントの主人が息子がカトリックに改宗するおそれを感じ、
殺害したとデマが広まる。
カトリックの裁判官たちが、事実関係と遭わないにも拘らず、
主人を犯人であると判決し、死刑となる。

刑事裁判の適正手続と、宗教的な問題、民衆の扇動、民衆迎合の裁判官。
今でも通じるテーマです。


恐怖の排除は、最終的には、戦争に行きつく。

宗教戦争は、異端に対する排除が目的。


相手を知り、寛容の精神を身につけることで、
 排除以外の選択肢を取ることができる。

その方が、
 対立にエネルギーを割くよりも、お互いにとって利益となることが多い。


戦争の歴史を見てみると、
 互いに財政難を招き、国家が崩壊するケースが多い。

植民地や賠償金により、多額のお金が手に入るのであれば、別でしょうが、
 もはやそんな時代ではない
からです。

アメリカのベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争…
戦争で儲けたのは、軍事関連の会社であり、
 アメリカの財政が悪化していることは明らか。

イラク戦争で支出した費用を、石油で補えるかと言うと、
 イラク統治は新政権に委ねられる
ので、
 アメリカだけが儲かるような統治は、国際的な非難を受けるので難しい。

戦争は、国家財政としては、プラスにならない。
軍需産業からの支持を得ている人は別ですが。

そうなうと、
 相手を知ることと寛容の精神
が、
 結局は、自分の利益になる
ということ。

隣人を愛せといいながら、
 異端者を拷問にかけたり、首を落としたりする。

この矛盾をどのように考えるのか。



 思想は美しくても、その思想を利用するのは、人であり、
 人は組織化すると、組織の価値が他の者の価値を上回る。

 これが、戦争や弾圧を生む。

宗教というものを、
 コップと想定し、
 国家ととらえると、
 今の日本の危険性が認識できる
と思います。


宗教(教会)も国家も組織という点では、同じ。
トップの判断に、構成員が従わざるを得ない。
最終的には、命を取られる可能性があるからです。

だからこそ、
 適正手続が重視され、司法が重要な役割を担う
わけです。

司法が民衆に左右されると恐ろしいことになるのも、カラス事件から読み取れる。



ヴォルテールの文章は、非常に美しいと言われています。
翻訳の誤訳が少ないのも、ヴォルテールの文章が読みやすく翻訳しやすいからだとか。

ヴォルテールは、クールな存在です。
コメント
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