枕頭の書籍群に加えるのに、「緑の家」バルガス・リョサ、「悲劇の誕生」ニーチェ、を買ってきた。「緑の〜」は、純粋に文学的冒険を楽しみたかった。
「悲劇の〜」は、二十代が終わる時、誰も寄せ付けず没入して読み耽った。人生の全てをすでに見てしまった気がして、これ以後の人生に、悲劇の始まり以外見いだせなかった。
落ち込んでいたわけではない。悲劇の中を生きていくしかないための、途轍もなく厚い岩盤のような決意が生まれつつあった。
その時生まれたプログラムを、寸分違わず生きてきた。四十年経った。
振り返ると面白い。どれだけの人が理解不能の感情から敵意を向け、裏切り、嗤い、去っていったことか。
ほとんどの人はぼくの決意と真意に気づかなかったが、中には驚き顔色を変えた人もいた。淘汰された友達と協力者だけが周りに残った。
ニーチェは、そこまで予言していた気がした。不思議なことに、この本が長いこと書棚から消えていた。信頼篤い友が帰ってきたような喜びを覚える。
「悲劇の〜」は、二十代が終わる時、誰も寄せ付けず没入して読み耽った。人生の全てをすでに見てしまった気がして、これ以後の人生に、悲劇の始まり以外見いだせなかった。
落ち込んでいたわけではない。悲劇の中を生きていくしかないための、途轍もなく厚い岩盤のような決意が生まれつつあった。
その時生まれたプログラムを、寸分違わず生きてきた。四十年経った。
振り返ると面白い。どれだけの人が理解不能の感情から敵意を向け、裏切り、嗤い、去っていったことか。
ほとんどの人はぼくの決意と真意に気づかなかったが、中には驚き顔色を変えた人もいた。淘汰された友達と協力者だけが周りに残った。
ニーチェは、そこまで予言していた気がした。不思議なことに、この本が長いこと書棚から消えていた。信頼篤い友が帰ってきたような喜びを覚える。