私も少年の頃から宇宙に惹かれ航空工学科(高専)に進学し、NASAを目指してアメリカで高校卒業しようとしました。(交換留学は一年で卒業資格取れる) これは色々あって挫折し、勉強を重ねる内に宇宙よりも生命に興味を持つようになって、宇宙はあまりにも荒野すぎると見向きしなくなりました。(宇宙生物学なんかは興味あります)
代わりに、青年(19)になった私の心を捉えた荒野はチベット高原で、それは一種のカルチャーショックを伴うものでした。
なにがショックだったかと言うと、何も知らずに入った最初のチベットの町で、宿に泊まったら公安が踏み込んで来て捕まった事です。
罰金取られて(粘って半額まで下げれた)帰りのバスに乗っけられましたが、すぐに降りて迂回して検問所を越え、ヒッチハイクで先へと進みました。
この時はラサ(観光客入れる)に辿りつくまで半月程かかり、途中で両替出来なくてお金が無くなり、中国人とチベット人の両方から助けて貰いました。
この二つの民族は未だにはっきり区別されており、それはまるで江戸時代の武家と百姓の関係のように、中国人がチベット人を抑えつけている光景をしばしば目にしました。
荒野の魅力はなんと言っても、見渡す限り何処までも自分1人しかいないと云う事です。ヒッチハイクは前に歩きながらやり、車は1日に5台くらいしか通らない道だったので、1日中歩き通す事もしばしばありました。(宿は道路工事のキャンプに泊めてもらった)
そんな時は遥かかなたのヒマラヤ連峰までずーっと開けている草原を行き、空と大地の他に目に入る物はヤク(毛長牛)の群れぐらいでした。
いつかチベットに外国人が住めるようになったら、こんな大草原で牧場やりたいなーと考えたものです。
さて、青年になった慎語、天臣も私が辿ったのと同じルートでチベット高原を行くのですが、彼等の旅は私よりもずっと目的意識を持ったものでした。
天臣の家は始皇帝を産んだ四川省の、武家であると共に医院も営む武医(気功)の名門で、その姓も秦とします。
天臣の両親は太平天国の乱に巻き込まれて命を落としますが、天臣は親族を辿って両親の彼に宛てた遺言を知ります。
それは、天臣に秦家の跡取りとして武医の道に進む事を求め、その為にチベット医学を修得すべしと彼を導きます。(四川とチベットは隣接してる)
チベット医学と云うのはヨーガと漢方が合体したようなもので、寒冷地の為にヨーガは活動的なチベット体操(若返りの秘法と呼ばれる)となり、高山植物は長い年月を掛けて多様なミネラルを蓄えるので、漢方を上回る薬効を発揮します。
さらにチベット医学では精神的な修行も重んじ、それは非常にストイックな生活習慣によって奉仕の精神を鍛え上げます。
そうして天臣は親の導きに従って本物の医師へと成長して行き、血気盛んだった青年は医術の探求者となります。
一方慎語は、トゥルクと同じ教育者としての道を歩みます。
チベットでも子ども達の教育は女性が主に受け持ち、その中から優れた教師がトゥルク候補に選ばれます。
慎語は子ども達を通してチベット語を学び、他の3人よりも広く深くチベット社会を理解します。そうした事がトゥルクの彼への思いを、特別なものにする効果を発揮しました。
ジョンは、当時38歳だったダライ・ラマ13世に相談役として迎えられます。
チベットはこの10年前(1904)にイギリスに侵攻されており、ダライ・ラマは二年間も中国の五台山に避難していて、イギリスの動静には大きく気を配っていました。
ジョンはイギリスの不正義を認めてチベット政府に協力し、トゥルクの信頼を得ようとします。
ガネシアの父親探しは、当時チベットに多く亡命していた反英闘争の志士達のネットワークから手掛かりを得ます。
父親はインドの民衆を飢え死にから救う道を求め、ブレサリアン(超小食主義者)であったミラレパが開いたカギュ派の僧院で修行をし、その奥義を掴んでいた。
なんて設定はやりすぎでしょうか?
ともかくこんな調子で、荒野を目指した青年達は成長を遂げて行きます。
それは荒野であるからこそ余計な物のない社会で、自然の厳しさと向き合った「真」の習練を彼等に与えます。