女性シンガーソングライターの元祖と言えるキャロル-キングがこの題名の歌を作っており、これは挿入歌ではなくテーマソングにしたい程の名曲です。
あとはU2もよくこの歌詞を歌っており(アイルランドのロックバンド 特に「魂の叫び」にて)、アイルランド繋がりでは独立闘争を描いた映画「In the name of Father (父の名に)」も名作です。
さて、慎語達の時代でも人々は何かの名の元に生きて居たはずで、その思いは戦乱の世だからこそ強かったかと思います。
天臣は数十人の弟子達を従えて戦った父の名に恥じない生き方を目指し、ガネシアはスラムの女神である母の名の為に、ジョンは植民地主義の罪を滅するという、正義の名の元に生きます。
トゥルクはヒマラヤ法王国の名を背負い、ブータン王の名の元に集う人々を味方にしてベンガルの危機を救おうとします。
そして慎語は、弾圧を跳ね返して飛躍しようとする長崎クリスチャンの名を持って、カルカッタの上流階級に慈悲と寛容の道を説きます。
説得される方のイギリス人も当然、何かの名の元に支配を正当化しており、それは進歩の名の元にか、イギリス女王の名の元か、あるいは神の名の元か...
そうした名はどこかに歪みが在るために、大英インド帝国は神から見放された邪悪な帝国となっており、それを認めさせるには特別な徳が要ります。
この徳を描くのが物語のテーマであり、
このインドの章では土着の神々の名とその徳について掘り下げて、インド人とイギリス人が「神」の名の元に結束できるような理想を描きたいと思います。