真の動物福祉牧場を目指して

六道輪廻と天人五衰

六道 - Wikipedia
六道輪廻は転生思想のベースになっているモノなので、解説を省く訳には行きません。
しかしその前に、だいぶ話が仏教の方に傾いてる嫌いがあるので、バランスを取る為に科学の話をしたいと思います。

私が本格的な科学を学んだのは16才からで、東京電力館(渋谷)の科学シンポジウム ライブラリーを観に放課後毎日通った事は前に書きました。 (東電への集団訴訟についての回)
通っていた高校も理系の航空高専で、ここのライブラリーは科学の一般向け書がとても充実していて、休み時間はおろか授業中にも隠れて科学の本を読みふけってました。

こうして科学の真理を知り更なる探求心を得る事は、当時は他のどんな刺激よりも強く私の心を捉えました。
それは仏教用語で云う般若波羅蜜のように、人類が彼岸へ到達する為の智慧だと信じたモノです。

その後、二十代で世界をぐるっと旅して色んな人生を観て来て、世界では未だに宗教がそうした彼岸への道を示すメジャーな存在である事を知り、科学と宗教の融和を哲学的テーマとするようになりました。

前置きはこの辺にして、六道の解説に移ります。
地獄、餓鬼、畜生の三悪道については、Wikipediaの解説で充分かと思い、修羅と人間の道に付いても特に異論はありません。
とかく異論が存在するのは天人の道で、これは時に地獄の16倍もの苦しみを味わうとされます。天人五衰 - Wikipedia
この「天人五衰」はメジャーな文学テーマともなっており、ここではスピリチュアルの世界でメジャーな師とされるソギャル-リンポチェの「チベット生と死の書」に面白い論が書かれていたので、少し長めに引用させて貰います。

--この師たちが危惧するのは、のちの生を強く信じることのない者たちが、みずからの行為のもたらす結果について深く考えることのないままに、目先の利益にとらわれた社会をつくってゆくことだ。 これこそが、わたしたちが今生きている世界をこのように野蛮な、真の慈悲というもののほとんど存在しない世界にしてしまった、その大きな原因なのではないだろうか。
時々わたしは、非常に豊かで力を持った先進諸国とは、仏教の教えに説かれる天界のようなものではないかと考えることがある。 そこでは神々が、生の霊的次元に思いをいたすこともなく、途方もなく贅沢な暮らしをし、あたうかぎりの歓楽にふけっている。 すべてが満たされているかのように思える。だか死は忍び寄ってきているのだ。 そしてあるとき、思いもよらなかった腐敗の兆しが現れる。 するともう、妻たちも愛人たちもあえて神に近づこうとはしない。 再び神に生まれてくるようにというおざなりな祈りとともに、遠くから花を投げるだけだ。 幸福の思い出も、安楽の思い出も、目前の苦しみから彼らを守ってはくれない。 苦痛をよりいっそう耐えがたいものにするだけだ。 こうして、死にゆく神はひとり悲嘆のうちに死んでゆく。
この神々の運命を思うとき、わたしは--

と続いて、いかに死に行く人を真摯に応援する事が大切かを説いています。
この本は欧米でベストセラーとなり、とても温かい死の教えが説かれているので、もし身近な人が死にそうになったら贈ろうかと思います。

次回の7でカウント アップは終わりとし、ここで7の種明かしをしておきます。
それは六道輪廻をくぐり抜ける試練が7日ごとに7回行われるとするバルドゥ(死の書)の教えからで、これを物語のベースに取り入れている為でした。

人間が49日間のバルドゥ(中有)を経て転生するという思想は、仏教よりずっと古い古代シャンシュン王国のボン教から来ており、人類は数万年前からヒマラヤ高原に進出して精神文明を築いていたみたいです。






名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る