今回も七章二部構想にする積もりなので、これが第一部の最後の章となります。
前回、言論弾圧について述べましたが、これは56年に行われた百家斉放という運動が引き金になりました。
ここで党は「我々は決して言論弾圧などしないから、自由に革命の経過について意見してくれ」と全国の知識人に呼びかけ、それに答えて実に多くの意見が集まりました。
これは「百家争鳴運動」と呼ばれ、これだけ自由な意見が出せるならば、中国の共産革命は成功するのではないかと期待される程でした。
しかしこの期待はあっさり裏切られます。57年には共産党の方針に反対した知識人は皆「右派」のレッテルを貼られて収容所に送られました。(反右派闘争)
これ以来、中国の知識人は決して党を信用しなくなり、固く口を噤むか党にすり寄るようになり、「特別にねじ曲がった病んだ文化」を生み出して行きます。
こうした流れの中で始まったのが「58年からの大躍進」で、以前にこの表題でブログを書きましたが、それはほんの概略を述べたまでで、もっと詳しく知りたい方はぜひ「餓鬼 hungry ghost」を読んでみて下さい。
この大躍進時代について、更に詳しくブログで述べるには、もう散文詩で述べるしかないかと思え、不格好なのですが物語の粗筋として書いて行きます。
中国の長い歴史の中で 常に飢餓が絶えなかったのは 王朝が過酷に農民から収奪したからで 余りに酷いと農民一揆が起こり王朝は滅び しかしまた次の王朝が同じ事を繰り返して来た
これが中国の歴史と言え 階級闘争も農民一揆と変わりなく 共産王朝の収奪は過去の王朝よりも酷かった
それはノルマ主義により 出世の為に役人は収穫量を水増し報告し その水増しレースは常軌を逸して農民を働かせた
王(毛)は自分で農業政策を出し それによる収穫量の水増し報告を喜び信じた 調子に乗って雀の全滅まで指示し 害虫が大発生して深刻な長期的ダメージを全国が被るハメに
収穫量は減っているのに報告では数倍に増えたとされ ちゃんとその分の年貢も収奪され 農村では翌年にまく種すら収奪される
大躍進は農業生産の飛躍的な向上(嘘)だけでなく 工業でも五年でイギリスに追い付くとして 無理な開発が進められる
まずは家庭から鍋釜が消えた それは手製の炉で溶かされ工業分野に回されたが そうした素人加工の鉄は脆くて使い物にならず 炉を焚く為に農村の樹木はみんな燃やし尽くされてしまう
木の無い土地は保水力を失い 風で表土は無くり塩害も起こり 農民は夜通し働かされて収穫作業まで鋼鉄作りに奪われ 収穫量は激減したのに報告では荒唐無稽な成果が謳われ 農村はいよいよ危機を迎える...
今回はここまでにしまして、次回はかなりレアケースだった中国での共産党に対する農民一揆を紹介します。