真の動物福祉牧場を目指して

商(シャン)の国 突然ひっくり 返ったら ノッペラボウの 国に成りけり

物語シリーズはちょっと駆け足で進めさせて貰って、第六章「商」に入ります。

中国には商量(シャンリャン)という言葉があり、これは深く考慮するといった意味合いでよく使われてます。
それほど中国人は商売が好きな国民であり、それが栄えた中華圏を創って来ました。

しかし共産革命はそんな自由経済を否定して、国が経済を一手に握った為、ノッペラボウの国になってしまいました。
官僚主義が平均主義で個性を否定するのは、どうやら万国共通みたいです。

統制経済は確かに効率的な面もあり、極貧層には生活の向上が観られました。しかし、全体として社会は貧しい無個性な暮らしに甘んじさせられ、人民の不満は平等主義の美名や世界革命の熱狂で誤魔化されました。

商売を全て国が行うと云うのは、資本主義の国の人間からすれば愚かしく思えますが、お金を刷ってるのが国ならばその流通もコントロールしたくなる気持ちは分かります。(私腹を肥やす為)

それを公平な自由経済に任せる事で社会は発展するのですが、そんな発展は独裁政権にとっては邪魔なだけなのでしょう。
その社会運営の方針は言論弾圧として顕著に現れて、党の方針を批判する人達は皆辺境の労改へ送られました。

こうした社会では文化はマトモに育たず、特別にねじ曲がった病んだ文化こそが、正当な文化だと認めさせられます。
この時代(50年代)の社会に育った子ども達が、後に文化大革命を起こし、今では中国の舵取りを行っております。

さて、前置きが長くなったので物語はサラッと記します。
五人の中で商売に向いているのは、普通に考えると一人も居らず、誰もがお金が無くても生きてける才能を持っておりますが、彼らはそれぞれの商(あきな)いを持っており、それはお金を超えた所にある経済、即ち真に経を済う商いとも言えます。

恩諧のカルチャー、文徳の薬、行善の外気功などは値段の付けられない価値がありますが、それを彼等が生活できるギリギリの値で分け与える仕事は、経を済う為に商われます。

希聖や傑のような武人は、王者になって社会を治めるのが商いであり、常に敵が出現するので戦う事も商いになります。
その報酬は二人とも気にしないタチで、傑の部隊などは生活の糧を酪農によって自ら得ていました。

こうしたお金を超えた経済は粘り強く残りましたが、お金の為の経済は悉く淘汰されました。
共産主義者はそれを正義としますが、人間には下らない娯楽も必要だと思います。

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